今日は、「オンラインセミナーのすすめ」という話をしたい。対象は一般の人たち、時間は全体で30分くらい、参加者は数人でオーケー、というミニセミナーをやりませんか、ということだ。もちろん、報酬は無料。「忙しくてそれどころではない」と言わずに、読んでみてほしい。
大学人文系学部の教員をしている私は、哲学や社会学などを学ぶ学生に講義をする機会がある。そこでときどき、個人情報に気をつけながら、臨床の場で扱っている疾患についても話すのだが、彼らからの発言にこちらがハッと気づかされることが多い。
特に昨今は、コロナの影響で多くの授業がオンラインになっているのだが、教室では挙手して発言するのをためらう学生たちも「チャット」と呼ばれる機能を使って、文字でさかんに質問やコメントをしてくる。たとえば、うつ病について1年生の授業で話したときはこんな質問が来た。
「うつ病は一生、治らないのですか。治っても必ず再発しますか」「うつ病で自ら命を絶つ人とそうでない人とどちらが多いですか」「親がうつ病なのですが、自分にも遺伝しますか」「うつ病の友人に連絡するのはやめた方がいいですか」「就職活動はできませんか」。
もちろん、すべての答えはノーだ。うつ病は適切な治療をすればコントロールできる病で、「治らない」「必ず自殺念慮が起きて実行する」などということはない。
遺伝子の関与は考えられているが、単純な遺伝はまず起きない。本人が望んだら、うつ病の人と適度に連絡を取るのは悪いことではない。主治医と相談しながらの就職活動ももちろんできる。
こういった質問に答えながら、いつも「そうか、一般の学生はうつ病をこう考えているんだ」「彼らが心配なのはこんな点なのだ」と、こちらがいろいろ気づかされる。医療従事者の「当たり前」は、一般の人たちにとっての「当たり前」ではないのだ。
こんな話をすると、開業医の先生たちはこう思うかもしれない。「あなたは大学で講義をする機会があるからいいけど、私にはそんな場はないから、一般の人たちのことを知りえないよ」。今日はそういう人たちのためにすすめたいことがある。
見落としがちな問題を闘病記で気づく
まずひとつは、最近、数多く出版されている患者さんたちの体験手記を読むことだ。自分の専門とする分野にかかわる闘病記も、必ず出ていることだろう。
この場合、ネットの匿名の手記には医療機関に対する一方的な不満や治療への過剰な警戒心などが綿々とつづられていることがあり、医療従事者としては読むのがつらくなる。それよりも、出版社から本の形となって出ているものがよいだろう。
私は最近、うつ病に陥った食文化ジャーナリストが書いた『料理に対する「ねばならない」を捨てたら、うつの自分を受け入れられた。』(阿古真理著、幻冬舎)というユニークなうつ病体験期を読んだ。仕事柄、料理が好きだった著者だが、うつ病になったらその気力が消えてしまった。それは精神科医の私にもわかる。
しかし、問題はその先で、気力がないのに「料理をしなければ」という意思は残る。それでも献立ひとつ浮かばないし、買い物に出ても食材が選べない。料理の専門家が店頭で「ピーマンがよいか、シシトウがよいか」ということが決められないのだ。だから、本人はよけいつらくなり、泣きながら夫に「何を買ってよいかわからない」と訴える。
こういったくだりを読んで私は、うつ病の人のしんどさは、ただ「いつものことができない」というだけではなくて、「できないのに、やらなければならない」という思いが続くことなのだ、と気づかされた。
だから、「夫に作ってもらってもいい」「外食でもいい」と“ねばならない”を捨てたとき、著者はおおいに気持ちがラクになり、うつ病も回復に向かっていった。もちろん、「うつが回復したからこそ、こだわりを捨てられた」と因果関係は逆かもしれないが、とにかく「できなくてもいいじゃない」という気持ちを持つことが大切なのだ。
このように、患者さん側からの手記には、その疾患の診断や治療のプロである医療従事者が見落としがちな問題が具体的に書かれている。そんな本ばかりとは言えないが、何冊か読むうちに、どんなベテランも「なるほど」という気づきが得られるはずだ。
日々の臨床や意思疎通にも生かせる
そして、もうひとつ。これはコロナ禍ならではだが、自分の診療所主催のオンラインセミナーをやってみてはどうか。対象は一般の人たちとし、「高血圧はなぜいけないの?」「外出自粛で気をつけたい食生活のお話」など、なるべくわかりやすいテーマがよい。時間も「レクチャー20分、質疑応答15分」くらいで十分だ。日時が決まったら、診療所のホームページや院内のポスターで告知をする。
いまはオンラインセミナーがあちこちで開かれているから、最初から「参加者300人」とはいかないだろう。「10人も集まれば上出来」と思っておいた方がよい。実はこのセミナーの主たる目的は質疑応答にあるので、人数が少ない方が質問は出やすいかもしれない。
当日は、自宅からでも診療所からでも、まずはパソコンに向かって、堅苦しくない雰囲気で自分の得意な分野、疾患の話をする。そして、「ご質問がある人は、音声でもチャット機能でもよいので、なんでもどうぞ」と呼びかける。すると、冒頭に記した私の大学の講義のように、参加者からの質問が出るだろう。参加している人はそのテーマに関心があるのだから、必ず何か聞きたいこと、知りたいことがあるはずだ。もし、すぐに質問が出なくても、「少しお待ちしますね。どんなことでもいいですよ」などと促しながら、時間を取る。
そのうちひとつ、ふたつとチャット欄に質問が書き込まれると思うが、それはごく初歩的なことや間違った情報に基づくものかもしれない。それでも「私のここまでの話を聴いてなかったのか!」と声を荒げたりせず、もう一度、丁寧に説明する。
若干の辛抱強さがいる作業だが、「一般の人はこんなことも知らないのか」「へえ、意外なことに興味を持っているんだな」という発見があるに違いない。
こういった経験は、必ず日々の臨床やそこでのコミュニケーションにも生きてくる。これまで何気なく説明していたことでも、単語を専門用語から一般の言葉に置き換えたり、「家族への説明はこうすればいいですよ」などとひとこと付け加えたりが自然にできるようになり、患者さんたちの不安をおおいに軽減できるだろう。実践したら、「やってよかった」「やっぱりやらなきゃよかった」といった報告をください。お待ちしています。
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