日本医師会の中川俊男会長が6月25日に行われる会長選挙に出馬しない意向を示したが、医療政策を所管する厚生労働省内で動揺は殆ど無かった。むしろ「既定路線」と受け止める幹部職員もおり、嘗ては医療政策に加え、省内の人事にも影響を与えた「日医」の威信は消え失せつつある。省内の受け止めを追った。
1977年3月末に札幌医科大を卒業した中川氏は、88年に札幌市内に「新さっぽろ脳神経外科病院」を開設した。97年に北海道医師会の常任理事になり、2000年には母校である札幌医科大学の医学部脳神経外科臨床教授にも就任。05年には日本医師会の代議員にもなり、06年からは常任理事、10年から副会長を10年間に亘って務める等、順調にステップアップを果たした。日医では医療政策担当として、厚労相の諮問機関・中央社会保険医療協議会(中医協)の他、社会保障審議会医療部会の委員も歴任し、厚労省ににらみを利かせた。
審議会では正論を振りかざし、健康保険組合連合会や日本薬剤師会等他の業界団体から選出されている委員と議論し、言い負かす事も有ったが、厚労省職員は「根回し等は一切出来ず、実際に政策を動かしている訳では無かった」と証言する。
日医会長に昇り詰めた後も引き続き歯に衣着せぬ発言で世論を賑わせたが、次第に新型コロナウイルス感染症対策への日医の協力度合いを巡り、世論の不信感を買って不支持が圧倒的となった。そして、5月20日には複数のメディアで中川氏の不出馬が報じられた。大手紙記者は「連休明け↘には中川氏の再選が難しい状況でした。後は中川氏がいつ不出馬を判断するか、という情勢になっていました」と話す。省内でも同様の情報が共有されており、ある職員は「中川会長は出ないらしいという話は幹部の間で交わされていた」と話す。
中医協や医療部会の委員時代はうるさ型で知られたが、会長となって以降は調整が出来ず、厚労省はおろか、与党からも相手にされない状況に陥っていた。その為、不出馬の報道が流れてから↖も、省内で大した話題に上る事は無かった。医政局の職員は「中川会長自体が大したことは無いと思われていたので、話題になっていない。伊原和人医政局長も話題にしていた記憶は無い」と話す。医薬・生活衛生局の職員も「多少の関心は有るが、そんな大した話題になっていない」と素っ気無い。
これまで医政局長や健康局長等、医療政策に深く関わる人事については医師会長の意向は無視出来なかった。歴代の日医会長が「次の医務技監は彼がふさわしい」と言えば、方向性が大きく変わる事はあまり無かったが、中川氏の意向が反映された人事は少なく、今後も影響力は次第に落ちて行くと見られる。
首相官邸でも中川氏の交代は話題になっていないと言い、官邸スタッフは「横倉義武会長時代は安倍晋三首相や麻生太郎財務相(いずれも当時)と懇意にしていたので、首相官邸で話題になる事は有ったが、中川氏の場合は全く無い。今回の交代を口にする人もほぼいない」と話す。日医の影響力が低下するのは国民にとって幸か不幸か。
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