新型コロナウイルス感染症に対するワクチン接種は、目標とされていた1日100万回以上の接種も実現し、順調とは言えないまでも着々と進行している。日本のワクチン戦略は、どこが優れ、どこに問題があったのだろうか。新型コロナのDNAワクチンの開発に取り組み、内閣府の健康・医療戦略推進事務局参与も務める森下竜一氏に、日本のワクチン戦略と国産ワクチンの可能性について話を聞いた。
——コロナワクチンの接種が進んできました。このまま収束するような事はありませんか。
森下 このまま収束というわけにはいきません。ウイルスがデルタ株に置き換わる事でワクチンの効果が落ちているので、接種が進めばある程度は収まってきますが、ブレイクスルー感染を起こすようなケースも増えてきます。ブレイクスルー感染が起きても、本人は重症化しませんが、打っていない人に感染すれば重症化のリスクがあります。ワクチンを打っているからと自由に歩き回る事で、かえって感染が広がってしまう事も考えられなくはありません。
——日本の接種状況をどう見ていますか。
森下 良かったと思うのは、ファイザーとモデルナの2本立ての接種体制にした事です。ファイザーの自治体による接種と、モデルナを使った自衛隊の大規模接種と職域接種。これをしっかり分けたのが、接種をスムーズに進めるのに役立ったと思います。
——1日100万回以上の接種も、無理と言われながら結局は実現しました。
森下 やはり職域接種を始めたのが大きかった。自治体に比べると企業の方が自由度が高いので、過去の前例に囚われずにいろいろな事が出来ました。例えば職域接種では、接種券がなくてもどんどん打って、後で処理するという方法をとりました。これが民間の発想です。自分のお金でやるので、いろいろな事が出来るわけです。結局のところ、職域接種を始めた事が100万回達成の決め手になりました。高度成長期にもよく言われた事ですが、やはり日本の場合、民間の力の方が圧倒的に大きいのです。
——ワクチン担当大臣を置いた事は?
森下 良かったと思いますよ。ワクチン接種の現場からすれば、司令塔があるかないかは非常に大きな違いですから。更に言えば、ワクチンの開発や製造から一貫したワクチン担当大臣がいると、もっといいと思います。現在のワクチン担当大臣は、ワクチンの分配と接種推進が仕事で、ワクチンの調達は最終的に権限を持っているのは厚生労働大臣です。
ワクチン調達には戦略が必要
——ワクチンの調達は重要な仕事ですね。
森下 このパンデミックの中におけるワクチンの獲得は、まさに国家間の競争なので、戦略的な交渉が必要になります。例えば国産のワクチンが完成しそうだという事になれば、海外製のワクチンはたくさん入って来るようになります。その国のマーケットが近い将来なくなるのであれば、それまでにたくさん売ろうとするのは当たり前です。逆に国産ワクチンの開発が進んでいなくて、海外製ワクチンを使うしかない状況なら、当然、高く売る事になりますし、出し惜しみして値を釣り上げていくでしょう。向こうもビジネスですから。そうすると、国産ワクチンの目途が付いているかどうかで、海外製ワクチンの入り方が変わってくるわけです。ワクチンはまさに戦略物資で、そのあたりは国家間の交渉に近いものがありますから、戦略的に交渉しなければならないと思います。
——どのくらいの金額なのですか。
森下 ワクチンの価格は公表されていませんが、最初の分が7000億円くらいで、追加分を加えると1兆円を超えているようです。高いとも思えますが、コロナの感染拡大に対する経済支援で日本は10兆円を超えるお金を使っていますから、感染を抑えられるのなら、ワクチンは安いとも言えるわけです。ただ、これからも毎年1兆円を払い続けるとすると、日本はこれまで年間の薬剤費を3兆〜4兆円に抑えてきているわけですから、なかなか厳しい事になります。
——ワクチン購入の交渉は誰がしているのですか。
森下 以前は厚生労働省の課長補佐がやっていました。それで最初のうちはなかなか決まらなかったのです。1兆円を超える予算を使う仕事を、課長レベルでやるというのが無理な話だったのです。その後、和泉(洋人)総理補佐官が担当され、今は河野(太郎)大臣主導で進んでいるので、話が決まりやすくなりました。
——海外製ワクチンに頼るのは問題ですね。
森下 当然の事ですが、ファイザーもモデルナもアメリカの分を先に押さえるので、残り物しか出てきません。それに製造もヨーロッパですから、日本に輸出するのにも、EU(欧州連合)の許可が必要になります。従って、今は輸出してくれていても、急に輸出許可が出なくなる危険性は常にあるわけです。やはり国産ワクチンを持っている事は重要ですね。
日本はワクチン開発をやめていた
——国産ワクチンの開発が遅れた最大の理由は?
森下 遅れてしまった一番の理由は準備不足だったと思います。開発に当たった我々サイドにも責任がありますが、そもそも日本では、感染症は終わった病気という事で、大学等に対する国の支援もありませんでしたし、企業も儲からないという事で、ワクチン開発をやっている会社がないという状況でした。そこに今回のパンデミックが起きたわけですが、常に開発を続けていなければ、いざという時には間に合いません。一方アメリカは、9・11の後のバイオテロで、ワクチン開発が非常に重要である事に、国として気づいていました。国家の存亡に関わるという危機感を持ち、軍部を中心にして、早急にたくさん作れるようなワクチンの開発に取り組んできていたのです。対象となったのは、アフリカで流行しているウエストナイル熱とかエボラ出血熱です。世界中に展開する米軍では、そういうウイルスに対するワクチンが、実際に必要だったという事でしょう。結局、ワクチン大国は軍事大国なのです。新型コロナのワクチンを作ったのは、アメリカ、ヨーロッパ、ロシア、中国、それからインドですから。
——ワクチン外交という言葉も生まれました。
森下 軍事大国のワクチンは東南アジアの政局に直結しています。例えばフィリピン等いくつかの国では、中国製のワクチンをもらうと、華僑の力が強くなるわけです。それによって中国系の政権になってしまう可能性があります。フィリピンやベトナムは、ロシアのワクチンをもらうと、軍港をくれという話になります。それは嫌だけれど、例えばベトナムはアメリカからもらえないので、困ってしまうわけです。特に来年は東南アジアの国々で選挙が続くので、非常にナーバスな話になっています。日本の選挙はどっちが勝っても大きな変化はありませんが、東南アジアの多くの国では、色がどっちに変わるかという選挙ですから。
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