木原副長官の意見に左右され、意思形成の過程見え難く
新型コロナウイルスの「第7波」が猛威を振るった今夏、岸田文雄・首相がいの一番で乗り出した対策が、感染者の全数把握の取りやめだった。しかし、専門家の意見も聞かず、腰の定まらない首相は、手法や時期について右往左往するばかり。改めて優柔不断の首相の「本来の姿」が浮かび上がった。当初は全数把握の取りやめを自治体の判断に任せていたが、「丸投げ」との批判を浴びた首相はようやく9月6日、全国一律での見直しを9月26日から取り組むと表明した。
全数把握の取りやめが表に出たのは、7月30日付の読売新聞1面トップ記事だ。見出しは「コロナ『インフル並み』に扱い検討へ…第7波収束後、感染者『全数把握』取りやめも」(ウェブ版)というものだった。記事の中身は制度の説明が大半を占め、新しい要素は乏しかった。唯一、木原誠二・官房副長官にインタビューしており、そこでの発言を引用する形で、見直しに向けた記事の骨格を保っている。
その記事を引用すると、2類相当の位置付けについて問われた木原氏は次の様に発言している。「第7波を乗り越えた後には見直しが不可避だ」——。たったこれだけしか記載されていないのも不思議だが、この発言を基に先程の見出しとなる記事が構成されている。
制度の説明を簡単にしておくと、全数把握は感染症法に基づく措置で、感染症の発生動向を調査する方法の1つ。全ての医師が全ての患者の発生について届け出を行うのが「全数把握」で、指定された医療機関が患者の発生について届け出する「定点把握」とは異なる。新型コロナは「全数把握」をする事とされ、インフルエンザ等は「定点把握」。感染症法上の分類である2類と5類の象徴として語られる事がある。
全国一律適用の見送りが「迷走」を加速
読売新聞の記事が出ると永田町や霞が関の風向きは一気に見直しの方向となった。首相も7月31日、外遊先に出発する際、記者団のぶら下がりでこう表明している。「このタイミングで感染症法上の位置付けを変更する事は考えていない」としつつも、「今後、時期をしっかり見極めながら(ウイルスの)変異の可能性等もしっかり判断した上で、2類として規定される項目について丁寧に検討していく」と述べている。
7月下旬から8月初旬の1日当たりの感染者数は20万人前後で、第7波のピークを迎えつつあった。保健所の業務は逼迫し、医療機関も入院や外来患者で溢れかえった。医療機関に軽症患者が押し寄せた結果、入院が必要な人が治療に辿り着けないという今まで何度も繰り返された光景。ある大手紙記者は首相の表明について、「こうした状況下で政府の無策に対する批判をかわす狙いがあったと見るのが妥当だ」と指摘する。
ここうした政府の対応に、ある日医関係者は「もう少し早く全数把握の見直しに着手すべきだった。本来であれば第7波が来る前に検討しておくのが筋だ」と政府の対応の遅さを口にする。自民党厚労族の秘書も「第7波が夏頃に到来するのは予想されていた事だが、夏の参院選前に対策を緩めたと野党から批判されるのを恐れたのではないか」と推察する。
こうした中、政権が先ず着手したのは、医療機関や保健所が患者の発生届を「HER−SYS(ハーシス)」に入力する作業について、法律上必要な最低限の項目に絞る事だ。氏名や生年月日、住所は引き続き入力するが、診断日やワクチン接種回数等を不要とした。しかし、これでは医療機関の負担軽減にほぼ繋がらないという声が出た為、更なる見直しを図る。
首相自ら発表した8月24日のオンライン会見で、届け出対象を65歳以上の高齢者や重症化リスクの有る患者らに絞る事を明らかにした。しかし、首相は「発熱外来や保健所業務が逼迫した地域の緊急避難措置」として位置付け、対象を絞るかどうかは自治体の判断に任せ、全国一律の適用を見送ったのだ。これが「迷走」を加速させた。
首相官邸関係者によると、当初は、全国知事会等の要望を受け、全数把握の取りやめは全国一律で始める方針だったが、これに待ったを掛けたのが木原副長官だったという。この首相官邸関係者は「厚労省は、感染者の療養期間の見直しを含め、一気に発表する段取りだった。木原副長官は感染状況が高止まりしている事を懸念し、発表前日の夜にストップさせた。緊急避難、という位置付けをしたのもこの為だ」と明かす。
こうした政府方針に早速噛み付いたのが、大阪市の松井一郎・市長だ。松井氏は「国で決めないとバラバラになる。自治体に丸投げするのではなく、全国一律の制度とすべきだ」と批判の声を上げた。東京都の小池百合子・知事も「感染動向の把握に加え、患者一人一人の健康状態を把握して必要な医療に繋げて行く重要な機能が有る」と見直しに後ろ向きな姿勢を見せた。
首相が軌道修正を図ったのは、3日後の8月27日。オンライン会見で、「全数届け出の見直しは専門家の意見を踏まえ、ウイズコロナに向けて新たな段階への移行策の1つとして進めるもので、もとより全国一律で導入する事を基本として考えている」と述べ、対象を絞ったやり方を最終的に全国一律で始めると表明したのだ。
これにはマスコミ報道も混乱し、自治体が先行するのはいつからで、全国一律になるのはどの時点なのかが不明確なまま報道が乱造された。最終的に定点把握に移行する為、全数把握の途中経過を伝える報道と定点把握の移行時期を示した記事が混ぜこぜになり、世間や現場の混乱に拍車を掛けた。
全数把握見直しへの込み入った議論はされず
結局、9月2日から始まった全数把握見直しの先行実施に参加したのは、宮城、茨城、鳥取、佐賀の僅か4県のみ。厚労省幹部は「全国一律に移行する事をもう少しきちんと説明すべきだった」と悔やむ。
こうした変更に専門家が議論に関与した節はあまり見受けられない。西浦博・京都大教授はNHKのインタビューに答え、「定点把握では感染者が増えているかどうかの傾向を掴む事は出来るが、毎日の増減といった微細な変化を掴む事は難しい上、データの更新が1週間に1回になる為、今の全数把握とはスピード感も異なる」と全数把握を取りやめる事に異論を唱える。
政府の新型コロナウイルス感染症対策分科会も7月14日を最後に開かれておらず、厚生労働省のアドバイザリーボードも毎週開かれているものの、全数把握の見直しに向けて込み入った議論はされていない。
首相は霞が関など周囲の意見を拾い上げて意思決定する「ボトムアップ型」と言われたものの、意思形成の過程が見えにくく、自身の拘りが見えない事柄については説明不足になりがちだ。特に木原副長官の意見に左右されているのは周知の通りで、いびつな「ボトムアップ型」と言える。
一般的に首相官邸の要とされる官房長官である松野博一氏の存在感は薄い。首相官邸に勤める中堅職員は「松野官房長官は全うな意見を持っていて、首相にも伝えているが、首相がその意見を顧みている様子が無い」と話す。
今回は悪い流れにはまり、政策を打ち出すタイミングも遅く、世論に響かない結果となった。内閣支持率が低下する中、せっかく参院選を勝利した余韻に浸る間も無く、政権は「岐路」を迎えるかも知れない。
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