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未来の会

外科医を無罪にしなかった最高裁の怠慢

外科医を無罪にしなかった最高裁の怠慢
改めて問われる「科学」とは

 手術直後の女性患者にわいせつな行為をしたとして準強制わいせつの罪に問われ、一審で無罪、二審で有罪判決を受けた乳腺外科医(46歳)に対し、最高裁判所第2小法廷が2月18日、判決を言い渡した。懲役2年の実刑とした2020年7月の東京高裁判決を破棄し、審理を高裁に差し戻すという内容だ。最高裁による無罪判決を信じていた支援者からは、再び審理をやり直すという最高裁の決定に憤りの声が上がる。突然の逮捕から5年半が経過し、その間、有罪と無罪が繰り返された外科医は、精神的負担は勿論仕事もままならない状態に置かれている。いたずらに審理を長引かせる事になる今回の決定は、司法による人権侵害ではないか。

高裁判決を覆すには新証拠が必要だった

 「たたかいの場はふたたび東京高裁になります。理不尽な差戻しではありますが(略)、外科医師と家族が一日も早く平穏な暮らしを取り戻せるよう、差戻し審で無罪判決を勝ちとるため、引き続きいっそうのご支援を心よりお願いを申し上げます」

 逮捕直後から活動する外科医の支援団体「外科医師を守る会」は最高裁の判決を受けて、悔しさを露わにした。支援者の1人は、「最高裁で弁論が開かれると決まった時点で、高裁判決が破棄され無罪になる流れと期待したが、最高裁が自ら判断をせずに高裁に差し戻したのはがっかりです」と肩を落とす。

 同会が「理不尽」と表現した審理差し戻しではあるが、全国紙の司法担当記者は「最高裁が門戸を開いたこと自体がすごい事」と評価する。最高裁に上告される刑事事件は数多く有るが、その殆どが棄却で終わっており、高裁判決を破棄して最高裁が新たに判決を言い渡したり、高裁に差し戻したりする事件はごく僅かだ。「そもそも日本の裁判所では無罪判決が出る事が珍しく、その上一審と二審で判断が分かれたとなれば、上告が受理される可能性は高くなる。ただ、一審が有罪で二審が無罪なら最高裁も無罪に傾いたかも知れないが、今回は逆なので、最高裁が無罪判決を出すのは難しかったとも思う。最高裁はどうしたって上級審の味方だから」(司法担当記者)

 上級裁判所の判断が下級裁判所の判断より優先されるという「三審制」の原則は元より、全国に50カ所有る地方裁判所ではなく、8カ所しか無い高等裁判所で審理を担当する事は、裁判官にとって出世である。司法関係者によると、閉鎖された裁判官の世界では、出世を遂げたエリート裁判官の判決がより尊重されるべきという考え方が強いのだという。更に今回の場合は、高裁判決から最高裁の審理迄に、判決を覆す程の新たな証拠が見つかった訳では無い。「最高裁が無罪を出すには判決理由が必要となるが、その理由はおそらく無罪を導き出した地裁判決と重なる部分が多くなる筈。それは地裁判決を破棄した高裁判決の全否定となるので、最高裁は出したがらない」(同記者)

2つの争点には科学的観点から疑問も

 では最高裁は今回、どういう理由で「無罪」とせず、審理を差し戻したのか。一連の裁判の争点は大きく分けて2つ有る。1つは被害者の証言の信用性、もう1つはDNA鑑定の信頼性だ。

 外科医は16年5月10日、東京都足立区の「柳原病院」で、30代の女性患者の片胸の乳腺を摘出する手術を執刀。手術直後、満床の4人部屋に居た女性と仕切りのカーテン内で2人きりになり、胸を舐める等した上、自慰行為をしたとされる。女性から被害の訴えを受けた警視庁が、女性の胸から被害当日に採取した検体から外科医のDNAが検出されたとして、同年8月25日に外科医を逮捕した。

 裁判では先ず、女性は手術のため全身麻酔を受けており、犯行は術後の女性の「せん妄」による幻覚だった可能性、即ち犯行自体が無かった可能性が争点となった。検察側、弁護側の双方が専門家を証人として出廷させ、一審の東京地裁は女性の証言が幻覚だった可能性を認めた。一方、二審の東京高裁は、幻覚の可能性を否定した検察側の医師の証言を採用し、女性の証言は迫真に富んでいて信用出来るとした。

