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未来の会

第171回 患者のキモチ医師のココロ 医療は「話を聴く」に始まって終わる

第171回 患者のキモチ医師のココロ 医療は「話を聴く」に始まって終わる

 患者さんの診療において基本的な話をもう一度しよう。それは、医療従事者、とくに医師にとって、「話を聴くこと」はまさに出発点でもあり到達点でもある、ということだ。

 私事で恐縮だが、めずらしいことにしつこい肩こりや背部痛がして、友人に話したら「整骨院に行ってみれば」と勧められた。これまで未経験なので「いったいどんなところなのか」と人気がありそうな整骨院のホームページを開いてみると、冒頭にこんなことが書かれていた(文言は改変してある)。

 「当院にはクリニックや病院などに通ってもいっこうに良くならないという方が、大勢通っていらっしゃいます。その方たちはとくに以下のような点でお困りのようです。

 『ロクに話を聴いてくれない』、『先生の説明がわかりづらい』、『医師や看護師によって対応や方針が異なる』、『マニュアル通りの受け答えですませている』」

なぜ整骨院は人気があるのか

 つまり、その人気の整骨院には、痛みやしびれなどの症状そのものより、これまで受診した医療機関の治療ではなくて医療従事者とのコミュニケーションに納得いかない、不満がある、という人たちがやって来るということだ。逆に考えれば、医療機関でのコミュニケーションが満足いくものであれば、多少、痛みが長引いていたとしても「先生を信頼してもう少し通おう」となるのかもしれない。

 たしかに、とくに慢性疼痛には原因がわからないものも多く、あれこれと鎮痛剤をかえたり漢方薬を処方したり生活改善の指導をしたりしながら、「なんとなく治っていく」というタイプのものも少なくない。その場合、「治療の効果があったのか。それとも時間がたつうちに自然経過で軽快したのか」とわからないこともあるが、患者さんとは「まあ、痛みが消えたのならそれでよしとしますか」と話して終診となる。あるいは、長い経過の中で別の症状も出てきて、「これは」と検査を追加し、はじめて原因がわかることもある。

 いずれにしても「辛抱強く通ってもらうこと」が必要で、そのためにも先の整骨院が掲げていたような態度はタブーなのだ。

 「話を聴くことは大切」というのは、いまでは医学生でも知っている。多くの医師は意識的にそれを実践しているはずだ。しかし、実際には「ロクに聴いてもらえない」という人が大勢いるから、先ほどの整骨院のようなところが人気を呼ぶのであろう。

 先日、診察室でこんな話を聞いた。その人は転倒して手をつき、腫れと痛みで私のいる診療所を受診した。レントゲンを撮って目をこらすと、はっきりはしないが橈骨の骨端に骨折線があるようにも見える。私は言った。

「このあたり、骨折しているようにも見えます。骨折でもたぶん手術にはならないと思うけど、ギプス固定にはなると思います。骨折じゃない可能性もありますが、一度、整形外科を受診しましょう。」

 それから、いまの勤務先から70キロも離れた都市部の整形外科に紹介状を書いた。

 1週間後、再受診したその人の腕にはギプスは巻かれていなかった。「あ、骨折じゃなかったんですね。よかった。でも遠くまで行かせてごめんなさい」と言うと、ちょっと浮かない顔をしている。尋ねると、整形外科医はレントゲンを見てひとこと「違うな」とだけ言い、あとは看護師がシーネで固定して包帯を巻いてくれたのだという。「レントゲンのどのあたりがどうなっているのか、この痛みはいつ頃おさまるのか、もう少し説明してほしかった……」。いまは痛みはほとんどなくなったが、それでもその人の心には物足りなさが残った。こういう場合、打撲や捻挫が治癒したあとも「なんとなく痛い」という状態が続き、冒頭のような整骨院を訪れることになる場合も多いのではないか。  

 では、どうすれば忙しい外来診療などにおいて、患者さんが満足いくように「話を聴くこと」ができるのか。

「よく聴いてくれた」と思ってもらうためのコツ

 これは決して、時間の長短の問題ではない。たとえ30分かけても相手が「聴いてもらえなかった」と思う場合もあれば、逆に5分でも「今日は先生がよく聴いてくれた」と思ってもらえることも可能だ。

 コツはまず、「今日はどうされましたか?」「最近はいかがですか?」と幅広く問うオープンクエスチョンから始めること。そして、2分ほど一方的に患者さんに話をしてもらうこと。2分だと早口なら800文字ぐらいは話せる。これは相当な分量だ。たとえ口ごもりながらでも、原稿用紙1枚つまり400文字ぐらいは話せるはずだ。

 その間、医師はなるべく口をはさまず、パソコンから目を離して患者さんの方を向き、できれば顔を見てうなずきながら聴くのがよい。ポイントさえ抑えれば、何も一字一句聞き漏らすまい、とする必要もない。

 実は一番たいへんなのがこれで、「2分間、口をはさまずに相手の顔を見て話を聴く」というのは、やっている側にとってはかなりの長時間に思える。試しにストップウォッチで測りながら、配偶者などにやってもらうとその長さがわかるだろう。たいていの人は、1分ほどで「いや、そうじゃなくて」とか「でもこういうときはどうなの?」と否定や疑問の言葉をはさんでしまいたくなるはずだ。

 その2分がすぎたあたりから、通常の診察、つまりこちらからいろいろ問診をしたり、聴診や触診、必要な検査のオーダーを出す。それ以上、話し続けようとする人には、「さあ、じゃ胸の音を聴かせてもらいますね」とさえぎってもよい。もちろん、この通常の診療に長い時間がかかる場合もあるが、もし3分ほどですめば、あとの1分を処方や説明にあてて「2分+3分+1分」の「6分診療」だ。

 私自身、2週間に1度はへき地診療所から東京に舞い戻り、精神科の外来を続けているが、そこではだいたいひとり6〜8分のペースで再診をこなしている。精神医療の場でも、「まずは最初の2分か3分は一方的に話をしてもらう」という基本ルールを守れば、これくらいの診療時間でもなんとかなるのだ。

 いつもの診療にわずか2分をつけ加えるだけで、「先生には本当にいつもよく話を聴いてもらえて」と患者の満足度が格段にアップする。こちらの検査や治療への協力姿勢も構築されるので、症状の軽快にもつながるだろう。「ロクに医者に話を聴いてもらえない人、こちらへどうぞ」とうたっている整骨院の“営業妨害”をするつもりはないが、「来院者に徹底的に向き合います」という姿勢の施術院の興隆を見るにつけ、クリニックや病院には反省すべき点もあるのではないか、と思う。

 さて、私は知人の勧める整骨院に行ったのか。実はまだ行っていない。これもおかしな話なのだが、ホームページを見て「そうか。整骨院に行けばこの背中の痛みの話もよく聴いてもらえそうだ」とわかっただけで、なんとなくからだが軽くなって痛みもやわらいだのだ。「ホームページの文字を見ただけで痛みが軽減するなんて」と、我ながら自己暗示を受けやすい性質であることに苦笑している。しばらくは、「話を聴いてもらう」のではなく「話を聴く」に専念してやっていけそうだ。

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