嘗て「お医者様」と言えば、社会的な地位が高く、人の命を預かる高貴な職業とされる一方、専門家である医師の言う事には反論出来ないという風潮が有った。しかし、現在は医療過誤で医師が訴えられ、「医師も労働者だから、労働基準法を守れ」と言われる時代である。医師受難の時代と感じる医療関係者も多いだろう。しかし、本来医者も社会の一員である以上、法律や社会的要請に従うのは当然だ。医療法務の第一人者で医療法務弁護士グループ代表の井上清成・弁護士に、医療と法律の関係の他、医学部地域枠の課題、出産費用の保険適用化を巡る議論等について話を聞いた。
——医療法務を専門にされた切っ掛けは?
井上 親族に医者が居る訳でも無く、最初の10年位は、市民の民事上の相談に応じる弁護士として一般の事件を扱っていました。当時は、生徒側から相談を受け、学校に改善を求めるといった事案が多かった。そんな中、医療関係者から相談を受けて、患者からのクレーム対応にアドバイス等をする様にもなりました。大きな切っ掛けは、虎の門病院泌尿器科部長時代に『医療崩壊』(朝日新聞社)を出版された小松秀樹先生と知り合った事です。医師の労働環境の劣悪さを訴えた個性の強い先生で、私も非常に感化された。小松先生との出会いで医療と深く関わる様になりました。
——医療過誤事件等が増えて来た頃ですか?
井上 そうですね。医療事故で医療者側が民事で負けるケースが増えて来ました。そして、1999年頃から刑事事件として警察や検察が捜査に乗り出す事案も出始めます。医療界は、厚生労働省の指導や医療関係の法律さえ遵守していれば、医療行為が法に問われる事は殆ど無く、民法や刑法、労働法といった法律をあまり意識せずに済んで来た業界でした。ところが、医療を巡る民事訴訟や刑事事件が相次いで起きた為、医療界がパニックになり、私への相談も増えて来た。当時私は「医療界はこれ迄経験して来た世界とは異質だ」と感じていました。何故なら、法律を意識せず、そもそも自分達を労働者とは思っていない。そうは言っても、医療機関も1つの事業体です。医療という特殊事情は有っても、構造は企業と変わりません。だからトラブルが起きた際に会社経営に於ける法務のノウハウは使える。そこで、医療機関にも企業の様な法務部門が必要だと考え、「医療法務」の必要性を訴え始めました。今から30年位前の事です。
——医療法務という言葉は無かったのですか?
井上 これは私の造語です。医療に関わる様になってから、多くの用語を作りました。それ迄長い間、法的なトラブルとは無縁の医療界でしたが、様々な事故が起きて大変な批判を浴びる様になって来ました。有名なのは2014年に報道された群馬大学医学部附属病院の腹腔鏡手術での過失です。この死亡事故はマスコミで大々的に取り上げられましたが、実際には刑事事件になった訳でも、民事裁判を起こされた訳でもない。厚生局の調査や指導は行われましたが、マスコミの報道が先行して病院が過剰に叩かれてしまった。事故に誠実に向き合う事は大切ですが、マスコミ対応を誤ると問題が大きくなり過ぎ、適切な対応が難しくなるという事案の典型です。
——医療事故の対応について、医療側はどの様に備えるべきでしょうか。
井上 管理者である院長等の医療従事者は医療事故への理解も進み、適切な対処が出来る様になって来ました。しかし問題は病院の開設者で、市立病院では市、民間病院ではオーナーと呼ばれる人達です。特に公立病院を運営する自治体は、議会との関係等政治的な問題も有り、方針が定まらなかったり変更されたりするケースが有ります。又、開設者側と医療現場側の連携が十分に取れていない事も有り、そうした状況で割を食うのは現場の医療スタッフです。医療過誤や医師の過労死といった問題が起きれば、炎上して批判を浴びる恐れが有る。如何に問題を起こさずに病院を経営するか、開設者の意識も高めて行かなければならないと思います。
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