ウイルス感染がん撲滅の悲願達成なるか
発がんの詳細なメカニズムには尚不明な所も多いが、因果関係が明確な発がん原因も幾つか在る。中でも日本人のがんの原因の約20%を占めると推計されるのが感染によるものだが、胃がんはピロリ菌感染の減少によって、肝がんはウイルス肝炎への対策が奏功している事で罹患は減少傾向にある。しかし、2000年頃から発症が上昇傾向に転じているのが子宮頸がんである。これには、10年にワクチンの公費接種が開始されながら、積極的な勧奨が差し控えられた影響が少なからずあったと見られている。
子宮頸がん予防に必要なHPVワクチン
ヒトパピローマウイルス(HPV)が子宮頸部へ感染する事で子宮頸がんへ進行する可能性が高まる。HPVは、正20面体のカプシド(内部のウイルス核酸を取り囲むタンパク質の殻)に覆われたDNAウイルスである。HPV-DNAは、子宮頸がんとその前がん病変である異形成の9割以上で認められるとされる。HPVの遺伝子型は200種類以上在り、異形成には軽度異形成(CIN1)、中等度異形成(CIN2)、高度異形成・上皮内がん(CIN3)の3種類が在るが、程度が上がると、ハイリスク群のDNAの検出例が増加。子宮頸がん発症者では、ほぼハイリスク群が認められる。中でも、HPV16/18型は、CIN3以上の病変の6割以上で認められる。
この為、子宮頸がんの1次予防にはHPVワクチンが重要になる。HPVカプシド遺伝子をプラスミドに組み込んで増殖させられたカプシドがワクチンとなり、これを筋肉注射する。子宮頸部がHPVに感染するとIgA抗体が作られるが、ワクチン接種では大量のIgG抗体が作られる事で感染予防効果がもたらされる。
HPVワクチンは、06年に米国で承認され使用が始まった。日本では10年に自治体毎の公費接種が開始、13年4月から定期接種に含められた。しかし2カ月後、厚生労働省は積極的勧奨の一時中止を発表した。背景には、接種後に生じた多様な症状について、マスメディアがセンセーショナルに報じた事が在るとされる。一時は7割を超えていたHPVワクチン接種率は、1%を切る迄に減少した。
日本では、年間約1万人が子宮頸がんに罹患し、約2800人が命を落とす。しかもそれが、先進諸国の趨勢に反して上昇傾向に転じている事は問題視されていた。約8年の空白の後、22年4月から厚労省は、ワクチンの積極的な接種呼び掛けを再開し、小学校6年生から高校生迄の女性に対して2種類のウイルス(HPV16/18型)に対する2価ワクチンと、それらを含む4価(HPV6/11/16/18型)ワクチンの定期接種を実施している。
更に10月4日、厚労省厚生科学審議会予防接種・ワクチン分科会予防接種基本方針部会は、9価HPVワクチンを定期接種とする方針を了承した。海外で広く使用されている9価ワクチンの定期接種は、23年4月にスタートする事になる。
9価ワクチンは、4価ワクチンに含まれるHPVに、新たにHPV31/33/45/52/58型のVLP(Virus Like Particle=ウイルス様粒子)を加えたワクチンである。米製薬大手メルクの日本法人MSDの「シルガード9」として、20年7月に国内の製造販売が承認されている。VLPは、ウイルスと同様の外部構造を有し、高い免疫獲得効果が得られると期待される。又、VLPワクチンは、遺伝子情報を持たない事から体内でウイルスが増殖せず、安全性に優れるワクチンである。
海外では、9価ワクチンは2回接種が主流で、3回接種と有効性において有意差は無いとされているが、日本では9価HPVワクチンの接種方法として3回接種のみが承認された事から、9価ワクチンは3回接種となる見込みである。
従来の2価・4価ワクチンがHPV感染の6〜7割を予防出来るのに対して、9価ワクチンは8〜9割をカバー出来る。治験等の結果によると、重篤な副反応の発生頻度は0〜0.3%で、頭痛(2〜20%)、発熱(2〜9%)が多く、全身症状は4価ワクチンと同程度とされる。
