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未来の会

私の海外留学見聞録 ① 〜タイトル:Mayo Clinicのノッポな恩師達〜

私の海外留学見聞録 ① 〜タイトル:Mayo Clinicのノッポな恩師達〜

土屋 了(つちや・りょ)
公益財団法人ときわ会 顧問
Mayo Clinic(ミネソタ州・ロチェスター)

 1976年、国立がんセンターのレジデントの修了が近づき、無性に米国へ留学したくなりました。そこで恩師の末舛恵一部長(当時)に相談したところ、「肺がん外科については国立がんセンターの専門家が十分に時間をかけ、手術も多く経験させたので、留学してまで学ぶ事は何もない。行きたいなら、自腹で見学に行って来い。自腹なら、勿体ないので遊ばずに一生懸命勉強するだろう」と言われ、77年4月、S.Spencer Payne胸部外科教授宛の紹介状を抱えて、1人不安な気持ちで、世界一と名高いMayo Clinicを訪問しました。

「Methodist Hospital」のカフェエリアで教授に紹介状を渡すと、開封するなり紹介状をレジデントと私に見せてくれました。そこには「This is Ryosuke Tsuchiya.K. Suemasu」の1行だけ。3人は大爆笑となり、緊張は吹き飛びました。

 出発前に、石川七郎総長(当時)から「肺がん診療は十二分に教えたから、診療のシステムを見て来い」と言われていましたが、その日に来た患者はその日のうちに結論を出すと言う方針で、驚きの連続でした。朝診察をしたら、必要な検査を実施。結果を確認し、肺がんと診断がつけば、手術に耐えられるかを調べ、手術適応となれば、内科から外科に紹介される。外科医の説明に納得すれば、夕方には入院、翌朝には手術、5日後には退院という流れで、全てがスムーズな事に驚きました。外科医は手術室を同時に2室使い、それぞれレジデントが開胸。要所要所で外科医が指導しながら時に自ら手技を見せ、1日に5〜6例の手術を夕方までには終了する。原則、麻酔は麻酔看護士が担当し、麻酔科医はアドバイザーとして手術室を回診。手術終了時にベルを押すと速記者が飛んで来て、術者の話を手術記録として打ち込み、その日の全ての手術が終わると、メールボックスに整理された用紙を確認し署名する。これで手術記録は完成。

 万が一、術後合併症が起こるとICUに入室し、患者管理はICUチームが行う為、外科医は朝夕に回診するのみとなり、予定通りの外来診療・手術に専念出来る。看護師の夜勤は月10日で、日本で言うところの深夜勤のみ。準夜勤は、勤務時間と余暇時間が入れ替わっただけなので夜勤ではないとの理解でした。しかも、5日連続夜勤の方が、2〜3日毎に睡眠時間を変えるよりも負担が少ないとの事でした。

 2回目の留学は80年、国立がんセンターから国費で3カ月派遣して頂きました。出発直前に、責任者の杉村隆研究所長(当時)に呼ばれ、「今度は何を勉強して来るのだ?」と聞かれ「肺がんの、特に臨床試験の方法と検診の評価法等です」と答えたところ、「馬鹿者! 煽てるわけではないが、幹部候補生と思って送り出すのだから、病院管理を勉強して来い」と叱られました。

 そこで、Mayo Foundationの理事でもあるDavid R.Sanderson内科教授にお願いをして、2カ月をかけて27人のMBA資格を持つ経営担当者に会い、病院の組織や運営管理と経営について面談する事が出来ました。面談の合間を縫って、私の指導者であるPhilip E.Bernatz胸部外科教授の後を追い掛ける日々。教授は長身で、階段を一段置きに登るので、私も短い脚で懸命に1段置きに登っていると、教授はニヤッとして、2段置きに登り、からかわれたのも良い思い出です。

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