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未来の会

被災者の辛い思いや痛みを記録し 災害に強い新たな街作りに活かす

被災者の辛い思いや痛みを記録し 災害に強い新たな街作りに活かす
廣井 悠(ひろい・ゆう)1978年東京都生まれ。2001年慶應義塾大学理工学部卒業。12年名古屋大学減災連携研究センター准教授等を経て、23年東京大学先端科学技術研究センター教授。内閣府「首都直下地震帰宅困難者等対策検討委員会」座長等。

今年は関東大震災から100年目の年に当たり、改めて防災体制や災害に強い街作り等が議論された。2011年の東日本大震災の記憶も未だ新しく、首都直下地震や南海トラフ地震も近い将来必ず起きると言われる中、災害への備えを怠る事は出来ない。医療機関も、どの様に医療を継続するのか、体制を整備しておく必要が有る。今、地震災害に対する研究はどの程度進められ、国や自治体、私達市民にどの様な備えが求められているのか。火災を中心とした災害の研究を専門とする東京大学先端科学技術研究センターの廣井悠教授に、災害研究の実情や求められる災害対策等について話を聞いた。

——防災に関する研究を始められた理由は。

廣井 切っ掛けは卒業論文のテーマに防災を選んだ事です。大学では数学を学び、「数学を使って何かを分析する研究をしたい」と、卒論の対象になりそうなものを図書館で探していた時に見つけたのが、『建築防火』という本でした。建物や都市の火災をどの様に防ぐかについてまとめた本だったのですが、その中に数式を使って火災の進展や現象を記述するテーマが有って、これは興味深いと思いました。本当に偶然の出合いでした。

——災害のデータはどの様に蓄積しているのですか。

廣井 自然災害は頻繁に起きる訳ではないので、1つ1つの災害データは非常に重要です。只、これらのデータや資料は、研究者個人が持っている事が多く、研究者が大学を退官したり、亡くなったりした後、その人が集めた資料やデータをどうするのかという課題が有ります。私の専門分野は火災ですが、火災の中でも、地震火災は滅多に起こりません。大きな地震が起きれば、必ず大規模な火災が起こるという訳ではなく、強風が吹いているとか、平日の昼間や夜など出火し易い時間帯であるとか、幾つかの条件が重なって発生します。ですから、地震火災の研究は特にデータが重要です。この為、日本火災学会ではデータのアーカイブを作ったり、過去の資料を保存したりする取り組みを今まさに進めようとしているところです。報告書等の集計データは公開されていますが、非集計のデータは個々の研究者が持っていますから、どう保存して行くかが非常に大きな課題になると思います。

——日本には災害に関するデータが多いイメージが有りましたが、そうでは無いのですね。

廣井 日本に限らず、世界でも災害の研究をする人は過去には余り居ませんでした。勿論、災害に強い土木や建築という研究は有りましたが、災害そのものの研究者は少なかった。災害は滅多に起きないので、論文を書く機会が限られるからです。実際、阪神・淡路大震災以前は、災害の研究者は非常に少なく、彼らが自分で記録を保存していれば十分だという考えも有った様です。その為、有効なデータの蓄積も進んで来ませんでした。阪神・淡路大震災や東日本大震災(以下東日本)以降になって、ようやく研究者が増え、災害における調査の対象も広がって来ました。そうして収集されたデータの中には、災害直後でなければ得られない貴重なものが有り、特に被災者から直接聞き取りをしたデータや資料は非常に貴重です。研究の裾野が広がり、膨大なデータが収集出来る様になった今、被災された方達が辛い思いを堪えて「将来の災害を減らす為に」と話して下さった内容は、きちんと整理して後世に残して行かなければならないと考えています。

津波火災への研究者の後悔

——東日本の調査で得られた教訓は有りますか。

廣井 東日本では2週間後に現地に入りました。私の専門の火災での教訓は、津波が原因で発生する「津波火災」の恐ろしさです。東日本の時は、津波の浸水地域で398件の火災が発生したのですが、その内の4割位が津波火災でした。地震の揺れで起きる火災は、蝋燭が倒れたりストーブの上にタオルが落ちたりして出火しますが、津波火災では燃えた家屋が津波に乗って移動して起きる場合が有ります。それによって火災が広がり、高いビル等の避難場所が燃え、地震や津波から逃れた人が火災で命を落とす事にもなり兼ねません。よく知られているのが石巻市の門脇小学校の事例で、津波で流されて来た家屋からの引火等で建物がほぼ全焼しました。ここに避難していた小学生と教員は学校を出て、更に高台まで避難して無事でした。校舎の高い階に逃げていたら危険でした。東日本では、津波火災によって多くの方が亡くなったと考えられています。

——津波火災の危険性は、それ迄余り知られていなかったのですか。

廣井 実はそれ迄も繰り返し発生していました。有名なのが1993年7月の北海道南西沖地震で、奥尻島で津波が押し寄せた後に火災が発生し、住宅地の青苗地区が壊滅状態となりました。この時、もっと津波火災の危険性が注目されれば良かったのですが、この1年半後に阪神・淡路大震災が起き、都市型の地震火災が大きくクローズアップされてしまいました。私より年長の研究者が「津波火災をもっとよく研究すべきだった」と非常に後悔していた姿が忘れられません。「調査を尽くせば、津波火災の被害を抑えられたかも知れない」と後悔の念を抱く研究者と東北の被災地を巡り調査をした時に、「いいか、ちゃんと見ておけよ」と言われたのが、今も記憶に残っています。

——もっとしっかり研究していれば、犠牲者を減らす事が出来たかも知れない?

廣井 津波火災の危険性が知られていれば、多くの人が建物の中の高い場所ではなく、高台への避難を選んだかも知れません。消防活動でも、津波火災を想定した訓練が出来ていたかも知れない。実際、林野火災の訓練をしていた消防団は、かなり津波火災に対処出来た様です。恐らく林野火災と津波火災への対処には似た部分が有るのでしょう。「津波火災の恐ろしさを社会に広めていれば、犠牲者を減らす事が出来た」という後悔が、私より上の世代の研究者には有ったのだと思います。


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