厚生労働省の幹部人事が6月28日に発令され、事務次官に大島一博・政策統括官(1987年、旧厚生省)が抜擢された。吉田学・前事務次官は84年入省で、大島氏は85・86年入省組を追い越して事務次官に就任した為、省内では「ごぼう抜きの人事。若返りを図った点は評価出来る」との声が漏れている。
大島氏は熊本県出身で、県立熊本高校、東京大学法学部を卒業後、87年に旧厚生省に入省。老健局介護保険計画課長や保険局総務課長、内閣府地方創生推進室次長、内閣官房健康・医療戦略室次長等を経て、老健局長、官房長、政策統括官を務めた。北九州市に出向して生活福祉部長等を歴任した事も有る。介護保険分野での勤務経験が長く、医療保険等と合わせ、社会保障制度全般に精通している事で知られている。
大島氏が85年入省の濱谷浩樹・前保険局長、86年入省の土生栄二・前老健局長らを追い越した今回の人事について、ある中堅幹部は「83年入省の鈴木俊彦、樽見英樹の両氏が事務次官を同期で通算3年も回した為、省内の人事は滞留していた。若返りを図って人事の一新をしたのは評価出来る。大島氏は1年で終わらず、2年コースだろう」と話す。
一方で、吉田氏は約9カ月と史上最短の厚労事務次官となった為、この幹部は「本来なら留任を選択する事も可能だっただろうが、新型コロナ対応が続いて吉田氏も疲弊していた。こうした点も今回の人事に影響しただろう」と明かす。
割りを食ったのは濱谷氏だ。濱谷氏は大臣官房人事課長、老健局長、子ども家庭局長、保険局長を歴任し、経歴だけ見れば「事務次官の本命候補」(ある職員)だった。ただ、人事に詳しい厚労省関係者は「濱谷氏は手堅い仕事振りで知られているが、首相官邸や与党、他省庁からの評判が良くなかった。説明も堅く、融通が利かない印象を与えたのがまずかった」と濱谷氏が登用されなかった理由を説明する。土生氏も同様の評価が付きまとうが、内閣官房内閣審議官兼デジタル田園都市国家構想実現会議事務局長に横滑りした。
大島氏の同期、伊原和人氏は医政局長から保険局長に異動し、年末に掛けて医療保険制度改革に取り組む。88年入省の渡辺由美子氏は官房長から内閣官房内閣審議官兼こども家庭庁設立準備室長に就任し、来年4月に設立されるこども家庭庁の組織作り等に取り掛かる。
労働官僚としては、山田雅彦氏(89年、旧労働省)が久方ぶりに官房長に抜擢された。事務次官級の厚生労働審議官には人材開発統括官だった小林洋司氏(86年、旧労働省)を登用した。労働官僚の1人は「小林氏は職業安定局長時代に、雇用調整助成金のオンライン申請等で不手際が有って飛ばされていたが、労働官僚からの人望は厚いので出世したのは良かった」と話す。
局長級の医系技官人事には大きな動きは無かった。ある幹部は「感染症法が改正された後、改めて人事が発令されるのではないか」との見方を示している。
今回の人事は、若返りを図ったのが特徴だ。新型コロナウイルス感染症も落ち着きを見せている中、今後の社会保障制度改革にシフトした人事と言える。
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