28年前に神戸で学んだ真の精神医療
2022年も多くの著名人が亡くなった。8月8日、88歳で死去した精神科医の中井久夫さんは、28年前、駆け出しの新聞記者だった筆者に精神医療の本質を教えてくれた恩人でもある。
1995年1月17日、神戸新聞に勤務していた筆者は、震度7の激震と共に神戸の街に突然投げ出された。古い木造家屋がことごとくつぶれ、その下に多くの人が埋まっている。しかし、数が多過ぎて救助の手が回らない。まもなく長田区では火の手が上がり、がれきの下から這い出せない人たちが次々と焼かれていった。地獄だった。
社会部医療担当遊軍となった筆者は、西は淡路島から東は西宮、尼崎まで被災地を駆け回り、取材を続けた。自宅の被害は軽微だったが、戻る時間はない。トリアージ、クラッシュ症候群、ヘリや船での救急搬送、透析患者支援、倒壊建物のアスベスト対策など、阪神淡路大震災は医療の面でも初物尽くしであり、様々な問題や課題が噴出したからだ。
避難所でも悲劇は続いた。高齢者らが寒さによる持病悪化やインフルエンザで次々と死亡していったのだ。筆者は避難所や行政、医療機関の取材をもとにその数を推計し、同様の調査を行っていた神戸の医師と共に、当時は言葉すらなかった「震災関連死」の実態を報告して早急な対策を求めた。高齢者らの避難環境は次第に改善していった。
厳冬を乗り越えると、被災地にも桜が咲いた。「復興」という言葉が瓦礫だらけの街に飛び交い、マスコミは力強く立ち上がる被災住民らの姿を追った。ところがその陰で、「こころ」の問題が深刻化していった。同年春、筆者は神戸大学医学部精神神経科の医局を訪ねた。その頃に出版された中井さん編著の書籍『1995年1月・神戸─「阪神大震災」下の精神科医たち』(みすず書房)を読み、被災地の医療記者として、これからなすべきことを発見したからだ。
心的外傷後ストレス障害(PTSD)。その言葉は当時、日本ではほとんど知られていなかった。中井さんは神戸でのPTSDの発生を予想し、その通りになった。
私は時間をかけて症例を追い、中井さんから有益な助言や的確なコメントをもらった。そして同年秋、心的外傷をテーマにした特集『大震災─漂流するこころ』を朝刊に24回連載した。
この連載で重視したのは、PTSDを騒ぎ立てることではない。大災害後のストレス反応は回復の1過程で、時間と共に消失すると強調した。PTSDという病的状態に陥った場合でも、1番の薬は周囲の支えであると書いた。今読み返しても恥ずかしくない内容にできたのは、中井さんのおかげだ。
筆者は読売新聞移籍後も医療担当となり、精神医療を多く取り上げた。ところが取材で直面した精神医療の多くは、人と人とのつながりを分断し、過剰な投薬や拘束でエネルギーを削ぎ、人権も自由も自己決定権も奪い、かえって悪化させるシステムだった。そこには、中井さんが重視した「自然治癒力への信頼と自己尊厳の回復」は微塵もない。
そんなものが「精神医療」の看板を掲げて医療費を収奪している。筆者は、精神医療の良心や真の価値を知っているからこそ、その名を語る人間破壊行為への怒りを抑えられない。
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