国民が見てきた「感染症対策の無策」と「不思議な理論」
新型コロナウイルスのパンデミックは世の中の「本質」や「問題点」を炙り出した。コロナ感染症対策を担う「医系技官」に対する風当たりは強まるばかりだ。医系技官に求められる資質やその必要性について改めて振り返りたい。
厚生労働省のホームページ(HP)には、医系技官の定義がこう記されている。「人々の健康を守るため、医師免許・歯科医師免許を有し、専門知識をもって保健医療に関わる制度づくりの中心となって活躍する技術系行政官のことです」。いわゆる法律や経済等に詳しい事務系のキャリア官僚とは、医学的な専門知識を有する点で異なる。このHPには、求められる姿として「医師としての専門性と行政スキルの両方が必要」とも強調されている。
期待に応えられない事案の数々
しかし、このパンデミック禍では、首相官邸と医系技官との対立が昨年春以降、盛んに報じられてきた。記憶に新しいところでは、治療薬候補として注目を集めた抗インフルエンザ薬「アビガン」の承認を巡る水面下の「暗闘」や擬陽性等による医療ひっ迫への懸念からPCR検査の拡充に抵抗した「騒動」等が挙げられる。更に最近では、ファイザー製ワクチンをはじめとした医薬品の承認プロセスが国際的に遅いとの批判を受けたり、「野戦病院」といった臨時の医療施設等による病床拡充に手間取ったりする等、外部が求める期待に応えられない事案には枚挙にいとまがない。
しかし、批判が全て正しいとは言えない面はある。「アビガン」についてはその効果が未だはっきりせず、富士フイルム富山化学による治験が続行中だ。催奇形性の副作用があるため、一歩使い方を間違えれば「健康被害をもたらしかねない。ワクチンの早期承認の問題も、過去の薬害に対する経緯を踏まえれば諸外国のように簡単にいかない問題だ。医系技官の中には「アビガンは安倍晋三前首相のお友達だった富士フイルムホールディングスの古森重隆会長(当時)を救うための圧力だった」と疑う向きは今も根強い。
とは言え、医系技官の「言い分」が十分に伝わらないのは、その能力的な「限界」があるからだと言う。厚労族の自民党幹部の秘書は「コロナ対応を見ていると、未知の危機に対応が出来ない。更に医師会に弱く、ある種、言いなりになっているケースも多々ある」と指摘する。大手紙の医療担当記者は「根回しが医師会中心のため、説明して相手を説得する能力がなかなか磨かれない。身内の論理だけで片付いてしまうからだ」と指摘する。
こうした問題について、ここ最近で分かりやすい事例として挙げられるのは、2016年末に政府・与党内を巻き込んだ高額療養費制度の見直しを巡る議論だろう。厚労省は、70歳以上の一般所得者(住民税が課税される年収370万円未満)が外来の窓口で支払う毎月の限度額を1万2000円から2万4600円に引き上げようとした事等、医療制度の改革案を密かに練っていた。この改革案は社会保障審議会医療保険部会に提案されたが、永田町への根回しが不十分だった事から与党内での議論が紛糾した。
当時の保険局長は「医系技官のエース」と呼ばれた鈴木康裕・前医務技監だったが、高額療養費制度を創設したと自負する公明党の反対は根強く、同党内からは「保険局長は誰だ」や「局長は何をやっているんだ」と怒りの声が湧き上がったほどだった。最終的に厚労省が落とし所と考えた「1万8000円」を大幅に下回る「1万4000円」で決着した。制度の見直しとしては不十分な結果になったと言える。医系技官の中には「正しい事をやっているのだから、事前の根回しはあまり必要ないのではないか。説明すれば分かってくれるだろう」という意識も根強い。この後、当の鈴木保険局長は医系技官の最高のポスト「医務技官」に就任したのは興味深い人事だ。
