幻聴の中身や変化に関心を
幻聴は統合失調症の典型的な症状とされ、その内容を問わず、消し去るべきものとして薬物治療が行われることが多い。確かに、「死ね、死ね」などの幻聴が続いたら苦しくてたまらないので、身体に負担のかかる処方薬の力を借りてでも、抑えた方がよいだろう。だが、幻聴の体験者は健康な人にも多く、生きる上で役立つ幻聴もある。
ちょうど10年前、筆者は「子どもの頃から神の声が聞こえる」という高名な宗教家のケースを取材した。神の声に励まされて長く修行に励んできたものの、加齢による身体の衰えは避け難く、次第に神のお告げと自分の考えが合わなくなった。その原因を「自分の修行が足らないため」と考えた宗教家は、悩みを深めてうつ状態に陥った。
診察したベテラン精神科医は、軽度のうつ病とみて、軽い睡眠薬の処方と共に休養を勧めた。そのアドバイスを守った宗教家は次第に元気になり、「神の声と私の考えがまた合うようになった」という。そして再び、修行一筋の生活を取り戻した。
発症時には威圧的だった幻聴が、数十年続くうちに優しくなるケースもある。今年初め、横浜の福祉作業所に通う50代の男性・大森友蔵さん(仮名)が、筆者の仕事場のKP神奈川精神医療人権センター事務所に原稿用紙を持ってやって来た。
「こんなことを明かしたら、ますますおかしなヤツだと思われるので誰にも伝えていませんが、佐︎藤さんには知ってもらいたくて、これを書きました」。大森さんが持参した原稿用紙4枚には、若い頃からの幻聴体験が整った文体で綴られていた。
大森さんのメンタルに異変が起きたのは26歳の時。仕事先での人間関係のトラブルをきっかけに、周囲の音に混じって幻聴が聞こえるようになり、精神科で統合失調症と診断された。
「雨戸が風でガタガタ揺れる音、家族がドアを開け閉めする音、シャワーの音、空腹でお腹が鳴る音など、様々な音に混じって、男の声で幻聴が聞こえるようになりました」
それは薬を飲んでも消えなかった。そこで試した注射の後には「幻聴が女性カウンセラーの声に変わって、ますます不調になった」という。
初めの10年くらいは、幻聴に脅されてばかりだった。何か始めようとすると「止めろ」「悪いことが起こるぞ」などと言われた。しかし38歳の時、自分の周囲がキラキラ輝く不思議な体験をして以来、幻聴は「それでいい」「大丈夫だ」などの優しい言葉に変わった。デートの場所を指定するなど、恋愛の応援もしてくれるようになった。
更に最近は、言葉のキャッチボールができるようになった。幻聴に尋ねたいことや伝えたいことがある時、大森さんがテー︎ブルを叩くなどして音を出すと、幻聴が聞こえるのだ。
「何かを判断する場面で、幻聴の意見を聞きます。でもウソも多いので、あまり参考にしませんけど」と笑う。
大森さんはもう、幻聴を良き相棒にしている。現在の一番の悩みは、主治医が幻聴の内容や変化に全く関心を示さず、治療方針に変化がないことだという。患者の幻聴や妄想の中身に踏み込まないのは従来の精神医療の定石のようだが、それで正確な判断ができるのだろうか。時に患者の良きパートナーとなり得る幻聴まで、強い薬で痛めつける必要はない。
ジャーナリスト:佐藤 光展
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