先日、大学病院の総合診療科外来で経験した出来事だ。登場人物の個人情報がわからないように細部を変えて書いてみたい。私は長期間、臨床は精神科でしか行ってこなかったが、へき地診療所の総合診療医になるため、5年ほど前から大学病院総合診療科でときどき外来診療を行わせてもらっている。いわゆるオン・ザ・ジョブ・トレーニングであり、そのときによって専門医に鑑別診断などについて教えを乞うこともあれば、逆に私が研修医を指導することもある、という立場だ。
抗うつ剤治療を必要としない心因性不調
その日は卒後1年目の研修医に問診や身体診察を行ってもらい、そのあといっしょに診察をして診断を確定していく、ということになっていた。全身の倦怠感などの訴えでやってきた若い男性が、地元のクリニックでひと通りの検査をしても異常がないとのことで紹介されて受診した。誰もがすぐに「心因があるのではないか」と疑うケースだと思うが、身体疾患の見逃しがあったらたいへんだ。研修医には、クリニックからの診療情報はいったん忘れて、一からきちんと問診し、身体診察を行ってください、と伝えた。
30分ほどたって研修医は「やっぱりとくに所見はないようです」と報告してきたので、「ストレスはどうでしたか」ときくと「ちょっと特殊な仕事をしているようで、いろいろたいへんそうではありますが」と言う。「ではそのあたりにも焦点を絞りながら話を聴きますか」と患者さんを診察室に呼び入れた。
その男性は受診の3カ月ほど前、新型コロナウイルス感染症に罹患しており、隔離期間が終わるとすぐにハードな生活に戻ったようだ。十分な回復を待たずにがんばりすぎたことが、倦怠感が長引く要因になったのかもしれない。
しかし、そもそもなぜそれほど過酷な生活をしているのか。生活歴に話を向けると、子どもの頃からかなりたいへんな境遇で育ち、そこからなんとか抜けるために特殊な仕事を選び、ギリギリの線まで自分を追い込んで生活していることがわかってきた。というより、いまの生活から脱落すればまた以前の環境に戻るしかない、という状況なのである。「もし体調が戻らず、いまの生活が続けられなくなったらどうしよう」というあせりが、さらに症状の悪化を招いていることは確実だった。
「なるほど。よくわかりました。あなたはなんとかいまの生活を続けたいんですよね。だとしたら、いまはとにかく1度、完全な休養を取り、コロナで疲れきった心身をゆるめて休めることです。それができれば、必ず回復してまた前のようにがんばりがきくようになります。そうなるまでしっかり治療させてもらいます」。
最終的に私はそんな話をして、症状や体質に応じた漢方薬を処方し、自宅療養が必要という診断書を書いて、再診の予約を取ってからお帰りいただいた。
そのあとの振り返りで研修医は言った。「あの人、結局、メンタル的な要素が強かったということですか。だとしたら、メンタル科への紹介がよかったのではないでしょうか」。
積極的な発言に感心しながらも、私は「うーん」とうなってしまった。その男性は、私からは精神的健康度はとても高い人に見えたからだ。逆に「これほど過酷な環境で生育したのに、よく自分で道を切り拓こうという気になってここまでがんばれたな」とそのレジリエンスの高さに感心したほどだ。
私は研修医にきいた。「もしメンタル科に紹介したら、どんな治療が行われたと思う? いま抗うつ剤を出すことで彼の症状は治ると思いますか?」。それに対して返ってきた答えは、「そうですね……。薬がきくかどうかはわからないけど、話は聴いてもらえるんじゃないですかね」。それに対して私は答えた。「そうですよね、彼の場合、本人がうつ病というんじゃなくて、彼を取り巻く環境が厳しいから追い込まれてるわけでしょう。だとしたら、抗うつ剤の服用で解決する問題じゃないですよね。それに……」。研修医は「え?」という顔をした。「それに、話を聴いて励ますことなら、精神科医じゃなくてもできるでしょう」。
もちろん、精神科医は「無条件の肯定的関心」などを柱とするカール・ロジャーズの唱えた傾聴法などを学ぶので、より専門的な“聴き方”はできるかもしれない。しかし、この男性のようにもともと精神的な健康度が高く、現在、明らかな重症のうつ状態や錯乱状態などに陥っているわけでもないケースの話なら、専門的トレーニングを受けていない一般の医師でも十分に聴けるはずなのだ。私は研修医に伝えた。
「ここは総合診療科だからもちろん、患者さんの全身的な診察や必要な検査を行って、診断推論により除外診断を行って正確な診断に近づいていくのが必須なのだけど、患者さんというのは“世に棲む人びと”なんですよ。だから、その人のからだの中で何が起きているかだけではなくて、その人がどういう状況、環境に囲まれて生きてきたのか、いまどんな生活を送っているのかという外の問題にもちょっと気を向けられる医師になってほしいですね」
研修医にはもともと私が精神科出身ということは伝えていなかったので、「はい」と言いながらも表情は微妙であった。「全身倦怠感の主訴で考えられる疾患を10個あげてください」などと言われるかと思いきや、「患者さんがどんな環境に囲まれているのか」などと外の話をされてちょっと拍子抜けしたのかもしれない。「メンタル要因が強いと診断がついたらすみやかにメンタル専門医に送るのが総合診療医の役割だろう」と思った可能性もある。
メンタル科でなくとも診ることができる
総合診療科の外来にいると、いつもこの問題を考えさせられる。「メンタル科に送らなくても、ここで診られる心因性の不調もあるのではないか」ということだ。実際にこれまで初診の患者さんの何割かは、その生育歴や生活の背景を少しだけ時間をかけて聴き、「たいへんでしたね」「それは心配になりますよね」と共感的なワードであいづちを打つだけで、2週間後の再診では「あれから痛みは1度も出ていません」「症状がウソのように消えたんですよ」と語った。逆に言えば、これまで何箇所もの医療機関を受診しても、そういった言葉をかけてもらった経験が1度もなかったということだ。
そんな話をしたら、ある人に言われた。「精神科出身のあなたが“内科やかかりつけ医でも心のケアができます”とレクチャーすればニーズはあるかもしれないけど、精神科医が仕事を失うことになるんじゃないの」。そんなことはない。精神科を標榜しているクリニックや総合病院の外来は、躁うつ病、発達障害、高齢者の妄想性障害や認知症などの初診の予約がどこも数カ月取れないほど、受診希望者が殺到しているときく。だから、いわゆる心身症にあたるような「ストレスが原因でからだに不調が出現しているケース」に関しては、内科や総合診療科で心身両面にわたってのアプローチをしてもらえたら、と精神科医たちも思っているのだ。「内科医もできるメンタルケア」を勉強するドクターが増えることを願っている。
LEAVE A REPLY