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未来の会

第163回 患者のキモチ医師のココロ 窮地に陥る”患者さん”になってみて

第163回 患者のキモチ医師のココロ 窮地に陥る”患者さん”になってみて

 医療従事者のひとりとして考えさせられる体験をしたので、個人的な話になるが記してみたい。

 先日、自分自身のちょっとした健康上の問題により、患者として大きな病院を受診するという経験をした。印象的だったのは、職員のマナーのよさだ。看護師や医師はもちろん、放射線技師、臨床検査技師、受付など、誰もが笑顔で丁寧に接してくれる。身だしなみも満点だ。採血ひとつするにも、「今日、担当しますサトウです」などときちんと名前を名乗ってゆっくり一礼してから始めるのには驚いた。高級ホテルに来たかのようだ。

接客アンドロイドと融通

 ただ、当然のことながらすべてがガイドライン化、そして電子化されているので、ちょっとした融通もきかない。たとえば、結果の説明を聴きに来るようにと言われても、へき地診療所で働いている私は現在、丸1日休むのがむずかしい状況なので、「外来受付は午後3時までとなってますが、午前中の仕事と移動の関係で少し遅れてしまいそうです」と頼み込まなければならない。すると、受付の担当者は柔らかな笑顔のまま「ご事情はわかりますが、受付は3時で終了です」と言う。「なんとか3時10分までには来られるようにしますので」と言っても、「ご事情はわかります。でも……」ともう1度、同じメッセージが繰り返されるだけだ。先方には何の落ち度も悪意もないのだが、よくできた接客アンドロイドと話しているような気になってきて、「いくら丁寧な物腰でも全然わかってもらえてないんだ」という失意が胸に広がった。そして次第に、そもそも病院に来て検査を受けていること自体、自分が弱くてみじめな立場に置かれているような気すらしてきた。

 ところが、そのあと、ある部門でまったくそれらをすべて吹き飛ばすような出来事が起きたのだ。

 そこではおそらく私と同じ年代、つまり60代と思しき看護師が説明に来た。白髪を無造作に束ねており、その日、会ったホテルのフロントにいる職員のような人たちとは明らかに雰囲気が違う。彼女は名前を名乗るのもそこそこに話し始めた。

 「あなた、時間の制約があるみたいね。もしかして看護師さんなの? え、ドクター? へき地で働いてる? あらあら、それはたいへん。この日のこの時間に来られるかしら。むずかしい?」

 私はそのざっくばらんな口調にホッとして、自分の事情を正直に話した。

 「実はその前の日は当直なんで、病院を出られるのが朝の〇時、ここに着くのが〇時になりそうなんです。私の診療所、とても人手不足で。どうしたらいいですかね」

 するとそのシニア看護師は、「うーん」としばし考えてから、「わかった。よし、こうしましょう!」と言った。そして、「到着したらまずこのフロアに行って手続きだけして、待ち時間のあいだにここで説明を聴いて、それから……」とアクロバットのようなプランを授けてくれた。私は一生懸命メモを取り、「大丈夫? できるかしら」と私の顔をのぞき込む彼女に、「ありがとうございます! これなら絶対大丈夫、本当に助かります!」と勢いよく答えた。まさに戦地に援軍が来てくれたような心境。私の胸からは先ほどまでの失意は消え、「よし、検査の説明を受けて解放されるまであとひと息だ」と晴れやかな気持ちで病院をあとにすることができた。

マニュアルにはないコミュニケーション

 さてここまでの話を読んでどう思っただろう。

 「言っていることはわかるが、そのベテラン看護師は院内のマニュアルを守ってないんじゃないか。みんながそんな勝手なやり方を取り始めたら、あっという間に秩序は崩壊する。やっぱり誰であっても一律に決まったルールを適用すべきだ」と思う人もいるはずだ。もし自分の医療機関の研修医がそういうことをしたら、私もそう指導するに違いない。

 ただ、おそらく看護歴40年にもなるその人は、どんな場合も適当にマニュアルとは違う対応をしているわけではない。「ここまでなら融通をきかせても大丈夫。でも、これに関してはどうしてもルール通りにしてもらいたい」という見極めができるからこそ、私に「じゃあ、こうしましょう」と現実的なプランを提案してくれたのだ。

 それは“年の功”というか、経験を積み重ねなければできないことだが、若手でもできることがある。それは、患者さんが語ったり訴えたりする個別の事情に対して、なるべくあいづちのバリエーションを増やすということだ。

 医療コミュニケーションのテキストには「わかります」「お察しします」「おつらいですよね」といったワードが書かれているが、窮地に陥っているときにそればかり繰り返されると、私がそうだったように「これはあくまで接客サービスであって、人間として理解してもらってるわけではないんだ」という疎外感を抱くことになる。それならむしろ、「え? 3時に来てもらわないと困るんですよ。3時以降、こっちも事務作業がいっぱいあるんで」などと否定的でも人間的な返答をしてもらう方がマシではないか、と思うくらいだ。

 先のベテラン看護師は、来院時間に悩む私に「たいへんなのね。もしかして看護師さん?」と一歩、踏み込んだことを言った。これも「患者さんのプライバシーにかかわる質問はNG」といったマニュアルがあるなら、それに抵触するだろう。しかし、そう言ってくれたおかげで、私は「医者なんです。当直があるんですよ」と率直に事情を話せて、その先の展開もスムーズになった。もちろん、いきなり誰にでも「あなたは子育て中のお母さん?」「夜の仕事に就いてるの?」など立ち入った質問をすればよいというわけではないが、「時間が限られていて」と言う人に「大変ですね」ではなく、「仕事で? それともお家のことで?」と軽く質問するくらいならよいだろう。

 では、この「返答のバリエーション」を増やすにはどうしたらよいか。私のおすすめは「小説を読むこと」だ。それもドストエフスキーやスタンダールなどの西洋古典ではなく、会話の多い日本の現代小説やミステリーがよい。奥田英朗、角田光代、恩田陸、佐藤正午など“売れっ子”の中から自分がおもしろく読める作家を決めて、とくに会話のあいづちに注目しながら読書をする。それだけであいづちのバリエーションはぐっと増えるのではないか。

 マニュアルやガイドラインは当然のことながらしっかり身につける。その上で臨機応変な対応やバリエーション豊かなコミュニケーションができるようになれば、患者さんの病気と向き合おうというモチベーションもずいぶん上がり、治療成績にも効果が現れるはずだと思う。

 自分が大病院を患者として訪れるという経験から、医療コミュニケーションの極意のようなものを学ばせてもらった。やっぱりたまには医療の送り手ではなくて受け手、ユーザーになってみることも大切だ、と改めて思った次第である。健康を害してしょっちゅう受診するのは避けたいが、これからも機会があれば“患者さん”になってみたいと思う。

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