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未来の会

第88回 世界目線 医師が組織に属するということ ②

第88回 世界目線 医師が組織に属するということ ②

前回、働き方改革の本質は人口減少社会になってしまった日本で、働き手を増やすことだと述べた。

そのためには、子育て世代の女性、高齢者、障害者や難病患者さんなどにも働く機会を増やす必要がある。具体的にはどのような方策が考えられるだろうか。例えば、ワークライフバランス先進国である北欧の取り組みなどが興味深い。北欧諸国では、長期有給休暇の取得や6時間勤務制が広まっていることから、労働時間は短いと言われている。また、女性の就業率が非常に高く、高福祉国家であるがゆえに障害者らの幸福度も高いとされる。

働き手を増やす方策を考える

働き方改革は、もちろん労働者の安全や健康を保つためのものである。が、それと同時に経済力としての国力を増すという目的もある。だからこそ、働き手を増やし、労働力の総量を増やさねばならない。医療の世界も同様である。

医療界でも、多様な働き方の認容によって、今まで働きたくても働けなかった人を職場に呼び込もうとする考え方や、短時間勤務の推進という案が出てきたわけであるが、ここで言っている短時間勤務とは、一般の労働者が週1〜2日アルバイト的に勤務するイメージである。医師は、もともとスポット的な短時間勤務がしやすいので(いくらでも仕事は降って湧いてくるのかという問題はあるものの)働き方改革の恩恵を受けることは間違いないだろう。

その意味で、女性医師の場合は、「診療科を選べば」という前提はつくかも知れないが、最先端の働き方がかなり実現されて来ているのではないだろうか。例えば子育て中でも、短時間勤務ならば可能な場合もある。また近年は病院の体制整備も進んでいる上、男性も育休を取りやすくなったことで、女性医師がキャリアを途切れさせずにそのまま病院に勤務をすることも、十分に可能である。

今年、東京大学医学部に合格した人数が一番多かったのは、長年トップだった開成高校、灘高校、筑波大附属駒場高校を上回り、日本でも指折りの女子高である桜蔭高校だったというニュースがあった。女性医師たちの働き方が変化したことで、ひょっとすると女子生徒の医学部志向にも変化が起きているのかも知れない。

医師の「世界の狭さ」について考える

ところで、現在のテーマである「組織人としての医師」に関連して、卑近な例で恐縮だが、こんな笑えぬ話を聞いたことがある。「ある勤務医師が20年ぶりに高校の友人3人と食事をした。食事代を誰が払うかという場面でその医師は当然、自分の給料が一番多いだろうと思い全額支払った。しかし、2次会でよくよく聞いてみると、自分の給料が一番安かった」。ここで私が問題にしたいのは、給料の多寡ではなく、医師の世界に身を置くことによって生まれてしまう「見識の狭さ」である。

私の著書に『医師は変われるか—医療の新しい可能性を求めて—』(はる書房)がある。2000年の上梓で少し時間は経っているが、米国留学の直後に執筆したので、ギャップの感じ方については現在の問題に通じる面も多く、また、この20年間で状況にはほぼ変化がなかったという点の確認にもなるので、そこから引用していきたい。

その中でも触れているが、留学中、真剣に医師としての生活を考え直す経験をし、大きな転機を迎えられたことは幸運だった。日米の医学・医療の差を見聞きしたこともだが、いろいろな人間と知り合ったことは、その後の人生においても大きな財産となった。私の留学先であるニューヨーク・マンハッタンは、ご存知のようにビジネスの街である。私は留学でこの地を訪れるまでは、名古屋市で生まれ育ち、医学部へ進み医師となったこともあり、比較的閉鎖的な環境の中にいた。そういう意味で、多くの異業種の方々との出会いは印象的なことが多かったのだ。

広い意味での医学・医療を学ぶ機会がない

私は愛知県人会やさまざまな交流会を通して、自分とは違う分野で活躍している多くの人たちを見る機会に恵まれた。現在は少し変わってきているが、その当時痛切に思ったことは、「医師は将来が予測しやすい仕事だ」ということと、「医師は勉強する場が外部から与えられない仕事だ」ということだった。

前者については、必ずしも悪い意味ばかりではない。医師という職業は、研修医と臨床以外での働き方を除くと、勤務医、開業医、留学中の医師に簡単に分類することが出来る。私の同時期に留学していた医師たちも、帰国後は大学に残り、場合によっては教授を目指したり、勤務医か開業医になったりしている。極めて安定した路線ではあるが、大きな変化を求めるのは難しいということである。

後者については補足すると、医師は、少なくとも医学に関しては勉強熱心である。しかし日本企業には、部長などになると若い部下には研修に行かせるのに、自分では本も読まないという人も多いと聞く。私が所属したことのある日本の製薬企業は、勉強になる書籍をほとんどおいていなかった。それに比すれば、日々文献を読み漁る医師は極めて勉強熱心である。

ゆえに、ここで問題にしたいのは、“専門分野以外を勉強する機会が与えられないこと”である。医師の世界は、学会こそ多いが、勉強に対する補助が少なすぎるのではないだろうか。もっと言えば、広い意味での医学・医療、例えば「医療システム」を学ぶような場が与えられることは少ない。

医師はなぜ世界が狭いのか

では、なぜ医師の世界はそう狭くなってしまうのだろうか。まず、医師にとっては患者が主たる相手で、仲間も医師を中心とする医療従事者であることが多い。よほど気を付けていないと、その人たち以外との接点を持ち難い。

このような状況はもちろん海外(ここでは米国)の医師にも当てはまるのだが、1つ決定的な違いがある。米国の医学部である「メディカルスクール」は、日本での大学院にあたり、通常の学部で4年間学んだ者でなければ入学出来ないのである。18歳で医師になる選択をしなければならない日本と比べると、4年制大学を卒業した上での医学部生活となるため、おのずと社会的な視点が加わってくると言えるだろう。

この点については、聖路加国際病院の故日野原先生が、日本の医学部も米国のメディカルスクール方式に変えるべきだと主張され、聖路加国際大学と同じキリスト教の立教大学が連携する形で自らメディカルスクールを創設されようとしたことも記憶に新しい。

往時には実現はせず、議論もいつの間にか立ち消えになってしまったが、このメディカルスクール構想の視点は、患者が単なる臓器の機能不全に陥っているだけではなく、社会面や精神面でも悩みを抱えているということにも配慮しなければならないという、全人的医療につながる視点である。

近年はそれに加えて「組織人でもある医師」という視点も生まれてきている。社会人経験のある人が医学部を再受験し、学士入学者として医学部に入学することがあるが、こうした一般企業での勤務経験がある医学生は、組織人とは何かということを理解している場合が多い。米国や欧州の病院は規模が大きいことが通常で、働いている従業員の数が多く、おのずと組織人にならざるを得ない。その点日本は、「医師は特別」という感覚があったり、中小の病院が多かったりするため、そうはいかなかった。しかし、徐々に変化が生まれつつあるといえるだろう。

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