歳出改革、追加負担無しで挑む、3・5兆円の高い壁
政府は「次元の異なる少子化対策」に充てる財源約3・5兆円を捻出する3本柱の1つに社会保障費の抑制を挙げ、医療や介護を中心に最大1兆円超の削減に踏み込むという。しかし、社会保障費の圧縮は岸田政権の運営に影響する。自民党内からは早速異論が噴き出す等、実現の見通しは立っていない。
「我が国のこども・子育て予算はOECD(経済協力開発機構)トップ水準になる」6月1日夕、首相官邸であったこども未来戦略会議で、「異次元の対策」と位置付ける「こども未来戦略方針」の素案を受け取った岸田文雄・首相はこう語り、胸を張った。
素案には2024年度からの3年間の集中期間に実施する「加速化プラン」が含まれている。主な内容は▽所得制限撤廃を含む児童手当の拡充▽出産費用の保険適用を26年度をメドに検討▽「こども誰でも通園制度」(仮称)の創設▽育休給付金の手取りの10割への引き上げ(産後28日間)——等だ。
所要財源は「3兆円台半ば」とし、安定財源を28年度迄に確保する、としている。それ迄の間は「こども特例公債」(仮称)で繫いで行く。
当初想定されていたプランの予算規模は3兆円程度だった。ところが首相は会議前日、関係閣僚に授業料免除等高等教育費の支援や、貧困、虐待防止等に約5000億円の上積みを指示し、関係省庁を驚かせた。1兆円程度を確保済みの予算で対応し、社会保障費の削減と社会保険を活用した「支援金制度」(仮称)の創設によって約1兆円ずつ捻り出す事で、何とか3兆円に届かせる腹だった為だ。
ただ、3兆円の確保すら心許無い。政府は「支援金制度」に関し、公的医療の保険料に上乗せして調達する案を模索しているものの、自民党の茂木敏充・幹事長は保険料の上乗せ案に否定的な考えを示す等政府・与党内の足並みは乱れている。
手詰まり感漂う歳出改革
その茂木氏は医療、介護の削減を念頭に「先ずは歳出改革等を徹底する」と語っている。衆院解散の観測も踏まえ、自民・公明両党内には「国民の負担増は避けたい」という念が強まる一方だ。
「歳出改革」の声は、財政再建派や企業負担を嫌う勢力からも上がっている。ゴングが鳴ったのは5月26日の経済財政諮問会議。経団連の十倉雅和会長ら4人の民間議員は、少子化対策に関して「徹底した歳出改革を大前提とすべきだ」と息を合わせた。
会議の席上、民間議員は診療、介護報酬の削減をはじめ、介護サービスの自己負担割合(原則1割)を2割とする対象者拡大の早期実現を迫った。
更に民間議員は医薬品の自己負担割合の引き上げや病床削減に繋がる地域医療構想の強化等も求めたのに対し、岸田首相は「医療・介護一体での効率的な提供体制の構築、徹底した給付の見直し等を重点的に進めて欲しい」と関係閣僚に指示した。
しかし、歳出改革も国民の痛みに直結する。約1兆円の社会保障費削減を実現するには年約1800億円ずつ、それを5年以上続けて積み上げて行く必要が有る。
政府はこれ迄も、赤字のプライマリーバランス(行政サービスの経費を税収等で賄えているかどうかを示す指標)を25年度に黒字化する目標に向け、社会保障費全体の伸びを年1000〜2000億円程度(国費ベース)ずつ圧縮してきた。圧縮分の一部は少子化対策に振り向けて来た。
1000億円超の社会保障費削減が容易では無い中、政府が頼る打ち出の小槌は公定薬価の削減だった。薬価が市場の取引価格より上回っている点を捉えてその差額を縮める手法で、反発を招き難い。昨年度は社会保障費の圧縮幅2200億円の内、1600億円を薬価削減で賄った。これ迄原則2年に1度だった薬価改定を21年度からは毎年改定に変え、削減のペースを上げている。
それでも、今後はこれ迄同様に薬価削減を頼みの綱とするのは難しくなって来ている。繰り返し削られて行く事が前提となり、日本の製薬メーカーの開発競争力を削ぐ様な結果に繋がったからだ。国産の画期的な新薬を生み出す力が乏しくなって来ているとされ、政府も危機感を抱いている。
