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私の海外留学見聞録 ㉒ 〜自分の人生を変えたボストン留学〜

私の海外留学見聞録 ㉒ 〜自分の人生を変えたボストン留学〜

宮部 斉重(みやべ・よししげ)
聖マリアンナ医科大学医学部 免疫学・病害動物学 主任教授
留学先:米 Massachusetts General Hospital, Harvard Medical School(2013年9月〜18年9月)

ボストンへの研究留学

私は2013年9月から18年9月までの5年間、米国Harvard Medical Schoolの協力病院の1つであるMassachusetts General Hospital (MGH)の Division of Rheumatology, Allergy and Immunology (DRAI)と Center for Immunology and Inflammatory Diseases(CIID)、その統括である Dr. Andrew D. Luster (以下Andy)の研究室に留学していました。

医学部6年生の時に、大学の交換プログラムで米国Duke大学の腎臓内科で臨床実習に参加して以来、漠然とではありますが、いつかはアメリカに留学がしたいと思っていました。医局のコネクションで留学される方も多いと思いますが、私の場合は自分で探す必要がありました。大学院時代に京都で開催された学会でAndyのことを知り、彼のラボで研究がしたいと思い、ポスドクとしての採用を直接交渉しました。幸運にも空きがあったので、夫婦(妻も研究をしています)でお世話になることができました。

アメリカに到着して最初の洗礼は、9月のボストンの想像を超える寒さと突然の下水管の詰まりでした。アパートに到着後すぐにトイレが詰まって流れなくなり、夜遅くに近所のCVSファーマシーへ慌ててラバーカップを買いに行きました。また、ボストンは北海道と同じくらいの緯度のため、東京の感覚でTシャツしか持たず来てしまった私は寒さに震えていました。そんな私を見かねて、研究室の秘書さんが自分のお父さんの4Lサイズのウィンドブレイカーを貸してくれたのも懐かしい思い出です。

Andyラボでの研究活動

私がいたMGHのDRAI、CIIDではAndyがチーフとして統括していて、DRAIは臨床医、CIIDは基礎研究者という形で分かれていました。AndyはケモカインCXCL10(IP-10)を同定し、ケモカイン分野の大家ということもあり、CIIDに所属するPIはどちらかというと細胞動態に関する研究者が多かった印象です。私の研究テーマは、関節炎に関する研究という漠然とした内容でした。

研究室のメンバーと話をするうち、CIIDには生体イメージング研究の先駆者であるDr. Thorsten R. Mempelが所属していることがわかりました。そこで、Andyに関節炎病態を可視化する研究をしたいと伝えましたが、これまで8人のポスドクが関節炎の生体イメージングに挑戦したけれど、できなかったと釘を刺されました。しかし、自分はどうしても諦めきれなかったため、Thorstenと彼のラボの日系カナダ人ポスドクのThomasにお願いして、生体イメージング技術を学ばせてもらいました。当時は子供もいなかったため、クリスマスも正月もなく夫婦で研究室に入り浸って実験を続けていたところ、最終的に関節内インビボイメージングを行うことに成功しました。ミーティングで関節炎を可視化した動画を初めて見せた時のAndy、Thorstenや同僚の驚いた顔は今でも忘れられません。そこからはひたすらイメージング実験を継続し、研究は順調に進行しました。

友人の結婚式にて、Andyとラボメンバー

研究が軌道に乗りつつある一方、14年1月頃、突然Andyから呼び出しがありました。関節炎に関する大型研究費が打ち切られ、私を雇用継続できないので、夏までに論文を投稿するなり、他所のラボを探してほしいと言われました。研究が順調に進んでいる自分がまさかリストラの打診を受けるとは全く予想していませんでした。他所の研究室のあてもなく途方に暮れましたが、自分で研究費を獲得すればラボに残れるかもしれないと考え、Andyにその旨を伝え、背水の陣で申請書の作成に取り掛かりました。申請書書きのプロであるAndyに指導して頂いたこともあり、結果的に2つの大型研究助成金を米国で獲得することに成功しました。継続して研究に打ち込むことができたおかげで、その後17年と19年に、研究成果をScience Immunologyに発表することができました。

息子のミドルネームであるAndrewはAndyから名付けるほど、Andyとの関係は深かった

Andyは私を立派な研究者として育てようとさまざまなチャンスを与えてくれました。私に一緒に一流雑誌に投稿された論文の査読を行う機会を持たせてくれ、査読論文の読み方や基礎研究の進め方の基礎を学ぶことができました。その他にも、研究室に世界の一流の研究者が訪れると、必ず私とAndy、その研究者でディスカッションを行い、海外コネクションを作る機会を与えてくれました。当初は帰国したら臨床医に戻るつもりでしたが、MGHでの研究生活は日々充実し、気がついたら私はAndyのように基礎研究の世界へ進みたいと考えるようになっていました。5年間のビザが切れた後は、元の医局ではなく、基礎系の研究室に就職することにしました。

米国での仰天エピソード

アメリカに住んでいると日本がどれだけ住みやすい環境であるかを実感します。日常の細かいトラブルは書ききれないほどありますが、特に仰天したエピソードを紹介します。米国で生まれた息子は、妻の仕事復帰のためデイケア(保育園)に通い始めましたが、通い始めて1週間も経たないうちに、先生からデイケアの閉鎖を告げられました。何かの冗談かと思っていましたが、夜のニュースでデイケアの経営上の問題が放送されていました。慌てて妻とデイケアを探し、何とか翌週から通える所を見つけることができましたが、日本のように保育園に公的な補助が一切ない米国では、非常に高額な保育料を支払わなければならないにもかかわらず、こうした問題が頻発しているようでした。

また、帰国2カ月前のある日、夜中に息子を寝かしつけていると、突然「壁から水が〜!!」という妻の叫び声がしました。慌てて見にいくと、台所の天井の中にある水道管が破裂し、天井から滝のようにお湯が降ってきていました。アパートの管理人に水道を止めるよう頼みに行きましたが「No problem!!」としか言われず、あれよあれよという間にリビングルームが水浸しになってしまいました。火災報知器に水が入り、マンション全館にアラームがけたたましく鳴り、4階の我が家から下の階に水が漏れはじめて、初めて管理人は深刻な事態を認識し、ようやく元栓を止めてくれました。ボストン界隈の建物は非常に古く、うちも築100年を超えるアパートで、配管が老朽化していたことが原因だったようです。家主から家を修繕するため、1週間以内に立ち退くよう迫られ、マンスリーマンションに引っ越して、帰国までの1カ月を乗り切りました。

当時は笑えないエピソードでしたが、今となってはアメリカの懐かしい思い出になっています。

最後に

現在、私はAndyと同じように研究室を主催する立場になりました。彼のように、若い学生や研究者たちに基礎研究の面白さを伝え、世界に向かって大きく羽ばたき活躍できる場を提供できるよう研究室を運営したいと考えています。

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