更に、8月に公表したコロナ患者の療養方針見直しも、中等症の取り扱いをはっきりと説明していない。記者向けのブリーフィングには迫井正深・医政局長と江浪武志・健康局結核感染症課長が説明に臨み、中等症の取り扱いは江浪氏が説明した。江浪氏の説明は以前から分かりにくい事で有名だ。取材した多くの記者が「江浪氏の説明は意味が分からない」と口にしている。自民党の部会でも医系技官の説明に、出席した議員からは「医学的な知見を有した医系技官としての説明としてなっていない」や「最新の知見を理解していない」という批判は多い。
人事や研修の面で改革が求められる
今後、医系技官に特に求められるのは医療制度を熟知していない国民に対する説明能力と言える。これはキャリアの事務系行政官にも当てはまる事だが、彼らは入省以来、「業界団体や永田町に鍛えられてきた歴史がある」(中堅事務系キャリア)。医系技官にはこうした経験が乏しい。財政が健全で社会保障制度の見直しが頻繁に行われない時代なら、専門的な知識を有する医系技官を中心とした政策立案で十分だった。頻繁に新たな負担を求めないといけない時代が到来しており、制度の見直しに伴う国民への説明とその理解は必須だ。ある大手紙記者は「医系技官の説明能力が低いのは、説明を受ける側がどのような答えを求めているのかを理解していないからだ」と手厳しく指摘する。
医系技官を志望する者は、医療政策に携わり、国民の健康を担う事を目指すケースだけでなく、実は、医系技官の中には「大学時代に臨床の道に進むのが厳しく、厚労省に拾ってもらった」と入省する者も少なからずいる。採用試験も医師免許を前提としているため、選考方法は書類審査と面接が中心だ。応募数も少ないため不採用になるケースは少なく、「よほど人格的な問題がない限りは試験に落ちる事はない」(採用担当の経験がある医系技官)と言う。
医系技官は卒業年次主義を採用しているため、民間病院等の臨床経験を経て入省しても、卒業年次次第では課長補佐等から官僚人生を始める。和泉洋人・首相補佐官との関係を取り沙汰された大坪寛子・大臣官房審議官もこのようなケースに当たる。大坪氏は「自己顕示欲が人一倍高いが、弁舌は分かりやすく、説明能力も高い。ただ、政策に対する理解があるかは不透明」(厚労省幹部)と評される事が多い。秋にも行われる幹部人事でも要職での起用が、夏頃に既に決まっている。大坪氏が台頭した背景には、和泉氏の寵愛を受けていた他に、こうした医系技官特有の素地が影響したと見るのが妥当だ。
一方で、医系技官の中には、コロナ対応の最中にもかかわらず厚労省に見切りを付けて退職した若手も多い事には驚かされる。行政経験を生かしてコンサルタントに転身するケースも増えていると言う。人材の流動性があるのは仕方ない面はあるが、採用する人材の質を高める必要はあるだろう。
「慶應閥」が強いのも、公衆衛生分野での先輩後輩の繋がりが強いからだが、やはり、多様な人材を採用する必要があるとの指摘はある。採用方法の見直しや研修制度を取り入れる事等も1つの手かもしれない。ある政策コンサルタントは「医系技官はこのコロナが有事だと考えていないのではないか。1年以上が経過しても変わらずに平時の対応をしている」と厚労省の対応を批判する。
これまでも「医師会に弱いが、医師免許を持っているからかその他の人には上から目線の人も多い」(自民党秘書)と言われる医系技官。その医学的な専門知識は今後も社会保障制度の充実のためには欠かせないはずだ。厚労省には未だに「旧厚生」「旧労働」という壁が存在しているが、「旧厚生」の中には事務系キャリアと医系技官という壁もある。組織が硬直化してしまうと、柔軟性や多様性は失われがちになる。医系技官を筆頭にその採用制度も含め、人事や研修の面で改革が求められる時期に差し掛かっているのかもしれない。コロナ感染症拡大の中で、国民は医系技官の存在を知った。白日の下に晒された医系技官の行く手には改革の嵐が待ち受ける。
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