SHUCHU PUBLISHING

病院経営者のための会員制情報紙/集中出版株式会社

未来の会

第82回 世界目線 「フリーアクセス」とオンライン診療再考 ①

第82回 世界目線 「フリーアクセス」とオンライン診療再考 ①
医療経済学における3つの視点

今回と次回で、国民皆保険の恩恵の1つとしての「フリーアクセス」に対する考察を通して、オンライン診療の普及についても考えてみたい。

医療経済学の考え方から見ると、医療においては「コストの安さと質の良さ、そしてアクセスの良さの3つの両立が難しい」とされている。筆者が以前から述べてきたように、日本の医療においてはこの3つが比較的高いレベルで満たされており、世界に冠たる医療サービスを国民が享受してきたと言えよう。

ただ、その背景や理由については、公的医療保険制度に伴う診療報酬のコントロール、技術の習得に長けた日本人、そして過重労働を厭わぬ医療者の働き方等、現在においては持続が難しそうな要素がいくつかある。その為に、この3つの視点においてどれかに関する比重を減らそうという議論がなされて来ていた。

比重が1番軽いものは「アクセスの良さ」ではないかとされる。これは、日本においては、開業医のみならず病院に対しても患者が自由に受診する事が出来る「フリーアクセス」という仕組みを取っているからである。

実は厳密にこの3つの視点を分けて論ずる事は難しい。特に「質の良さ」は、広く考えれば「アクセスの良さ」を包含しているとも言える。すなわち、英国でかつて議論された様な待ち行列の存在が問題になるのである。

具体的に言えば、日本の様に病院や診療所で何時間か待たされるといった事ではなく、そもそも診察の予約が取れないとか、予約が取れたとしても半年間待つとか、あるいは急性の疾患であっても待っている間に治ってしまうといった事が笑い話として語られる様な状況の事を言っている。

コロナ禍以前には、英国からはインドに医療ツーリズムの為に行くという事が多かった。これ等は、英国で順番待ちをしているよりも、多少リスクは伴うが、英国との関係が深いインドで治療を受けたほうが早いし楽である、という事にも起因している。

国際的なアクセス論争と日本のアクセス制限

この様な現実がある為に、医療の国際比較においては「アクセスの良さ」というものが強調される。そして、ここでいうアクセスというのは、医療の質以前の問題を議論している事が多い。つまり、日本の様に「フリーアクセス」とは言い切れないまでも、すぐに開業医を受診出来る事の重要性について、ここでは述べているのである。

日本においてはこれまで、国際的に問題になっている様なアクセス論争はほぼなかったと言ってよい。では、日本において問題になっているアクセス制限とは何を指しているのであろうか。

「おもてなし」の精神と日本のサービスレベルの高さ

これは日本におけるサービス産業のレベルの高さから考えてみるとわかりやすいだろう。日本には「おもてなし」という考え方がある。この精神が全国民の日常に息づいている日本では、サービス業の便利さにおいても世界に冠たるものがある。

例えば新幹線の様な高速鉄道や成田エクスプレスの様な空港特急について考えてみよう。日本では、新幹線等は数分の遅れでも問題視される。日本人にとっては当たり前と思われる事かもしれないが、先進国であるヨーロッパではどうだろうか。筆者がコロナ前に旅をした時の事である。フランクフルト空港で飛行機に乗る為に、スイスからドイツまで電車を使おうと考えた時に、現地の人から「電車は時間が不正確だから使わない方がいい」と言われたのだ。日本の新幹線、或いは成田エクスプレスとの違いは歴然としている。

また、夜遅くまで開いている店や24時間営業のコンビニエンスストア等は、ヨーロッパやアメリカの先進国ではなかなか見られない光景だ。コンビニやスーパーのレジにおいて長蛇の列が出来そうになると、日本では別の店員が飛んで来て新しい列が出来る事がよくあるが、この様な事は海外の同業種の店ではありえない。海外の多くの国では、「待たされるものは待たされる」のである。であるが故に海外ではAmazon GOの様に人を使わないサービスが普及しやすい背景がある。

日本のアクセス制限とフリーアクセスの問題点

医療に話を戻そう。今を去ること20年ほど前には「診療所等の医療機関もコンビニの様にあるべきだ」という議論が巻き起こった。筆者は医療サービスの特殊性を論じる立場なので反対意見を述べたが、どちらかと言うと賛成している人の方が世の中には多かった様にも思う。この論争等は、「24時間のコンビニサービスが続けられるのか」といった議論がある現在では昔日の感があるが、日本における医療機関へのアクセスについては、通常のサービスの基準が「おもてなし」レベルであり、海外と比べて高いのである。 

しかし、今日の日本では「人手不足や過重労働を改善するべし」という考え方が医療機関にも広がってきた。昔であれば夜8時や土曜日や日曜日に、患者へのインフォームドコンセントを行ったりしていたが、そこが制限されたり、土曜日に行われている外来がなくなったりといった事が起こってきている。

この様な労働力不足を理由としたアクセス制限や、今まで行なっていたサービスが過剰であったという事からのアクセス制限とは別に、制度的にアクセスに対して制限する変化も起きてきている。「働き方改革」で医師の過重労働が制限されていく事からの帰結にもなるが、病院の数を減らさなければいけないといった動きが有るのだ。

これはアクセス制限の話だけではなく、医療の質やコストの問題にも関係している。規模の経済を追求し、効率化を図っていくという動きである。人口減少社会を迎え過疎化が進んでいる日本において、今後も全国津々浦々に世界一の病院数を維持し続けていけるわけがないだろう、といった議論とも整合性が有り、大きな流れになってきている。その流れの中で、一方では「アクセスが悪くなる」という議論が有る。

そして、開業医や病院に自由に患者が行く事が出来るという「フリーアクセス」についても「無駄な医療が多かったのではないか」という点で批判が巻き起こっている。しかしフリーアクセスというのはそんなに悪い事なのであろうか? 

今回は詳細は省くが、世界的に見てもIT化の流れによって、「個人が様々な事を選択したい」という機運は強まっている。すなわち、ITで武装した生活者が、「自分が行きたい場所を自ら選択する」という動きであり、これは医療機関の選択においても例外ではない。以前に比べると、ホームページ等を見て医療機関をチェックする生活者は明らかに増えてきている。「フリーアクセス」とは、生活者側から、あるいは患者側から言えば、「行きたい所に自由に行ける」という事である。

ただ問題なのは、そのコストが助け合いの仕組みである医療保険から支払われているという事である。すなわち、行きたい医療機関が自由に選択出来るようにする為のコストを、受益者である選択者とは関係のない人のお金で賄われているという事が問題なのである。

LEAVE A REPLY

*
*
* (公開されません)

COMMENT ON FACEBOOK

Return Top