現在世界各国で、HPVワクチンによるHPV感染率、細胞診異常率、組織診異常率の低下が報告されている。20年にはスウェーデン、英国、デンマークから相次いで、HPVワクチン接種者で浸潤子宮頸がんの罹患率が減少したという報告があった。
日本のHPVワクチンの有効性と安全性
日本でも、積極的勧奨が中止される以前のHPVワクチン接種世代で、有効性と安全性を示した事が報告されている。
例えば、厚生労働科学研究費補助金研究「子宮頸がんワクチンの有効性と安全性の評価に関する疫学研究」(研究代表者=祖父江友孝・大阪大学教授)の一部として始まった「有効性に関する症例対照研究」は、全国自治体症例対照研究J Study(主任研究者=榎本隆之・新潟大学教授)として引き継がれた。J Studyは、全国31自治体の約9万人を対象に、組織診異常に対する有効性を調査した症例対照研究である。
この研究では、細胞診正常者および組織診異常者(CIN1以上)を調査した結果が報告されている。それによれば、公費接種世代を含む20〜24歳においてはCIN1以上、CIN2以上、CIN3以上に対して、HPVワクチン接種群のオッズ比は、0.42、0.25、0.19であった。CIN1以上で58%、CIN2以上で75%の有効性が認められ、CIN3以上は症例数の少なさから有意な差とはならなかったが、HPVワクチンの有効性を示す結果である。
又、人口規模の大きい25自治体の20歳時子宮頸がん検診データを用いた研究結果も報告された。HPVワクチン接種世代におけるCIN3以上の発生率は0.02%で、ワクチン接種世代が導入前世代よりも低い事が明らかになった(P=0.0008)。
国内外でHPVの有効性を確認する報告に鑑み、厚労省は勧奨の再開を決定した。一方で、副反応症状を訴える人への支援体制の拡充、積極的勧奨中止により接種機会を逃した人へはキャッチアップ接種もなされる事になった。
接種勧奨差し控え中に手引書作成し副反応対策
さて、懸案の副反応であるが、積極的接種勧奨差し控え中に、日本医師会・日本医学会は「診療の手引き」を作成し、国は各都道府県に協力医療機関を設置して診療体制を整え、該当する患者には医療費等の救済処置を支給する等の対応がなされて来た。
15年の厚労科学審議会の報告によれば、「疼痛又は運動障害を中心とする多様な症状」の発現頻度は、接種者1万人当たり、7.6人が発症、0.54人が遷延・未回復となっている。18年のリーフレットでは、痛みは接種した部位からそれ以外に広がり変動、筋力低下や運動の異常は注意がそれた場合に乖離し、症状は知覚、運動、自律神経、認知機能に関するもの等多様、とされている。心身の症状から機能性身体症状が引き起こされていると考えられ、HPVワクチン接種との因果関係は否定も肯定も出来ないとされた。
WHO(世界保健機関)のワクチン安全性諮問委員会は、「ISRR:Immunization Stress-Related Responses:予防接種ストレス関連反応」という概念を提唱している。これは、ストレスへの反応は、身体的、心理的、社会的因子が複合的に絡み合って生じるというものだ。予防接種も言わばストレスであり、被接種者のワクチンに関する有害事象は、医療者が医療面と精神面から非接種者に配慮する事で解消出来、適切な対処を行うことが、安全な予防接種に結び付くとされる。
最近のコロナ禍は、図らずも感染症の脅威を再認識させる事になった。衛生概念が普及し、感染が原因となるがんは世界的に減少傾向にある。こうした時期に再開されるHPVワクチンの定期接種で子宮頸がん撲滅の悲願が達成出来るよう、行方を注視したい。
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