 2つ目の争点、犯行の〝証拠〟となったDNAについては、東京地裁は「会話によって唾液の飛沫が付着した可能性がある」と判断。一方の東京高裁は、「採取されたDNA量が多く、会話の飛沫では説明出来ない」等として有罪の証拠とした。

 地裁と高裁で判断が分かれる事になったこの2つの争点だが、高裁の判決には「科学的」な観点から、医療界のみならず、世間一般からも多くの疑問が呈された。

 「術後のせん妄が有ったかどうかを科学的に判断するには、症例を多く知る専門家かどうか、その主張が論文やデータに基づくものかどうかが重要です。しかし、高裁が採用した専門家はせん妄の専門家ではなく、世界的に用いられているせん妄の国際基準等も無視した独自の主張を行った」と語るのは、この裁判の取材を続けて来た医療ジャーナリストだ。このジャーナリストは、DNAについても「科学の世界では、再現出来るかどうかが重要なのに、この事件では鑑定を行った科学捜査研究所(科捜研)が鑑定経過についての記録を保存せず、鑑定に使った試料も廃棄してしまった。多量なDNAが検出されたとする実験結果を記録したワークシートは鉛筆書きで、消しゴムを使って書き直した跡が少なくとも9カ所見付かっている」として、提出されたDNA鑑定の信頼性は低いと話す。

再現出来ないDNA鑑定。今後の審理は

 こうした科学的ではない高裁判決について、最高裁は今回、高裁が有罪の根拠とした専門家の見解は「医学的に一般的ではない」と否定し、科学的な判断に寄せて来た。一方で、DNAについては「女性の体に多量に付着していたとすれば証言の信用性が肯定される」として、DNA鑑定の審理を尽くすべきだと判断、外科医有罪の可能性も残した。この最高裁の主張に、多くの医療者は「科学的には、再現出来ない信用性の低い鑑定をした時点で結果の信頼性は無くなる。これ以上、審理の余地は無い」と憤る。高裁でどの様な「審理」を尽くせば良いのかその道筋を示さなかった事も、支持者を落胆させている。「高裁が再び、科学的なデータではなく科捜研の技官らの証言を元に信用性が高いと判断してしまえば、外科医は有罪に大きく傾いてしまう」(都内の医師)と不安視する声は根強い。

 「日本の司法は、科学的な証拠より、被告や関係者の証言を重く見る傾向が有る。だが、科学の進歩と共に、鑑定能力や結果の信頼性も上がっている。だからこそ、高い証拠能力を持つ科学鑑定とはどういうものかを最高裁が示す必要が有る」と前出の医療ジャーナリストは指摘する。

 そもそも、被告が有罪である事を立証するのは検察の責務であり、刑事裁判の原則は「疑わしきは被告人の利益に」だ。これまで疑わしい証拠しか出せずにいた検察の立証能力が厳しく断罪されるべき司法の場で、再び検察に温情を与え、高裁をかばった最高裁は非科学的で職務怠慢である。

COMMENTS & TRACKBACKS

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  1. というより高裁差し戻しは当然です。
    上告審では事実関係は審理できません。
    そもそも事実関係を理由とした上告自体が認められていません。
    上告は憲法違反を理由とするものと、訴訟手続の誤りを理由とするもののみです。

    仮に最高裁が事実関連に誤りがあると判断した場合は、高裁に差し戻します。
    理由は最初に書いた通り、上告審では事実関係は審理できないからです。

    逆に言えば、高裁差し戻しになった以上、無罪になる可能性が極めて高まりました。
    高裁が最高裁の判断に逆らうことは極めてまれだからです。

    >そもそも、被告が有罪である事を立証するのは検察の責務であり、刑事裁判の原則は「疑わしきは被告人の利益に」だ。これまで疑わしい証拠しか出せずにいた検察の立証能力が厳しく断罪されるべき司法の場で、再び検察に温情を与え、高裁をかばった最高裁は非科学的で職務怠慢である。

    これについても尋問などを行った結果、裁判官の裁量で証拠がなくても有罪(民事訴訟なら原告勝訴)にすることが認められています。
    だから「二審の東京高裁は、幻覚の可能性を否定した検察側の医師の証言を採用し、女性の証言は迫真に富んでいて信用出来るとした」という判決が出たわけです。
    刑事訴訟にしろ民事訴訟にしろ証拠は必須ではありません。
    裁判所は真実を追求する場ではありません。
    おそらく弁護士が100人いたら、100人とも「裁判所は真実を追求する場ではありません」と言うと思います。

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