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岸田首相の「ライフワーク」は本物か

岸田首相の「ライフワーク」は本物か
核兵器禁止条約オブザーバー参加を迫る公明

「核兵器のない世界」を目指す事が政治家としてのライフワークだと公言してきた岸田文雄首相にとって、大きなチャンスの到来である。あとは本人のやる気と知恵次第。ここでアクションを起こさなければ、そもそも「ライフワーク」が虚言だった事になる。何がチャンスなのか。3つの視点から指摘したい。

米中の核軍拡競争に歯止めを

 1つは米国の変化だ。岸田首相が外相を務めていた2017年7月に国連で採択された核兵器禁止条約に日本は署名しなかっただけでなく、採決に反対した。この時の思いを岸田氏は著書『核兵器のない世界へ勇気ある平和国家の志』の中で次のように記している。

 「仮に、唯一の被爆国である日本が非保有国の先頭に立って、核保有国を批判するような印象を持たれたとすれば、それは『核の傘』を提供する米国の不信感を招くばかりでなく、他の核保有国の反発も誘発し、結局は核保有国と非保有国の溝を深めるだけで、その『橋渡し役』すらできなくなるという結論に達したのです」

 当時の岸田外相は日本政府内で、条約の策定交渉に参加して核保有国と非核保有国の「橋渡し役」をしたいと主張したが、退けられた。17年と言えば、トランプ前米大統領が就任した年だ。トランプ氏は大統領選の際、日本等の同盟国により多くの軍事負担を求める事を公言し、日本の核武装を容認する考えまで示していた。唯一の戦争被爆国として核兵器廃絶を主張はするが、中国や北朝鮮から核攻撃を受けたら米国が反撃してくれる「核の傘」は提供して下さい——等という理屈が通用する相手ではなかった。

 しかし、現在の米大統領はそのトランプ氏を大統領選で破ったバイデン氏だ。オバマ元大統領が「核なき世界」を志すプラハ演説でノーベル平和賞を受賞した09年当時の米副大統領である。将来的な核廃絶を目指す事と、現実の脅威に対する自国の安全保障を米国の核抑止力に依存する事は矛盾しないという論理は通じるはずだ。16年5月、現職の米大統領として初めて被爆地・広島を訪問したオバマ氏を、被爆地出身の外相として迎えた岸田氏が言えば尚更だろう。

 ここでもう1つの視点として米中対立の問題を考えたい。米国はロシア(旧ソ連)との間では核兵器の保有を規制する条約を結ぶ事で、核軍拡競争に歯止めを掛けてきた。しかし、そうした条約に参加していない中国は積極的に核開発を進め、アジア太平洋地域では米中の軍事バランスが崩れつつある。その1つが中距離核ミサイルで、米国がソ連(当時)との中距離核戦力(INF)全廃条約を結んでいる間に、中国は在日米軍基地を射程に収めるINFを配備し、それがトランプ政権によるINF条約廃棄へと繋がった。

 米国は現在、中国に対抗する新たなINFミサイルシステムの開発を進めており、バイデン政権もその路線を引き継いでいる。このまま日本政府が米国の核の傘に依存するばかりの安全保障政策を続けるのであれば、いずれ中距離核の日本配備を受け入れるよう米国から迫られる恐れがある。かつて米占領下で核兵器が配備され、米ソ冷戦の最前線で核戦争の危機にさらされた沖縄に、再びその負担を強いる事が政治的な選択肢となり得るだろうか。あるいは九州配備なら可能なのか。

 そのような厳しい選択を迫られる前に先手を打てるのが核兵器禁止条約だ。日本政府として条約に賛成する立場を表明し、米中双方にアジア太平洋地域の脅威となる核兵器の廃棄を呼び掛けるのである。綺麗事と思われるかも知れないが、米中の核軍拡競争の最前線に日本が置かれる事態を避ける、有効な手立てはこれしかないだろう。

 米中新冷戦は激化の途上にあるが、いずれどこかで折り合いを付ける方向に双方が動く可能性が高い。そこを見据えず米国一辺倒で拳を振り上げていたら、米中デタント(緊張緩和)の機運が高まった時に日本は国際的に孤立しかねない。今なら、核兵器禁止条約に賛成の立場から中国に核廃棄を迫る事が出来るし、日本がそうした立場をとる事は地域の緊張緩和を求める東南アジア諸国連合(ASEAN)等の非核保有国からも大いに歓迎される筈だ。

「何がしたいのか分からない」

3つ目が国内政局の視点だ。岸田首相は衆院選前の組閣に当たり、国土交通相留任が有力視されていた公明党の赤羽一嘉氏に代えて同党の斉藤鉄夫・副代表を起用した。いや、公明党側が新内閣に斉藤氏を送り込んだと言った方が適切だろう。

 斉藤氏は衆院比例中国ブロックの選出だったが、河井克行・元法相が大規模買収事件で議員を辞職した衆院広島3区に鞍替えした。10月の衆院解散・総選挙が迫る中、選挙活動に専念すると見られていた斉藤氏をあえて入閣させたのは、同じ広島の岸田氏と公明党・創価学会とのパイプ役を期待しての事。裏を返せば、公明党側はそれだけ岸田氏との意思疎通を不安視していたようだ。

 そして、衆院選の選挙戦を通じて斉藤氏が強く訴えたのが、来春に初めて開かれる核兵器禁止条約締約国会議へのオブザーバー参加だ。日本は締約国ではないから正式メンバーとしては参加出来ないが、唯一の戦争被爆国がオブザーバーとは言え会議に参加し、核廃絶に取り組む姿勢を示す事は、米国一辺倒と見られて来た安倍晋三‐菅義偉政権からの路線転換を印象付けるだろう。

 米国の同盟国も、競合相手の中国等も、トランプ前大統領の「アメリカファースト」に振り回された昨年までの4年間、安倍元首相はトランプ氏と蜜月関係を築く事でリスクマネージメントに徹した。その中で核兵器禁止条約に参加してトランプ氏の逆鱗に触れる選択は難しかったと言えよう。バイデン政権に代わった今年、東京オリンピック・パラリンピック開催を最優先してきた菅前首相に方針転換を検討する余裕が無かったのも致し方ない。「平和の党」を自任する公明党として、岸田政権の誕生を好機と捉えたからこその斉藤国交相人事だったと言う訳だ。

 岸田氏としても、念願の首相の座に上り詰め、ライフワークの実現に取り組む大きなチャンスを手にしたのだから、政治家冥利に尽きるシチュエーションだ。衆院選前の党首討論会等で「自ら核兵器禁止条約にどう関わるかだけではなく、核兵器国をどう動かすかに汗をかくことが唯一の戦争被爆国としての責任だ」と繰り返した。核保有国と非核保有国の橋渡し役をすると言うばかりで特段の成果を挙げられなかった従来路線を踏襲するとも読める一方、締約国会議へのオブザーバー参加は否定していないようにも聞こえる。

 永田町・霞が関の界隈では「何がしたいのか分からない」と評されてきた岸田氏。「金融所得課税の見直し」「令和版所得倍増」「健康危機管理庁の創設」等々、岸田氏が9月の自民党総裁選で打ち出した岸田カラー政策の多くが党の衆院選公約では姿を消した。新自由主義的政策の弊害を正す分配重視の姿勢もあやふやにトーンダウンした。

 政権の後ろ盾となる安倍元首相らへの配慮なのだろう。だが、ライフワークにも取り組まないのだとしたら、何の為に首相になったのか。「中身が空っぽ」等と揶揄される首相で終わってほしくはないのだが、あとは本人次第である。

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