SHUCHU PUBLISHING

病院経営者のための会員制情報紙/集中出版株式会社

未来の会

私の海外留学見聞録② 〜タイトル:留学が与えてくれたもの〜

私の海外留学見聞録② 〜タイトル:留学が与えてくれたもの〜

吉村  泰典(よしむらやすのり
慶應義塾大学名誉教授
福島県立医科大学副学長
ペンシルバニア病院(米・フィラデルフィア)
ジョンズ・ホプキンズ大学(米・ボルチモア)

 自らの来し方を回顧してみるに、人生須くらく他動的であった。人生にはいくつかの転帰点がある。これまで、自らの生き方を自らが考定したことはあっただろうか。自分の思いとは背馳する道を選択してきたと言っても過言ではない。敷衍して言えば多くの場合、流れに逆らわず与えられた運命に対し従順に歩を進め、「置かれた場所で咲きなさい」の教えを守ってきた。慶應での6年間の研修が終了し、浜松赤十字病院に出張中、恩師であった飯塚理八教授(当時)から留学をするようにとの命を受けた。同級生の半数近くが米国を中心に留学する時代であったが、当時自らは留学して研究を続ける希望は全くなかった。外国生活、特に食生活に不慣れであり、心底では困惑していた。

 しかし感佩なる申し出を推辞することもできず、ペンシルバニア病院に単身で留学することになった。渡米1年後に、当時藤田医科大学にいた妻も子どもを伴ってフィラデルフィアに来られることになり、3人の生活が始まった。しばらくして米国での恩師であったWallach教授が、ジョンズ・ホプキンズ大学産婦人科のChairとして赴任することになった。米国での単身生活の大変さもあり、2年間の研究生活後に帰国する予定であった。帰国を真摯に考えたが、共に行動するように強く勧められ、ボルチモアに移住することになった。畢竟この留学生活は、飯塚教授とWallach教授の御趣旨を体して3年4カ月にも及ぶことになった。

 Wallach教授からは、臨床医としての医学研究の重要性と英論文考案の基礎について徹底的に鍛えられた。中でも、ネガティブデータを論文にいかに残すかが重要だと学び、留学の研究成果を20篇以上の論文にめることができた。懇篤を極めたご指導のお陰で、私自身に変化が起き、研究に向き合う姿勢が大きく変わった。この間の研究成果は、ひとえにWallach教授の学識と才気に帰するといっても過言ではなかった。自ら望んだ留学ではなかったが、素晴しい師に恵まれ、医学研究の深奥に驚嘆し、この米国での研究生活は自らの将来への架け橋となる意義あるものとなった。また、1年間だけではあったが、家族3人海外で一緒に生活するという紛う方なき倖せを感じさせてくれた要用な時間でもあった。

 帰国後、現在の藤田医科大学に就職した。この3年8カ月間は米国での研究生活から臨床感覚を取り戻すには絶好の場であり、若い先生方も大変協力的で、米国時代からの研究を継続することもできた。当時、排卵機構の解明は、生殖生理学研究の進歩におけるlandmarkの1つというべきものであり、週末はほとんど研究に傾注した。素晴らしき2人の恩師の達見が、私の人生における適切な道標を決定して下さったように思う。この留学が純粋に生命現象の謎を解き明かすための基礎研究への道に導いてくれた。偶然の逢着とはいえ、それがなければ傑出した才能を持ち合わせていない者がいみじくも医療に携わり、アカデミアにおいて研究や教育を維持することはできなかったように思う。臨床医として性急に結果を求めず、純粋に科学に親しむ時代があったとしても、決して徒為となるものではないことを志学の徒に伝えたいものである。

LEAVE A REPLY

*
*
* (公開されません)

COMMENT ON FACEBOOK

Return Top