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補正予算案で実現した岸田首相の公約「賃金引き上げ」

補正予算案で実現した岸田首相の公約「賃金引き上げ」
いびつな形で決着した、引き上げ幅と対象職種

11月26日の臨時閣議で決定した2021年度補正予算案で、政府は看護師や介護士、保育士、幼稚園教諭の賃金を引き上げる方針を決めた。これは岸田文雄首相が9月29日に投開票された自民党総裁選で公約として訴えて来たものを実現したものだが、実際の引き上げ幅は、期待された程の額には及ばなかった。所得引き上げなのか、新型コロナウイルス感染症対策への慰労なのか、政策目的も今一つはっきりせず、最終的にはいびつな形で決着した感は否めない。

 補正予算案に盛り込まれたのは、22年2月から介護士や保育士、幼稚園教諭らの給与を月額9000円、看護師は月額4000円引き上げるというものだ。介護士や保育士にはこれまで複数回に渡って処遇改善を行って来たが、今回改めて引き上げられるのは、岸田首相が9月の自民党総裁選で公約に掲げたからだった。

 岸田首相が掲げた公約には次のように記載されている。「看護師、介護士、幼稚園教諭、保育士など、賃金が公的に決まるにも関(原ママ)わらず、仕事内容に比して報酬が十分でない皆様の収入を思い切って増やすため、『公的価格評価検討委員会(仮称)』を設置し、公的価格を抜本的に見直し」。

 つまり、医療や介護等公的なサービスの対価を引き上げ、その分の増収を人件費に回してもらおうという考えだ。補正予算案では22年2月から9月迄の間の賃上げ分が交付金で手当されているが、22年10月以降は診療報酬や介護報酬等それぞれの公定価格を見直して財源を捻出する方針だと言う。

 月額9000円と、4000円の引き上げという「差」が有る事を不思議に思う人が多いと思う。月額9000円というのは介護士や保育士、幼稚園教諭の平均月収の3%分に相当する分だと言う。政府は当初、看護師も同様に3%(1万2000円相当)の引き上げを目論んだが、看護師は対象人数も多く、仕事内容も幅広い為、政府は3%の引き上げ対象を救急救命に携わる看護師に限定しようとした。

今回の賃上げの目的は日本全体の所得向上

 しかし、救急救命に携わる看護師の加入が少ない日本看護協会が反発し、「全ての看護師が対象とするようにすべきだ」と主張した事から調整が難航した。急に財源は増やせない為、救急救命から対象を新型コロナウイルス感染症対策に従事する看護師に広げた代わり、一律に3%に引き上げることが難しくなり、1%(4000円)に止まったという訳だ。

 賃金の引き上げは、20年春からの新型コロナウイルス感染症対策への慰労という意味ではなく、日本全体の所得向上の先鞭を付ける為に行われたものだ。自民党総裁選等でも議論になったように、日本の名目賃金は韓国にも追い抜かれ、30年間足踏み状態にある事に危機感を持たない政治家はいない。こうした状況を意識した結果、「岸田流」で生み出されたのが今回の賃上げだ。

平均所得を上回る看護師も対象になった理由

 岸田首相も「看護、介護、保育、幼稚園などの現場で働く方々の収入の引き上げは最優先の課題だ。その第一歩として民間部門における春闘に向けた賃上げの議論に先んじて今回の経済対策において必要な措置を行い、前倒しで引き上げを実施する」と意気込んだ。

 ただ、数字として出てきた「3%」と「1%」に根拠が有るかと言うと、あまり無い。ある省庁幹部は「これまで最低賃金や春闘で3%の賃上げを求めているので、それを根拠にした。それ以上の意味は無い」と明かす。「1%」は、配れる財源から対象人数を勘案しながら決めたに過ぎない。

 賃上げの対象となった職種選びの基準も不透明と言わざるを得ない。フルタイムで働く人の月給は全産業平均で30万7700円だ。介護士は23万9800円、保育士は24万5800円と下回る一方、看護師は30万9100円と全産業平均を上回る。所得の向上なら、平均を上回る看護師を賃上げの対象に入れるのはやや不可解な面が有るのは否めない。

 それに、所得が低くなりがちな医療機関や介護施設で働く事務職は対象になっていない。与党や業界団体の要請を受けて、看護補助者や理学療法士、作業療法士らのコメディカルにも充てられるように柔軟な運用が認められるようになったが、財源は増えないため、「柔軟な運用」をする場合、看護師の引き上げ分は4000円よりも減る事になる。賃上げ幅は春闘等を参考にした面が有るものの、職種選びは新型コロナウイルス感染症対策への慰労的な側面が残り、政策的に一貫していない印象を受ける。

 全産業平均を上回る看護師が対象となった背景の1つとして囁かれているのは、日本看護連盟が自民党総裁選で岸田首相を応援したから、というものだ。岸田首相以外を応援した自民党の厚労族は、「日本看護連盟に応援を依頼したが、岸田支援で固まっており、牙城を崩すのは厳しかった」と明かす。もちろん、新型コロナウイルス感染症対策を看護師が支えたという側面が強いにせよ、「こうした政治的な事情が対象選びに大きく影響しているのではないか」(厚労省幹部)との意見も出ている。

 補正予算案では、必要経費として約2600億円を計上した。内訳としては、看護師57万人分で215億円、介護士ら138万人分で約1000億円、障害福祉施設職員約57万人分で417億円、保育士ら84万人分で900億円などだ。これらの必要経費は今後、診療報酬や介護報酬など公定価格に跳ね返る見込みだ。

賃上げ策の背後にある、様々な思惑

全てを公定価格に組み込むかどうかは、これからの制度設計次第だ。岸田首相は公定価格の抜本的な見直しを掲げている為、霞が関の一部では、増税等負担増と絡めた改革に繋げようとするのでは、という見方もある。いきなり改革では世間の理解を得られない為、賃上げを主導しているという訳だ。

 かつては10年以上の経験のある介護福祉士に月額8万円相当の処遇改善を行ったり、保育士には副主任保育士に月額4万円の処遇改善を実施したりして来た経緯が有る。これらの施策は、「エッセンシャルワーカー」の中でも介護福祉士や副主任保育士は全産業平均より月給が下回る為、それに近付けるべく実施されたものだ。これらに比べると、今回の賃上げ策のインパクトは随分と弱いものになっていると評価せざるを得ないだろう。

 実際、報道を見て、「たった月4000円か…。ケチでしみったれた政府だ」や「介護と保育士は給料が上がって、看護師はコロナ対応だけで馬鹿馬鹿しい」「ありがたいが、4000円なんて話題にもならない額だ」といった批判的な内容がインターネット上でも溢れた。

 いずれにしても、「22年夏の参院選前にとにかく金を配りたかっただけではないか」(厚労省中堅職員)と揶揄する声もある今回の賃上げ策だが、様々な思惑が背後で絡み合った末に練られたものである事だけは間違いなさそうだ。

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