癌医療において、患者の心のケアは重要な要素である。癌患者では鬱病の発症率が高く、更に、癌患者の鬱病は生存率に影響するという報告もある。そのような中で患者の支持を集めているのが、がん哲学外来。「がん哲学」という新たな概念を生み出し、一般社団法人がん哲学外来の理事長を務める樋野興夫氏に、その神髄を尋ねた。超高齢社会の日本において、今我々がやるべき事は何か。その答えが見えて来るかも知れない。
——「がん哲学」はどこから生まれたのでしょうか。
樋野 始まりは病理学からです。僕が最初に勤めたのは「がん研」で、そこで癌病理学をやりました。病理学には感染症とか色んなものが在りますが、癌病理学では正常細胞と癌細胞の違いを見ます。正常細胞が癌化するのは、人間が社会で不良化するのとよく似ていますよね。癌細胞で起こる事は、人間社会にも起こる。人間社会で起こる事は、癌細胞にも起こる。癌は生物学で、哲学は人間学です。この生物学と人間学を合体させたのが「がん哲学」です。
——「がん哲学外来」を始めた経緯は?
樋野 「がん哲学」と名付けたのが2000年の初め位で、「がん哲学外来」を始めたのは08年からです。日本では07年に「がん対策基本法」が施行されました。これを受けて、大学病院には「がん相談支援センター」が設けられましたが、こういう所には患者が殆ど来ませんでした。そこで、順天堂大学の理事長や事務局長から良いアイデアは無いかと問われ、「がん哲学外来」はどうかと進言したのが、07年の12月頃。それで1月から順天堂医院で始める事になりました。そうしたら、80組のキャンセル待ちだったんですね。同じ場所でも、癌相談には行かないのに、がん哲学外来には来る。癌相談は、やはり上からの目線という事ですね。がん哲学外来は何をして良いか分からないから、何でも良いからやってみようという事でした。それが良かったのでしょう。
——がん哲学外来では、どのような事をするのですか。
樋野 がん哲学外来のやり方は自由です。1対1で大体30分から60分位。訪れる患者は末期患者に限らず、様々な人が来ます。カルテも無ければデータも無く、デスクの上に在るのはお茶だけ。医療行為ではないから、診断も治療もしません。お茶を飲みながら対話をします。会話は言葉から成るものですが、対話は心と心でするものです。初めて会う人が多いから、黙って下を向いてお茶を飲む。すると相手が何かを喋りたくなって来ます。コロナで対面が出来ない所はZoomでやっている所もありますが、僕はZoomは苦手なので対面ですね。健康な人はZoomやWebでも良いけれど、本当に悩んでいる人はZoomでは駄目です。僕は病理学者ですから、毎日、顕微鏡で癌を診断しています。正常細胞と癌細胞は風貌を見て診断をしますが、患者も風貌で心を読みます。来た時の風貌を見て、患者が悩んでいるかが直ぐに分かります。臨床医だったら無理でしたね。病理学者だったから、がん哲学外来が出来たのだと思います。
国内外に広がる「がん哲学外来」
——がん哲学外来はメディカル・カフェとして全国に広がっています。
樋野 不思議ですね。全国に170以上在るでしょうか。その内、僕が行っているのは3、4カ所だけで、他はスタッフが自ら運営しています。スタッフは市民であったり、中学生や高校生であったり、誰でも良い。医者や看護師だけでなく、患者がやっている所もあります。理想は人口1万5000人につき1カ所ですね。日本は人口1億人ですから、7000カ所必要になります。1万5000人に1カ所というのは、歩いて行けるか自転車で行ける距離です。患者は電車に乗ったり、車に乗ったりするのが大変ですから。今はアメリカでも、カリフォルニア等でがん哲学外来を始めていますね。英語で「Cancer philosophy」と言います。普通の医療は全て輸入ですが、がん哲学は日本発です。この前も中国の北京大学で講演をしましたし、中国語、韓国語、ベトナム語にも本が翻訳されています。
——ポリシーや方針はどこも同じなのでしょうか?
樋野 同じでしょう。決まりが無いから、皆やりたいようにやっています。訳が分からないからこそ、患者は心が慰められるのでしょう。ただ、ボランティアだと、相手が嫌になる事が多いですね。日本人は、同じテーブルで30分間の沈黙に耐えられない。癌末期の患者のベッドの傍らで30分間一緒に居られないというのが多いですね。何かを喋るのを目的に行くと、患者が嫌になります。こうしなさい、ああしなさいと言われて。哀れみや同情ではなく、同じ所で30分間、お互いの顔が見える距離で苦痛にならない為の訓練が日本では必要ですね。3日間訓練をすると習慣になって、その後は心地良くなります。会話なんかしなくても、ベッドサイドで本を読んでいるだけで良い。お互いが苦痛にならない人間になる事です。
悩みは「言葉の処方箋」で解消出来る
——癌になると、鬱になるという話があります。
樋野 鬱病ではなく、3分の1位は「鬱的」になります。鬱的は回復出来ます。外来に来た時と帰る時では患者の顔が変わります。僕は精神科医ではないから薬は出しません。言葉で癒やす、「言葉の処方箋」です。相手が自分の事を思っていると感じられれば、悩みは解消するものです。解決はしなくても解消はします。悩みは有っても、悩みを厭わなくなるのが解消です。
——先生の哲学はどこから来ているのでしょうか。
樋野 僕が1番最初に読んだ哲学の本は南原繁です。南原繁の本を読むと、「私の先生は内村鑑三、新渡戸稲造」と書いてありました。それで内村鑑三と新渡戸稲造の本を読みました。偉い先生の本を読んで、暗記したいと思った所に赤線を引き、これを暗記して、脳の引き出しに入れておきます。それを人と会った時に出すのです。だから僕の言葉ではなくて、僕が若い時に心に響いた言葉を患者に話している訳です。これが、言葉の処方箋になるのです。
——先生の周りは造語で溢れていますね。
樋野 「楕円形の心」というのが有ります。では質問をしますが、同じ癌を高齢のマウスの肝臓と若いマウスの肝臓に置いた時、どちらが大きくなると思いますか? 若いマウスは正常肝細胞が増えているので癌は大きくなりませんが、高齢のマウスの肝臓では細胞はなかなか増えないので、癌が選択的に大きくなります※1。次に、Aという癌とBという癌を同じマウスの背中の上に置き、Bを取ったらAはどうなるでしょうか? 癌が出す抑制物質は相手には効くけれど自分には効かない。だから、相手であるBを取ったらAが大きくなります。これが生命現象というものです。人間社会でも同じですね。仲良しグループだけを集めたのが「同心円」。そうすると3年後には癌化していきます。我々の中には、交感神経と副交感神経、癌遺伝子と癌抑制遺伝子、こうした相異なるものが緊張感の上で共存しています。これが、中心を1つにしない「楕円形の心」です。相異なるもの、嫌な人間の存在を認めよという教えです。
癌は予防するものではなく共存するもの
——恵泉女学園の理事長に就任されましたが、どのような教育をされているのでしょうか。
樋野 何もしません。生徒を見れば、この子は悩んでいるなというのが直ぐに分かります。だけどこちらからは何も言いません。生徒が相談に来たらそれに応える。これが教育というものです。
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