日本産婦人科医会「裁判事例から学ぶ」
たまたま手もとに、公益社団法人日本産婦人科医会発行の「裁判事例から学ぶ」(2022(令和4)年1月。研修ノートNo.108)があったので、今回はこれの一部を引用しつつ、「医療過誤における医療機関の対応」(短く「医療過誤」と表記しているが、「医療過誤」ではないけれども「その疑い」がかけられているものも含み、むしろ「その疑い」事例を中心とする)について述べたい。
同書27〜29頁に「羊水塞栓症による死か、失血死か」〈最高裁2009年10月〉という項目がある。妊産婦死亡というショッキングな事例であるが、産後出血があり子宮下部裂傷もあったため出血性ショックが死因か、それとも、診断基準を満たしている臨床的羊水塞栓症が死因かが争われた。結局、刑事事件としては不起訴であったが、民事事件では第1審・控訴審・上告審を通じて、出血性ショックが死因であるとして医療機関が敗訴した事例である。
医療過誤が起きた際の実務における重要なポイント
同書28頁の「臨床的問題点—対応策」では、「羊水塞栓症のより強固な証明が本症例では必要と考えられる」と結論付けられた。刑事事件では羊水塞栓症との鑑定はあったものの、その詰めは甘かったと推測され、何よりも、子宮下部裂傷も大量の産後出血もあったので、民事の裁判所としては、子宮下部裂傷による出血性ショックと認定しやすかったところであろう。だからこそ、「羊水塞栓症のより強固な証明」が必要だったのである。
同書はさらに、「妊産婦死亡の3分の1は羊水塞栓症が原因であることを念頭に、分娩中や分娩後の急性循環不全(心肺虚脱)、DIC型の大量出血などにより妊産婦死亡が発生した場合には、羊水塞栓症を考慮した対応として母体血清の保存(なるべく早期に分離し遮光)が推奨される。発症早期の血液検査(浜松医大の協力で行う医会血清検査事業)、肺や子宮体部筋層の病理検査で羊水成分の母体への流入を確認することが重要である。本事例では、司法解剖にもかかわらず肺や子宮筋の特殊染色が行われたが、通常、司法解剖では臓器保存されないことも多く、肉眼的な所見のみから結果が出されることもあり、司法解剖の結果は入手困難であり、担当した医師にとって十分な医学的原因分析ができないことも多い。そのため、妊産婦死亡が発生した場合にはなるべく病理解剖を受けることが重要である」として、実務における重要なポイントを指摘していた。
異状「死(亡)」の届出から異状「死体」の届出への変遷
ここで特に注意すべきことは、「司法解剖」が行われてしまわないようにするため、死亡直後の警察捜査を可及的に防止することであろう。そして、死亡直後の警察捜査に直結する契機の筆頭は、やはり「医師法第21条」に定める「異状死体の届出」である。すなわち、「司法解剖」を防止する最善の手立ては、みだりに「異状死体の届出」をしないことであると言ってよい。
従来の医療界は、「医師法第21条」に定める「異状死体の届出」制度を「異状死の届出」と言い換えて、誤った運用をしてしまっていた。従来の「異状死の届出」とは「異状死亡の届出」を意味していたため、「異状死亡」すなわち「医療過誤による死亡」と解釈されてしまったのである。しかしながら、「医師法第21条」はそもそも「異状死(亡)の届出」とは定めていない。「異状死体の届出」(死体自体が異状という意味)と規定されていたのであった。このことを(必ずしも正確ではないけれども)分かりやすく表現したのが「外表異状」という用語だった。当時の厚労省の担当者(医政局総務課医療安全推進室長)が「外表異状」という用語を紹介して以降、「異状死(亡)」説から「異状死体」説へとトレンドが明確に変わったのであった。それ以降、「医療過誤による死亡」を警察に届け出るという悪しき実例は急速に減って、医療界は落ち着きを取り戻したのである。
医療過誤における刑事事件と民事事件
さて、同書28頁ではさらに「法的視点」にも言及している。「民事責任と刑事責任は全く別の責任・手続であるため、民事上の損害賠償を請求された場合に、必ずしも刑事上の責任が問われるわけではなく、本件のように、羊水塞栓症とする鑑定結果を前提として刑事事件が不起訴とされた場合であっても、民事事件では異なる判断がなされる場合も少なくない。
一般に、医療事件において民事上の損害賠償責任を問われたとしても、刑事責任まで問われる事例はかなり限定的である。刑事事件においては、検察官が的確な証拠によって有罪判決が得られる見込みが高い場合に限って起訴することとしていることや、十分な犯罪の嫌疑がある場合でも検察官の裁量により起訴しないことを認める制度(起訴便宜主義)が採られていることによるものである」と述べるのであった。
とは言え、まず何よりも大切なことは、刑事事件にならないようにすることであるし、ちょっとしたことで遺族に不信感を持たれて民事事件を誘発しないことであろう。諸々のきっかけがありうるのではあるが、その中で何よりも重要なことは、警察が介入して来ないようにすることである。警察が動いて介入すれば、一般人たる遺族に不信感が芽生え、その結果として民事事件を誘発してもやむをえない。
死亡診断書の作成は搬送先(後医)でなく搬送元(前医)の手で
警察が介入して来るか来ないか、その大きな要因の1つは、死亡診断書の書き振りであろう。極端な例ではあるが、ある医療機関が重篤な患者さんへの緊急の危険な手術中にその患者さんが急変してしまったので、慌てて高次の医療機関に緊急搬送したものの、心肺停止状態になり、搬送先(後医、高次の医療機関)に到着後間もなく死亡したとしたら、その直後は搬送先(後医)としても「死因不詳」と言わざるをえないところである。だからと言って、その搬送先(後医)が「死因不詳」だとして警察に相談すれば、当然の如く警察が介入して来て「死体検案書」になったり、搬送元(前医)への事情聴取になったり、または、「司法解剖」になったりしてしまうであろう。
そこで、通常は搬送先(後医)が搬送元(前医)から資料を提供してもらって、詳しい記載の死亡診断書を作成することになるのが通常である。しかしながら、それでなくても業務が多忙な後医としても厳しい状況であろうから、その場合は搬送元(前医)が丁寧に詳しく記載した死亡診断書を作成すればよい。厚労省医政局等が毎年発行している『死亡診断書(死体検案書)記入マニュアル』の6頁には、「医師が患者の死亡に立ち会えなかった場合」の1つとして、その場合の対処指針が明記されているのである。 「最終の診療後24時間以内に患者が死亡した場合においては、これまで当該患者の診療を行ってきた医師は、死亡後に改めて診察を行うことなく『生前に診療していた傷病に関連する死亡であること』が判定できる場合(※)には医師法第20条ただし書の規定により、死亡後に改めて診察を行うことなく、死亡診断書を交付できます。※医師が、死亡後に改めて診察を行うことなく『生前に診療していた傷病に関連する死亡であることが判定できる場合』としては、たとえば当該患者の死亡に立ち会っていた別の医師から死亡状況の詳細を聴取することができる等」といったケースが典型的であろう。
すなわち、適宜死亡診断書の作成を搬送元(前医)で行うことによって、丁寧かつ詳細な死亡診断書が作成されることとなり、ひいては警察介入の減少につなげられるのである。
カルテ追記や院内検証委員会の活用など
その他についても、医療過誤における医療機関の対応については、カルテの追加・補充記載の活用、院内検証委員会の活用、民事調停の活用など様々なものが考えられる。ただ、それらの活用のノウハウに関しては、紙幅の関係上、また別の機会に述べることとしたい。
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