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未来の会

第23回 私と医療 ゲスト竹田 晋浩 医療法人社団康幸会かわぐち心臓呼吸器病院 理事長・院長 NPO法人日本ECMOnet 理事長

第23回 私と医療 ゲスト竹田 晋浩 医療法人社団康幸会かわぐち心臓呼吸器病院 理事長・院長 NPO法人日本ECMOnet 理事長
GUEST DATA:竹田 晋浩(たけだ・しんひろ)
①生年月日:1960年3月30日 ②出身地:京都府 ③感動した本:『坂の上の雲』司馬遼太郎 ④恩師:栗原栄先生(京都府立福知山高校)、髙野照夫先生(日本医科大学名誉教授、元付属病院長、循環器内科主任教授、付属病院集中治療室教授)、小川龍先生(日本医科大学名誉教授、元麻酔科主任教授)、井上哲夫先生(日本医科大学名誉教授、元千葉北総病院長)、Sten Lindhal先生(カロリンスカ研究所名誉教授、元ノーベル医学賞選考委員長)⑤好きな言葉:Fortune favours the bold.(幸運は勇者を好む)⑥幼少時代の夢:パイロット、F1レーサー、医師 ⑦将来実現をしたい事:重症治療管理発展、ECMO治療体制の確立(若手の育成)
幼少の怪我・病気の体験が医師になるきっかけに

育ったのは京都の福知山です。父は9人兄弟の長男で、公務員だった祖父が早くに亡くなった為、兄弟を養う為に苦労したそうです。母は教育熱心で、小学校の頃は勉強に関しては殊に厳しい人でした。

私は幼い頃に2度犬に嚙まれ、病院にお世話になりました。幼稚園の時には鼠径ヘルニアも患い手術を受けました。そうした事が続き、知らずと医師という職業に憧れを抱く様になりました。中学生になり、医学部は最も難しい学部だと知ると、その気持ちはより明確なものになりました。両親に医学部に行きたいと伝えた時は喜んで賛成してくれ、母も安心したのか、勉強について口出しする事は無くなりました。

スポーツで青春を謳歌・人生のパートナーとの出会い

中高は卓球部でした。京都は卓球が強く、私が通っていた高校も近畿大会でベスト4という成績を収めました。練習は厳しく、放課後に18時まで練習し、一度家に帰って夕飯を食べた後、再び市民体育館に集まり22時まで練習するという生活でしたが、受験勉強に専念する為、高校2年の夏で引退せざるを得ませんでした。大学ではスキー部に入部し、再び体育会系の生活になりました。当時の体は筋肉質で、デパートに卒業式用のスーツを仕立てに行った時、店員さんが私の太腿を見て競輪の選手と間違えた程です。

妻とは学生時代に沖縄で知り合いました。4歳年上の私が世の中の事を教える事もありました。妻が客室乗務員(CA)としてキャリアを積んだ後、結婚し、私の留学先であるスウェーデンで出産も経験しました。

マスク式人工呼吸のエビデンス確立に貢献

研修医が終わって大学院では心臓の研究に進みたいと考えていました。ところが当時の教授から肺を勧められ、集中治療室の専従になりました。周りには、心臓には目を向けても、肺に着目する人はあまり居ませんでした。ただ、隣の臓器なので、心臓が悪くなれば肺も悪くなります。重症の心不全になると、肺水腫といって肺に水が溜まります。低酸素状態になり、挿管・人工呼吸が必要になります。この時に大変なのが水分による心臓と肺への負担で、体を横にすると却って苦しくなリます。救急車で搬送される時も座って運ばれます。それでも気管挿管をするには体を横にする必要が有る為、ストレッチャーに真横に寝かせるのですが、それだけで心停止になってしまう事がよく有りました。しかし、座ったままでは心電図や超音波の検査も出来ません。

