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法医学者の使命は、「人の死を生かす」事 ~死因究明の情報を医療事故や冤罪の防止に活かす~

法医学者の使命は、「人の死を生かす」事 ~死因究明の情報を医療事故や冤罪の防止に活かす~
吉田 謙一(よしだ・けんいち)1953年生まれ。医学博士。専門は法医学、研究分野は虚血・ストレス・中毒の病態生理学・生化学。79年愛媛大学医学部卒業、90年大阪大学講師、92年山口大学教授、99年東京大学教授、2014年退官(東京大学名誉教授)後、東京医科大学教授就任、19年同退官し、大阪府監察医務監となり現在に至る。解剖2200余りの中には多くの医療事故が含まれ、検案数も約7500。多数の冤罪事件の再審に関わって来た。『事例に学ぶ法医学・医事法』(有斐閣)、『法医学者の使命 人の死を生かすために』(岩波書店)等の著書がある。

医療事故の多発が社会の注目を集め始めた1999年、東京大学教授に就任し、法医学者として、医療関係者と関わりを深め、より良い因究明を追求して来た吉田謙一氏。約40年のキャリアの中で、医療と法医学の交流を試み、冤罪事件にも深く関わって来た。今回、吉田氏がいくつか思い出に残る事例を基に、死因究明の現状と進むべき方向、特に死因究明の情報を医療の質の向上や冤罪防止に活かす途について語って頂いた。

——法医学者になった経緯について教えて下さい。

吉田 愛媛大学医学部に1期生として入学すると、誘われて俳句に熱中しました。俳句会には基礎医学の先生が多く、実験の手伝いや輪読会に誘われました。卒業直前に、「口下手だから、医者に向いていない」と言われ、俳句部顧問の法医学教授の元に来られた実績豊富な生化学者に誘われ、大学院に入りました。当初は、実験研究者を目指していました。

 当時、ホルモン等によって細胞内の酵素が連鎖的に活性化されて生命現象を制御する「細胞内情報伝達」に関する様々な酵素を日本人研究者が発見し、その役割を解明する研究が盛んでした。私は、止血や狭心症等の病態に寄与する血小板の活性化を課題に選び、1人で実験し、数年後には論文が生化学の英文雑誌に受理される様になりました。卒後5、6年目に米国に留学した後、大阪大学で法医学の実務経験を積みながら、阪大吹田移転の教室責任者として長年の遺産の整理に明け暮れました。移転後間もなく、山口大学に教授として赴任しました。38歳でした。法医学者は、殺人や事故よりも格段に多く虚血性心疾患等の病死を扱っています。中でも、喧嘩や身体拘束に伴うストレスにより心臓突然死する事例が難問です。それで、山口大学赴任直後から、虚血性心疾患、ストレスと心臓突然死をテーマに選んで動物実験に明け暮れ、2〜3年後に循環器や生化学の一流雑誌に論文が受理されました。すると、臨床から大学院生が派遣され、法医学の若手と合わせて4〜5人程が日夜実験に熱中しました。私達は、虚血が細胞内情報伝達系の多様な酵素を活性化し、細胞死や細胞保護に寄与する事を見つけ、多くの論文を発表しました。又、大学の救急部で死亡した複数の事例を救急医と一緒に法医解剖して事例報告をし、一酸化炭素中毒の1事例は、解剖結果の分析を基に動物実験をして病態を解析する等、実務・研究面で救急医との連携を意識しました。

——東京大学に移られて何が変わりましたか?

吉田 45歳になる年、東大に移りました。その前後に、都立広尾病院の注射器の取り違えによる死亡事故等の医療事故が多発して社会から注目されると、医療界から「警察が医師を犯人扱いする事」「医療を知らない警察や法医が医療過誤の判断材料になる捜査や鑑定に関わる事」「当事者に解剖・捜査の情報が開示されない事」等に対して反発が激化し、矛先は法医にも向かいました。一方で、内科・外科・病理・法医の4学会の研究班に於ける議論を経て、厚生労働省が補助する医療事故の調査と分析のモデル事業が行われました。各事例に付き十数名の医師、病理医、法医、弁護士、看護師が解剖と診療経過の分析をし、真相究明や事故の再発防止策を検討して関係者に伝えました。私自身、多くの経験をしました。その傍ら、多数の医療事故の司法解剖を依頼され、主に東大病院の先生方の力を借りて鑑定しながら、多くの医療関係者と交流し、医療安全関係の学会の運営にも関わる様になりました。