医療は昨年10月、一定の所得が有る75歳以上の人の窓口負担割合を1割から2割に引き上げたばかり。又、75歳以上の人は出産一時金の増額財源として、保険料の上限額が24年度と25年度にかけて段階的に引き上げられる。更に今回の加速化プランの「支援金制度」では、医療保険料への上乗せが検討されている。これ以上医療保険制度を深掘りして財源を浮かす余地はそうそう無い。
介護はどうか。厚労省は24年度の介護保険制度見直しで、再び2割負担対象者の拡大や、65歳以上で一定以上所得の有る人の保険料引き上げ、介護施設の大部屋料金の自己負担化等を目指している。とは言え、何れも介護支援団体等の猛反発で撤回され、宙に浮いている案だ。
政府が少子化対策の財源に踏み込もうとしているのを睨み、自民党は5月26日に政調全体会議を開催し、約40人の参加者から意見を聴取した。萩生田光一・政調会長は「施策と財源の両面で責任有る対応をして行きたい」と挨拶したが、先陣を切った田村憲久・元厚労相は「社会保障をこれ以上切って医療や介護の崩壊を招くと、子育ての前に親の面倒を見なくてはいけなくなる」と反論し、他にも「医療・介護業界は賃上げが遅れている」といった異論が続出した。
「追加負担無し」は怪しい手品か
衆院の解散風を感じている議員が多く、会合はほぼ「負担増反対」一色。「聖域を設けてはいけない」との主張は数人止まりで「社会保障費の削減はもう手一杯。診療報酬を引き上げるべきだ」といった意見や、「恩恵を受けるのは将来世代。国債で賄うべきだ」と借金を容認する声も飛び出した。
混迷が続く中、24年度のトリプル(診療、介護、障害福祉サービスの各報酬)改定に視線が集まっている。医療や介護の報酬を抑えるとその分関係業界は傷むが、利用者の自己負担は減り、政治家にすれば「国民の負担軽減」をアピール出来る。
ただ、医療界には今以上の医療費抑制は医療崩壊に繋がる、との強い危機感が有る。介護も同様だ。5月26日の経済財政諮問会議で、加藤勝信・厚生労働相は「医療・介護分野では経営状況の悪化が生じ、賃上げも他分野に比べて進まない状況の中、人材確保の観点からも報酬の大幅な増額が必要だ。トリプル改定において、サービスの質の向上と同時に効率化を図って行く必要が有る」と診療報酬等の抑制を訴える民間議員等を牽制した。
又、医療・介護関連等の12団体は5月25日に合同声明を公表。「病や障害に苦しむ方々のための財源を切り崩してはならない」として、24年度トリプル改定での報酬増額の実現を強く求めた。
小泉政権時代、社会保障費の伸びを毎年2200億円圧縮する方針が貫かれ、厚労省は予算編成の度に苦しんだ。当時、課長補佐クラスだった厚労省幹部は「毎年毎年、局長を中心に七転八倒していた。あの悪夢がまた蘇るのか」と顔をしかめ、「少子化対策の財源は正面から国民に問うて求めるべきだ」と語る。
6月1日に公表されたこども未来戦略方針の素案からは、原案に有った「年末までに結論を得る」という財源確保に関する表記が削除されていた。「先送り」と言われる事を嫌った首相の意向だが、現時点で結論を出していない事に変わりは無い。
首相は「6月に策定する経済財政運営と改革の基本方針(骨太の方針)で、将来的な子ども子育て予算の倍増に向けた大枠を示す」と再三強調して来た。それが与党や関係団体の反発を受け、早くも腰砕けとなった。
1日のこども未来戦略会議。岸田首相は歳出改革を重視する姿勢を示し、「国民に実質的な追加負担を求める事無く、少子化対策を進めて行く」と語った。社会保障を削って保険料を抑えれば、「支援金制度」で上乗せする分を帳消し出来るという趣旨だ。しかし、「怪しい手品の様な話」(厚労省幹部)であり、空手形に終わる公算が大きい。
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