岡山の阪井流入居支援を全国に
日本という国は問題の根本を解決しようとせず、表面的に取り繕ってやり過ごそうとする。東京五輪でも露呈したその姿勢は、精神医療分野でもフルに発揮されてきた。患者のメンタル不調の原因を見極めて対処する努力を怠り、「変人」や「危険人物」扱いし、病院という名の強制収容所に閉じ込める政策も、この国のデタラメぶりを象徴している。
昭和の民間精神科病院乱造は失策であり、超長期収容は著しい人権侵害だが、政府も国民も見て見ぬふりを続けてきた。「地域に受け皿がない」という屁理屈で収容継続を正当化し、高齢化した被害者が死に絶えるのを待っている。その日まで頬被りを続けて、問題をなかったことにするつもりなのだ。
しかし、「そうはさせまい」と奮闘する人もいる。岡山市で不動産業を営む阪井ひとみさんがその1人だ。十数年前から精神障害者らの入居支援や退院支援に取り組み、精神科医や弁護士らも加わる多職種チームを編成して成果を上げてきた。
今夏、久しぶりに阪井さんに会った。豪快でサバサバ系の性格にみえるが、細やかな気遣いを怠らない。だからこそ、排他的傾向が強い地域にも溶け込み、住民意識を変えられたのだろう。活動開始時の状況を、阪井さんはこう振り返る。
「精神障害者は、不動産屋で入居申し込みを断られることがほとんどでした。見せてもらえる部屋も窓がないなど劣悪で、契約を急かされる。自力で生活できるのに、管理が厳しいグループホームや施設に送られる人も目立っていました」
約50年入院させられた70代の女性Aさんも、阪井さんの支援で自由を得た。Aさんは、症状の重さではなく、家族や親族の「世間体」を守るため、幽閉状態に置かれてきた。退院したAさんは、浦島太郎状態を脱して地域に溶け込んだ。しかし、おかしな行動が1つ表れた。近所のコンビニに毎日5回、6回と行くようになったのだ。その度に、少額の買い物を繰り返す。心配した阪井さんが「一度に買えばいいじゃない」と言うと、Aさんは答えた。
「買い物をする度に、店員さんが『ありがとうございます』と感謝してくれます。そんなふうに言われたことがなかったので、うれしくて、うれしくて、何度も行ってしまうんです」
Aさんはその後、家族に再び入院させられたが、家族が亡くなったことで再び自由な暮らしを得た。
阪井さんは現在、精神障害者が入居可能な物件を600〜700戸も確保している。家賃は、障害年金でも払える月額3万円台後半が中心。入居後の生活全般の支援も怠らない。こうした取り組みに賛同する不動産会社や大家は多く、岡山では、障害者の家探しのハードルは下がっている。だが他県では相変わらず、多くの精神障害者が住宅難民となっている。
今夏、私が関わる横浜の福祉事業所を利用し状態が安定していた男性が、精神科病院に強制入院させられた。過去のトラウマで、深夜に度々大声を出すためグループホームに居られず、他に家もないので病院に放り込まれたのだ。彼がもし岡山に住んでいたら、阪井さんが「夜に大声を出しても平気な物件」をすぐに紹介してくれただろう。実際、そんな家を求めて岡山に移り住む人もいる。
阪井さんが築き上げた入居支援のノウハウを、全国で活かさなければならない。私が住む神奈川県では一刻も早く阪井流支援を実現したいと思っている。
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