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未来の会

イタリア・トリエステの挑戦と日米の事情

イタリア・トリエステの挑戦と日米の事情
精神科医フランコ・バザーリアが変えたかったもの
民主的精神医療の提唱者フランコ・バザーリア

イタリアの町トリエステをご存じだろうか。イタリア北東部に在る人口20万人の基礎自治体である。

 長らく精神科病院の閉鎖病棟での入院を体験した筆者にとって、閉鎖病棟や強制収容の無いこの町は憧れだった。トリエステは世界で初めて町ごと精神科病院を取り払った町だ。しかし、この町の事は筆者の様ないわゆる精神疾患患者には知られていても、医療従事者や福祉従事者には余り知られていない。

 筆者が住む奈良県内の2施設に電話で照会して見たが、どちらもトリエステについて「よく知らない」との返事。後述する病院の医師も知らなかった。精神保健福祉士の試験には出ないのだろうか。トリエステは精神疾患の当事者にとっては興味深い町だが、職員には興味の無い町なのだ。筆者は当事者の立場から筆を執った。それが拙論である。

 イタリアにも嘗て「マニコミオ」と呼ばれる精神科病院が存在し、巨大なマニコミオに多くの患者が収容されていた。後にイタリア精神医療改革の旗手になるフランコ・バザーリアは、1961年に大学教員からマニコミオの院長になり、ここで阿鼻叫喚の現状を知る事になる。患者に「自傷他害の疑い」を掛けて有無を言わさず鉄格子の中へ送り込んだり、電気ショック等の強制治療をしたりしていたのだ。バザーリアはその現状を見て、本当の治療関係は成立しないと痛感した。

 医師と患者のフラットな関係を訴えるバザーリアは、改革の一環として「アッセンブレア」と呼ばれる患者達の集会を開き、患者達に不満や要求を叫ばせた。長期の収容生活でコミュニケーション能力が落ちていた彼等は、初めこそ上手く表現する事が難しかったが次第に上達し、1年もすれば皆が上手く自分の意見を表現出来る様になった。

 次にバザーリアは一定数の患者を退院させ、病院の職員も院外に出し「精神保健センター」を作った。センターの内の幾つかは「24時間・365日オープン」であり、こうした病院外のセンターが県の上の州所管となってイタリアの精神医療に於いて大きな役割を担う。78年にイタリア全土を約150の保健区に分割し、保健予算を区住民の数に比例して分配する様にした。国民が医療サービスを平等に受けられる様にしたのである。これは後述する通所型の医療・福祉の一環だ。

 同時にバザーリア中心の『民主精神医学』と言う運動が隆盛を見て、様々な立場の人がその運動に力を貸した。又、政治に於いても当時の第1党のキリスト教民主党と第2党のイタリア共産党が大同団結し、後ろ盾となったのである。

 バザーリアは運動を続けるが80年に死去。その後99年にイタリア保健大臣はマニコミオの終了を宣言し、精神科病院は全廃。バザーリアの精神は一応の完成を見るのである。イタリアには現在700カ所を超える通所型の「精神保健センター」が在り、主流となっている。その内「24時間・365日オープン」は50カ所。他は「12時間オープン・日曜祝日休み」で、閉まっている夜間や休日は、総合病院内の精神科が対応している。勿論、拘束等は無いのが原則だ。

片や日本の精神医療・福祉の現状は

 トリエステが精神科病院撤廃に成功した事例について我が国の医師はどう思っているのだろうか。この件について医師達にインタビューを試みた所、トリエステについて「詳しく知らない。日本の医育教育では取り上げられていない現状が有る。精神科に入院しなければならない患者さんにとっては理想かも知れないが……」との回答だった。尚、よく知らないのは精神保健福祉職員も同様であった。