医療事故への注目と冤罪事件

——先生が関与した医療事故の事例について紹介して頂けますか。

吉田 2007年の事ですが、ある有名な歯科医がクリニックでインプラントの支柱部を埋め込む為にドリルで下顎骨に穴を開ける時、意図的に骨の内側に突出させていたところ口腔底の動脈を傷付け、出血が口腔底組織に浸潤・腫脹し喉頭部を圧迫して、患者が窒息から心停止しました。救急搬送後、約80分の心停止を経て心拍が再開したけれど、結局、翌日死亡しました。司法解剖を依頼された私は、医療事故に関心が高い歯科医に声を掛けて一緒に解剖をし、その後、彼が事故の原因を詳しく分析して、3カ月程で鑑定書を提出しました。数カ月後、彼は事故の再発防止に役立てる為、鑑定内容を学会で発表しました。但し、法律上鑑定書の内容は、検察官が裁判で示す迄開示することが出来ません。公益上の必要性がある場合は除外されますが、検察官が許可する筈はなく、起訴される危険が有りました。その後、ある大学で解剖体の口腔底の血管走行が調べられて、下顎骨穿孔の危険性が周知され、事故の再発防止に活かされました。加えて、厚生労働省がインプラントに関する全国調査を行い、関係学会が診療ガイドラインを発表しました。この事例の他にも、輸入した“瘠せ薬”による急死の原因が、利尿剤成分による低カリウム血症である事を論文に加え、厚労省の危険情報開示や新聞を通して発表して再発防止に役立った事が有ります。

——冤罪事件にも関わっておられたとか。

吉田 60歳で東大を定年退官し、東京医科大学に移った後、頼まれて冤罪事件の裁判に関わる様になりました。湖東病院事件を例に説明します。03年、呼吸異常が出現した高齢者が、病院に到着した直後に呼吸停止し、蘇生措置により心拍は再開しましたが、人工呼吸管理となり7カ月後に亡くなりました。その後、看護助手だった被告人が人工呼吸用チューブを抜いて殺害したとして有罪判決を受け、服役しました。再審において私は、瘠せ薬事件の経験を元に、死体血検査で見つかった“低カリウム血症”が「利尿剤の持続使用から発生し不整脈を誘発した可能性」等を指摘し、認められて無罪となりました。本件は、診療経過を第三者専門家が分析すれば自然死と分かるのに、看護師の嘘の供述から事件の“筋書き”を作った警察官が、知的障害のある被告と丁寧な解剖をした法医を誘導したのです。

——冤罪は、今後も生まれ続けるのでしょうか。

吉田 死因究明と刑事司法の人と制度に根差したシステムエラーなので、生まれ続けています。つい最近、無罪判決に貢献した事例を紹介します。知的障害のある30歳代男性が、入所中の施設で夜半、心停止しました。施設職員が胸骨圧迫をした後、救急隊が引き継ぎ、マスク換気しつつストレッチャーで移動。大学病院に到着後、右頚静脈穿刺、気管内挿管(人工呼吸管理)等により約1時間後に心拍再開しましたが、直ぐ人工心肺装着を要する循環不全が起き、約1日後に死亡しました。解剖した法医は、舌骨右側骨折、頚部筋肉内出血の「存在」を根拠として「頚部圧迫による窒息死」と鑑定した為、第一発見者である施設職員が殺害したとして起訴されました。弁護士に頼まれて写真を見ると、鑑定の根拠とされた所見は、全て蘇生処置で生じ得るものでした。例えば舌骨のCTを3次元再構成すると、舌骨中央・右側が未癒合であり、これを骨折と誤認した様でした。無罪判決を得る事が出来ましたが、権威の鑑定を妄信して捜査が進められ、起訴されてしまう制度の怖さを痛感しました。

——死後CTは死因究明の役に立ちますか? CTをすれば解剖しなくて良いのですか?

吉田 大阪府監察医は、CTを活用しています。私も、1000件以上の経験が有ります。特に、新型コロナウイルス感染症等は、2次感染の危険が有り解剖が難しいので、有効です。脳(くも膜下)出血、肺疾患、冠動脈硬化、心肥大、大動脈解離等、CTで診断出来る事例は多いです。しかし、CTで診断出来なかった、或いは、CTから「何かが在る」と疑ったので解剖を行い、診断出来た事例も少なくないのは確かです。血液検査も有効でした。私自身、解剖でもCTでも診断出来なかった事例で、敗血症、ケトン体血症、膵炎、腎不全等と診断した事例が多数有ります。懸案は、救急医との連携が不十分な事です。救急医は、CTや血液検査で自ら診断出来ているのに、初診という理由で、自ら死亡診断書を交付しません。又、警察や監察医が、診療情報の開示を求めても、拒否する救急医が少なくありません。ある病院で診療された事例を私が解剖し、事例検討会を開いた後、コミュニケーションが良好になった例もあるので、新型コロナ感染症の沈静化を待って、同様のトライアルを拡大するつもりです。

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