美容医療を巡るトラブルが問題になっている。消費者庁には多くの声が寄せられているが、医師の裁量に任された自由診療のため、問題のある医療行為や承認されていない材料が野放し状態になっているためだ。国民から信頼される美容医療を目指すには、形成外科を学んだ医師がサブスペシャリティとして美容外科のトレーニングを積む事が望ましい。そうした専門医制度を構築し、医学部で美容外科を学べるようにする事が、日本の美容医療の質を高める事に繋がるという。
——日本の形成外科の歴史はいつから始まりますか。
大慈弥 形成外科は海外では長い歴史があるのですが、日本では標榜科となったのが1975年です。それまでは、形成外科という言葉が正式に認められていなくて、整容外科とか美容整形といった言葉が使われていました。日本の大学で最初に形成外科が出来たのは東京大学で、確か1960年の事です。東京大学附属病院に形成外科が独立した診療科として誕生し、それから慶應大学や京都大学等に出来ていったのです。現在、全国に80余りの医学部がありますが、秋田大学や鹿児島大学等数校を除き、ほとんどの医学部に独立した形成外科があります。内科や外科など19の基本診療科がありますが、形成外科はその中の1つになっています。
——形成外科に進まれたきっかけは?
大慈弥 私は福岡大学の出身ですが、当時、形成外科はありませんでした。そんな学生時代に、上顎がんの手術を受けた患者さんの顔が半分なくなっているのに驚いた事があります。当時はそういった手術が行われていて、執刀した教授は、これできちんと治ったと言っていました。しかし、患者さんは嘆いているわけです。こんな顔でどうやって生きていくのかと。確かにそうだなと思いました。きっかけと言えば、それがきっかけでした。医学部に入る前から、絵を描いたりするのが好きで、美術関係にも興味がありましたが、そういった事も関係しているかもしれません。5年生の時に上京し、当時形成外科のメッカだった東京警察病院に見学に行き、こういう診療科があるのだという事を知りました。
——東京警察病院の形成外科が有名だったのですか。
大慈弥 東京大学形成外科の初代教授であった大森清一先生が、その頃は東京警察病院に移っていました。全国から多くの患者が警察病院に集まっていました。また、形成外科をやりたい若い医師達も集まっていました。私自身は学生の時に見学に行き、形成外科を目指してはいたのですが、卒業後は防衛医大の皮膚科に進みました。皮膚科の教授が形成外科的な手術の好きな方で、うちで勉強しなさいと言ってくださったのです。ただ、形成外科の勉強をするためには独立した形成外科に行く方がいいという事になり、2年目に北里大学の形成外科に移り、塩谷信幸先生の門下に入りました。そこで初めて形成外科のきちんとしたトレーニングを受けたわけです。
形成外科の4つの柱の1つが美容外科
——形成外科の仕事は他の診療科と異なりますね。
大慈弥 形成外科が担当する医療を一言で表現すると、「機能を含めた形の再建」という事になります。通常の病気治療は救命と機能の回復が目標です。形成外科はこれらを踏まえた上で形を修復する事が目標となります。4つの柱があって、その1つが外傷です。顔の外傷や熱傷、切断肢がここに入ります。2つ目は先天異常で、多いのは口唇口蓋裂や小耳症です。その他に、多指症、合指症、漏斗胸等もあります。3つ目は再建外科です。頭頸部がん治療後の顔の再建もありますし、乳がんで乳房切除した後の乳房再建もあります。そして、4つ目が美容外科です。特に病気ではない人が、より美しくなるために受ける治療です。必要となる知識や技術の基本は形成外科の他の領域と一緒です。最近は高齢化により褥瘡の治療等も増え、糖尿病性の足潰瘍の治療も増えています。それから、私が専門としている眼瞼下垂も、加齢に伴って瞼が垂れてきた症例が増えています。
——形成外科で扱う対象も時代と共に変わってきた?
大慈弥 私が北里大学に入った頃は、毎日のように顔面外傷の治療をしていました。あの頃はドライバーがシートベルトをしていなかったので、ひどい顔面外傷が多かったのです。熱傷もかなりありましたが、現在は少なくなっています。随分変わりました。
——乳がん患者の乳房再建もある時期から多くなったのではありませんか。
大慈弥 2013年に乳房再建のための乳房インプラントが保険適用となりました。それまで乳房再建といえば、お腹や背中から自分の組織を移植して乳房を作る方法が主流でした。インプラントは豊胸術で使われていて、保険が使えなかったのです。インプラントであれば大きな手術は不要で、お腹や背中を傷つけなくて済むので、保険で使えるようにしてほしいと、乳がんの患者会から厚労省に要望があったようです。ただ、豊胸術ではシリコンバッグが破れる等、様々なトラブルが起きていました。そこで、患者さんにとって安全な治療になるような仕組みを作ってほしいと、厚労省から日本乳癌学会と日本形成外科学会へ依頼されました。その頃、乳房再建が盛んになってきた事もあり、日本乳房オンコプラスティックサージャリー学会が設立されました。
安全な乳房再建のための体制整備
——それはどのような学会だったのですか。
大慈弥 乳腺外科と形成外科が協力する事で、乳がん治療と乳房の整容性の両立を目指す学会です。乳腺外科の先生が理事長で、私が副理事長でした。ちょうどこの学会が出来たところだったので、体制整備の仕事が私に回ってきました。それでガイドライン作りが始まったのですが、まず適応を決め、施設基準や手術を行う医師の基準も決めました。更に報告制度も作りました。10年間はきちんと患者さんを診て、問題があったら報告するという厳しい制度を作りました。
——制度作りで難しかった点は?
大慈弥 最初は乳腺外科側から批判がありました。乳腺外科の先生も再建をやりたかったのだと思いますが、役割分担はきちんとしましょうという事で、乳腺外科はがんの治療に専念してもらい、形成外科は再建に専念する事になりました。そのため、インプラントを入れるのは形成外科の専門医がいる施設でなければならず、乳腺外科と共同でやらなくてはいけない事になっています。術後も患者さんを年1回くらいは診て、それを10年は続けるというルールを作りました。インプラントは全例登録し、問題が生じたら報告する事にしました。
——かなり厳格な決まりを作ったのですね。
大慈弥 保険診療となる時にしっかりした制度を作っておいた事が、乳がん治療における乳房再建が普及した1つの理由だと思います。患者さんはどんどん増え、一時は年間6500件くらいのインプラントによる乳房再建が行われていました。ところが、5年くらいした頃に、インプラントを入れた事によるリンパ腫(ブレスト・インプラント関連未分化大細胞型リンパ腫, BIA-ALCL)が海外で発生し、日本でも1例報告があったのです。その製品は使えないようにし、既に使用した患者さんには連絡をしてフォローする対策を取りました。体に入れる物は、5年10年経ってから問題が起きてくる事もあります。その時、医師と学会と国が責任ある対応を出来る事が必要だと痛感しました。美容外科でもそういう体制整備をしておく事が大切だと思います。
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