こうした中、1991年にマスク式人工呼吸法の論文が出ました。これは心不全による肺水腫にも使えるかも知れないと考え、機器メーカーにお願いして全く同じセッティングを再現すると、見事に効果が出ました。直ぐに研究のプロトコルを準備して2つの臨床研究を行い、論文を出しました。初めは相手にされませんでしたが、10年経った2003年頃、ようやく世界的なエビデンスとして確立し、認められる様になりました。ランセット、JAMA、コクランの厳格な3つのメタアナリシス全てで良い結果が得られたのです。実はこの解析対象となった14件程の論文の内、2件は私の論文でした。

麻薬による呼吸停止のメカニズムを解明

留学先のカロリンスカ研究所は、人工呼吸器を生み出した事でも世界的に有名です。私は専門とする肺に関する研究が出来るものと考えていたのですが、肺は肺でも、脳が如何にして呼吸を司っているのかを調べるという、私が最も苦手としていた神経生理学の研究でした。慌てて後輩に電話をして、学生向けの一番薄い神経生理学の参考書を送ってもらいました。麻薬には痛みを抑える作用だけでなく、呼吸を停止させる副作用が有ります。その原因となるニューロンの働きを解明するに至り、後に教科書に載りました。

09年の新型インフルエンザ後は、呼吸不全に対する体外式膜型人工肺(ECMO)の技術を学ぶ為、再びカロリンスカ研究所を訪れました。ここでの経験が今回のCOVID-19での救命に活かされる事になりました。人生何がどこで功を奏するのか分からないものです。例え望むものでなかったとしても、目の前にやるべき課題が有れば、それと向き合って邁進し、やり遂げる事が大事なのだと痛感しました。

コロナ収束後も次のステップに向けて突き進む

オミクロン株以降、コロナ重症者が減り、ECMOを必要とする患者さんの数も大分少なくなりました。3年間続けて来た24時間365日の相談窓口は、23年度から厚生労働省による資金援助が無くなりますが、今でも時々コロナ以外の患者さんの相談を受ける事が有ります。今後も、パンデミックにならずとも小さな規模の感染症の流行は必ずやって来ます。その時の為にも、ボランティアとして相談窓口は継続して行きたいと考えています。又、症例が少なくなれば技術を維持する事が難しくなる為、定期的な講習会は引き続き実施して行きます。更にこの5月には、新たに一般社団法人のECMOの学会を設立します。心臓専門の大阪警察病院長の澤芳樹先生、心肺蘇生専門の公立昭和病院長の坂本哲也先生と協同し、肺のみならず心臓を含めたECMOの専門団体として活動して行きます。

同時に、自分の病院も発展させて行かなければなりません。病院企画室の一員として支えてくれている妻は、CAの経験から病院にもサービス精神が必要だと言い、接遇研修を取り入れる等、環境整備を進めています。循環器と呼吸器の専門病院としては、特に心臓関連のニーズに応えて行きたいと考えています。今「心不全パンデミック」と言われる程、心臓血管病の患者さんが急増しています。中でも大動脈解離は緊急手術を要する深刻な疾患です。これに対応する為、埼玉県では大動脈緊急症治療ネットワークの運営が始まりました。対応可能な時間帯別に登録施設をランク付けしておく事で、搬送先を探す時間を大幅に短縮し、24時間迅速に対応出来る体制となりました。1つの体制が出来上がれば、それを維持して行く事が必要です。そして、更なる飛躍を目指します。まだまだやるべき事は沢山有ります。

インタビューを終えて

コロナ禍でECMOは誰もが知る名前になった。多くの命を救ったと22年4月、ノーベル賞に次ぐ権威が有ると言われる「カロリンスカ研究所・名誉博士号」を授与された。内閣総理大臣賞も受賞。これらの栄誉で竹田晋浩の名前は世界の医学会で誰もが知る名前になった。日本の医学の力を世界に示した。本人の希望ではない肺で成功を勝ち取った事も意味深い。(OJ)


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