1.解雇権濫用法理とパワハラ
長く続くコロナ禍の中でストレスが高まり、医療機関内における労働紛争が激増しているように感じる。医療機関の開設者・管理者・事務長その他の幹部といった事業者側と、勤務医や看護師などの専門職といった勤労者側との間に、いつでも軋轢が拡大しかねない緊張状態も多くなっているように思う。そのような一触即発の緊張状態の中で、ついついパワハラが生じたりもする。とにかく医療機関内でピリピリ、イライラが高じてしまい、遂には解雇などの労働紛争が生じかねない。
事業者側は、積もりに積もったイライラがある時に一気に爆発して、「直ちに解雇だ!」となりがちである。現に、そのような状況の労働紛争も多い。しかしながら、勤労者が刑事犯罪を犯したような例外的な場合を除き、即時解雇が認められる労働審判・労働訴訟は皆無である。懲戒解雇はもちろんのこと、解雇予告手当付きの普通解雇も認められない。それは、解雇権濫用法理という裁判例で積み重ねられた法理があり、その法理が労働基準法を経て、現在は労働契約法に明示的に定められているからである。
2.解雇権濫用法理の判例と法律
かつて最高裁判所の判例(昭和50年4月25日判決)で、「使用者の解雇権の行使も、客観的に合理的な理由を欠き社会通念上相当として是認することができない場合には、権利の濫用として無効となる」という一般論が述べられた。続いて、同じく最高裁の昭和52年1月31日判決でも、放送局の事例で、「労働者に解雇事由がある場合においても、当該具体的事情の下で解雇に処することが著しく不合理で社会通念上相当と是認できないときには、解雇の意思表示は解雇権の濫用として無効となる。放送局のアナウンサーが、2週間の内に2度寝過ごしたためニュースを放送できなかったことは、就業規則所定の解雇事由に該当するが、右事故につき同人のみを責めるのは酷であり、同人の平素の動務成績は別段悪くなく、同人は右事故につき非を認め謝罪の意を表明している等の事情が認められるときには、同人を解雇することはいささか苛酷にすぎ、社会的に相当なものとして是認することはできない」と明示されたのである。
そして、今は、労働契約法第16条にその法理が、「解雇は、客観的に合理的な理由を欠き、社会通念上相当であると認められない場合は、その権利を濫用したものとして、無効とする」と明文で定められた。そこで、現在は、この労働契約法第16条の要件を充足するかどうか、それも特に、後半の「相当性の要件」(社会通念上相当であるかどうか)を満たしているかどうかが、紛争の焦点となっているのである。そして、その「相当性の要件」の中核要素こそが、事業者側が「解雇回避努力」をしたかどうかだと言ってよい。
3.客観的に合理的な解雇理由
解雇における客観的に合理的な理由は、典型的には、勤労者の職場規律(秩序)違反の行為であろう。普通解雇であっても、解雇事由は懲戒事由とほぼ同じであり、就業規則に具体的事由が明記されている。その他については、整理解雇は本稿では省略するとして、やはり典型的なのが、「労働能力または適格性の欠如」であろう。具体的には、「即戦力中途採用者の期待外れ解雇」や「成績不良者の解雇」が挙げられる。
まず、「即戦力中途採用者の期待外れ解雇」とは、「高度の技術・能力を評価されて特定のポスト・職務のために即戦力として中途採用されたが、その期待の技術・能力を有しない場合」(菅野和夫『労働法(第12版)」弘文堂787頁)のことであるが、「即戦力中途採用者が採用の際前提とし期待した能力・資質を有しておらず、求めた人材スペックから大きく外れていた場合には、解雇権濫用法理のもとでも、裁判所は解雇を有効と認める傾向にある」(前掲のとおり)と言えよう。もちろん、その際に重要な実務上のポイントは、「採用時のその前提となった人材仕様の明確さ」、「能力・資質の判定内容・手続の公正さ」、「事業者側が改善の機会を与えた解雇回避の措置」の3つである。つまり、「採用」「判定」「回避措置」という各段階で、手堅く手順を踏むことが大切なのだと言えよう。
次に、「成績不良者に対する解雇」であるが、一般論として言えば、裁判例は、長期雇用慣行事業体であっても転職市場(外部労働市場)依存型事業体であっても、単に成績が不良というだけでは解雇を認めず、それが医療機関の運営に大きな支障を生ずるなどして当該医療機関から排斥すべき程度に達していることが解雇には必要だとしている傾向にある。ただ、建設コンサルティング会社のシステムエンジニアの事例ではあるが、「裁判所は、たんに技術・能力・適格性が期待されたレベルに達しないというのではなく、著しく劣っていて職務の遂行に支障が生じており、かつそれは簡単に矯正できない当該人の性向に起因している、として解雇有効と判断した」(前掲書791頁)ものもあるらしい。すなわち、解雇に至るまでには、あくまでも教育指導などの改善措置つまり解雇回避措置が求められるのではあるが、その措置に対して当該勤労者の性向にも起因した反抗的態度をとる者に対しては、解雇も有効と判断されたということなのであろう。
以上の次第であり、「即戦力中途採用者の期待外れ解雇」や「成績不良者の解雇」は、一般的には解雇が難しいとされる傾向にはあるが(労働紛争も多いところであるので)、「客観的に合理的な解雇理由」を精査しつつ、手順を踏んで落ち着いて対処していくことで打開すべきところなのである。
4.解雇回避措置やその努力
事業者側は、解雇をする以前に、一般に、教育指導・注意・配転・出向などの他の手段によって解雇回避の努力をする信義則上の義務を負っている。これを解雇回避努力義務という。いわゆる相当性の要件の1つとして位置付けられており、「裁判所は、一般的には、解雇の事由が重大な程度に達しており、他に解雇回避の手段がなく、かつ労働者の側に宥恕すべき事情がほとんどない場合に解雇相当性を認めているといえよう」(前掲書787頁)と評されている。実際の訴訟においては、この「解雇回避措置又はその努力」の有無・程度や評価が、解雇の有効・無効の分かれ目となることも多い。
外資系大企業での成績不良者の解雇の判決(東京地裁平成28年3月28日判決)ではあるが、「その適性にあった職種への転換や業務内容に見合った職位への降格、一定期間内に業務改善が見られなかった場合の解雇の可能性をより具体的に伝えた上でのさらなる業務改善の機会の付与、などの手段を講じるべきであった」(前掲書792頁)として解雇を無効としたものもある。
解雇回避措置やその努力は、通常、事業者側がその法的な重要性を認識していさえすれば、その一存で種々の手立てを考え出し、かつ、丁寧に手順を踏むこともできるものであろう。その点で、裁判所は、事業者側の「解雇回避措置やその努力」に対する見方が厳しい。
ただ、医療機関は国民皆保険の下において、一般企業や外資系大企業とは異なり、不自由極まりない環境にあるのであるが、未だその違いが法的に十分に反映されているとは言い難く残念ではある。しかしながら、労働裁判の現状を認識して、各医療機関としても当面は、段階・手順を踏んだ「解雇回避措置とその努力」を尽くし、かつ、それだけの措置・努力をしてきたことのエビデンスを文書として明確に残しておくべきであろう。
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