 そして、日本との違いについて重ねて問うたところ、「欧米諸国、特にベルギーでは精神科のベッド数が減ったのに、日本のベッド数は断トツで多く、遅れている。日本でもトリエステの様な試みが出来るのであればしても良いのでは。精神の入院はせいぜい1カ月で良いし、急性期以外の入院は無くなれば良い」と見解を述べた。

 ご承知の様に日本の精神医療は重厚長大だ。入院期間然り、ベッド数然り。最近は少しこの傾向は和らいで来たが、依然世界ワーストクラスである。

 日本の精神科病院のベッド数は約35万床で、これは日本だけで世界全体の約2割を占める圧倒的な数字だ。前述の通りイタリアはゼロ。

 日本では約7万人は退院先が無いだけのいわゆる“社会的入院”であると国も認めており、退院促進事業が続けられている。もはや精神医療は従来の入院型ではなく、在宅・通所型に代わって来ているのが世界の趨勢だ。日本でも2000年代初頭に、精神保健の窓口が従来の保健所から市町村役場に代わっており、この時期にイタリアの施設に倣って「地域活動支援センター」が多数設立された(当初の名称は「地域生活支援センター」)。

 地域生活支援センターは従来の小規模作業所をベースとする、通所・訪問型の障害者施設だ。我が国でも入院日数をなるべく減らす為に、自宅から通う“箱物”を増やしたのである。後に「就労継続A型事業所」等も誕生するが、これらもやはり通所型の施設だ。イタリアに部分的に倣った訳である。

 精神科の治療の柱は基本、薬物治療だ。これに精神加療として休養や寝る事等が加わる。他に、日本の精神科入院病棟では作業と称して簡単な内職仕事をする事も有る。又、将棋の駒やオセロ盤が病棟にある事も多い。

米国の好例「ファウンテンハウス」に学ぶ

それでは、より進んだ国ではどの様な福祉が行われているのだろうか。

 冒頭に述べた通り、筆者には精神科病院の閉鎖病棟での入院体験があり、退院後、改めて通所型施設に入所し、縁あってそこからニューヨーク研修に行かせて頂く機会を得た。2003年の事だが、20年前でもアメリカの福祉は日本のそれより遥かに上で、日本の現状と比べるととてつもない差を感じた。研修先は「ファウンテンハウス」。アメリカで始まったクラブハウス方式を提唱した施設だ。1948年4名の(2名という説も有る)精神障害者自身が作った自助グループ「WANAクラブ」から発展し、廃品回収等をしながら教会の一隅を借りて基盤を作り上げたものである。WANAは「We Are Not Alone」の頭文字を取ったもの。この方式が精神障害者のリハビリテーションに効果的だという事で、アメリカの各地で同方式のクラブハウスが設立される様になった。今ではアメリカだけでなく、世界各地で300以上のクラブハウスが活動している。

 障害者にとって就職先の確保は鍵になる問題だが、ファウンテンハウスでは6カ月程度の「過渡的雇用」という制度が有り、一般の企業で働く事が出来る。ファウンテンハウスのメンバー(利用者)は30社から自分で選ぶ事が出来た。もっともこの30社というのは評判の悪かったブルームバーグ・ニューヨーク市長時代の数字で、その前のジュリアーニ市長の時はもっと選べたと聞いた。日本の退院促進事業はまだまだ道半ばと言える。前述の医師も言う様に、急性期以外は通所型でケアすべきだ。日本でも大和川病院事件等が起きており、バザーリアが目の当たりにした地獄を忘れてはならない。大切なのは患者の治療ではなく、患者の人生である。

 ファウンテンハウスはあくまで1つの例だが、メンバーの尊厳を最優先にし、利用者と職員が一体となって運営している好例だ。いくつかのユニットに分かれた活動も有り、勿論入院型ではない。筆者の研修時、現地の担当者は「ゆくゆくはクラブハウスを地域のロータリークラブの様にしたい」と話していた。精神障害者もちゃんとプライドを持って参加出来る社会。それこそが真の理想であり、目指すべき福祉である。

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