「共感」という言葉を辞書で引くと、おおよそ次のように書いてある。「他人の意見や感情などにその通りだと感じること。また、その気持ち」。要するに、厳しい修行を経ないと体得できないスペシャルな感覚ではなく、誰にでもある心の動きを指すのだ。ところが昨今、この「共感」に「力」を足した「共感力」とやらを過度に重んじ、歪んだ観点で優劣を付ける気色悪い動きが福祉や医療の現場で広がっている。
ピアの交流拠点「YPS横浜ピアスタッフ協会」の中心メンバー・みずめさんは数年前、東京でピアスタッフを目指す友人にこう言われた。「精神科に入院経験あるの、いいよね」。みずめさんにとって入院経験は「最悪」でしかないので、頭の中は?マークで埋め尽くされたが、友人のその後の言葉で意味を理解した。「私は入院経験がないから、退院促進のピアサポートはできないみたいなの」。ピアスタッフの受け入れに「入院経験」という条件を付ける組織があるらしいのだ。
「『同じ経験をした人の方が分かり合えるから』という理屈なのでしょう。私は閉鎖病棟や保護室も経験しましたが、そんなことがピアサポートのパスポートになってよいのでしょうか」とみずめさん。
もちろん、よくはない。経験を生かすことは大事だが、同じ経験がないから同じ病気の人をサポートできないなんて、ピアを馬鹿にするにも程がある。みずめさんはこう続ける。「共感はピアサポートの強みです。しかし、共通の体験を重視し過ぎると、最強のピアになるためには、辛く壮絶な体験を一通りくぐり抜けなければならない、ということになります。幸せを生み出すためのピア活動なのに、本末転倒です」。
その通りだ。筆者は精神疾患になったことも、入院経験もないが、みずめさんの思いに全面的に共感する。ピア活動は辛さ自慢大会ではないのだ。
慶応大学大学院でピアサポートの研究を続ける横山紗亜耶さんも、「同じ経験の共有」を行政や支援団体などが過度に求めることに疑問を感じている。そして昨年、YPSメンバー達の聞き取り調査をもとにした研究「誰にも共感されない絶望に共感する」を、日本文化人類学会第55回研究大会などで発表した。
この研究の詳細は難しくて筆者にはよく分からないが、凄くかみ砕いて言えば、「患者の経験は人それぞれ。相手を完全に理解したり、理解されたりするのは不可能だ。そうした絶望を互いに抱いていることに共感し合い、その結果、相手の話をじっくり聞こうとする姿勢が、純粋なピアサポートの根底にある」ということのようだ。「絶望」こそが「共感」の入口という考え方は、これまた共感できる。
もちろん、患者とし↖ての共通体験を語り合うことは無駄ではない。ならば、「精神科あるある」や「精神疾患あるある」で愉快に盛り上がろう。そう考えてYPSが作ったのが、「ピアトランプ」だ。「ひとりになりたい。けど、ひとりはイヤ」「共感できないあなたに、共感します」「生きてるだけで眠い。生きてるから眠い」など、メンバーの体験や思いをカードに記した。今年1月に1000円で発売すると、共感を集めて人気に。とはいえ、魅力的なイラストや言葉を生かすゲームルール作りを忘れ、ただのトランプとして販売してしまったYPSのお茶目なところにも、筆者は共感している。
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