国内開発力向上忘れた承認制度手直し論議の「愚」
大阪や東京を中心に新型コロナウイルスの感染拡大が止まらない。5月7日、3度目の緊急事態宣言の5月末への期限延長と6都府県への対象地域拡大に追い込まれた。
「頼みの綱」コロナワクチンの接種も、65歳以上の高齢者で1回目の接種を終えたのは、5月上旬時点で1%程度と遅い。米ファイザー製ワクチンの承認が2月中旬と、欧米より2カ月遅れたのが痛い。コロナ対策に批判も高まり政府自民党は大慌てだ。
4月21日には自民党の科学技術・イノベーション戦略調査会が、手代木功・塩野義製薬社長から意見を聴き、古川俊治・自民党参議院議員は条件付き早期承認制度を新型コロナワクチンに活用する意向を示した。 この制度は、人に投与して薬の有効性と安全性を確かめる臨床試験(治験)のうち、多くの人を対象にする最終治験3相なしで承認出来るのが肝だが、危機時とはいえ多数の健常人向けのワクチンに3相なしで承認する事には安全性から反対が出るのは必至だ。
4月29日、日本経済新聞1面に「ワクチン、治験待たず許可」の見出しの記事が躍った。海外で使用されるワクチン等を、国内治験の途中でも国内で使用出来る法改正の準備を政府が進めているという内容だ。製薬業界が要望する、米国の緊急使用許可(EUA)の日本版の導入と考えていいだろう。
日本の現行法では3相までの国内治験を実施、そのデータを基に厚生労働省が審査に通常1年かけて初めて新薬として承認する事が原則だが、危機時等に備えた特例承認という制度がある。海外で使用され安全性・有効性が分かっている医薬品の承認審査を迅速化出来るものだ。
しかし、この制度でも国内治験を終えデータを揃える事が条件になる。ファイザーのワクチンもこの制度を使ったが、それでも申請から承認まで約2カ月かかった。国内治験とデータ審査の終了を待ったためだ。
現行法制では危機時の迅速対応は無理と考え、菅義偉政権が報道のような動きに出るのは当然だ。国内治験が終わる前に、海外で使用許可が出たワクチン等を海外データのみで審査すれば済むのであれば、現状よりずっと承認が早くなるからだ。
ただ、気になる事がある。米国のEUAを参考にすると日経記事は言うが、日本版が本家のものとは似て非なる点だ。
米ファイザーのワクチンでもそうだが、米国のEUAは米国内で大規模な最終治験まで終えて、そのデータを基に許可を出す。EUAにおける安全性・有効性等の認可基準、審査ともに厳格で、この点は正式の薬事承認(本承認)にそれほどそん色がない。大きく違うのは治験データ追跡や審査にかける期間が本承認より短い点だけだ。
「海外は(緊急時の使用許可に)国内治験を必要としない国がほとんどだ」。こうした菅首相の発言や先述した自民党内の早期承認制度活用の考えに、厳格な国内治験実施を条件付けても世界に先駆けて開発を成功させる米国に倣い追い付こうという戦略意思は全く見られない。
「日本発」がない現実
日本の現実が、そんな理想を吐ける状況にはないのは確かだ。
日本発で新型コロナ向けのワクチン、治療薬として承認されたものは未だ皆無だ。日本勢のワクチン開発で最先行の大阪大学とアンジェスでも、やっと500人対象の中期治験での全接種を3月に完了したばかり。万人単位の人を対象にした最終治験の開始は早くて今秋以降、承認は来年以降になる公算が大だ。他は塩野義製薬が昨年12月に、KMバイオロジクスや第一三共はこの3月にやっと初期治験に入ったところだ。
早いものだと昨年末に開発ワクチンが使用許可を得て世界中で接種が進む欧米、中国だけでなく、ロシア、インドのメーカーにも日本勢は大きく開発で後れを取り、まさに「ワクチン敗戦」の状況に日本はある。
この状況を根本的に変えない限り、国内開発ワクチンの誕生は遠い。承認を早める制度を入れても、海外で開発したワクチンを海外から少しだけ遅れて承認して頭を下げて分けてもらう「ワクチン2等国」の地位に日本は留まるだけだ。
承認・接種が早まるなら、海外開発のワクチンの輸入でもいい。こういう考えもあり得るが、これにはリスクがある。いつもワクチンが分けてもらえる保証はない。ワクチン開発に成功した国が、自国優先や政治外交的な思惑で、最悪のケースでは日本に禁輸する。そうでなくても、出荷量の大幅な制約や出荷時期の大幅な遅延等の措置に出る可能性は否定出来ない。
アンジェスとのワクチン開発を先導する森下竜一・大阪大学大学院医学系研究科臨床遺伝子治療学寄附講座教授が強調する、「安全保障としてのワクチン」の役割を考えれば、やはり危機時にも国内企業が世界に遅れずにいち早くワクチン等を開発出来る体制を整えておく必要がある。
「平時」も国の関与が大違い
国内総生産、医薬品の市場規模で世界3位の日本がなぜ、世界にかくも遅れてしまったのだろうか。
危機勃発時にすぐワクチン等の開発に乗り出し成功させられる基礎が欧米にはあった。ファイザーと組んだ独ビオンテックや米モデルナといったバイオベンチャーの先端技術がものを言って、1年内という驚異のスピードでワクチン開発に成功した。mRNAという遺伝子情報を使った医薬品で初めて使用認可が下りたというおまけ付きだ。10年来の研究の積み重ねがあって初めて出来た事で、決してまぐれの成功ではない。
欧米でのRNAワクチンの開発はエボラウイルス等で進んでいた。新型コロナ発生時には「遺伝子を(新型コロナウイルスのものに)入れ替えればよいだけの状態になっていた」と森下教授は朝日新聞のインタビューで語っている。
一方で、アンジェスとのDNAワクチンは感染症のワクチン開発としては一から試験を始めて「準備不足だった」事をモデルナと対比して率直に認めている。
もう1つ勝敗を分けたのが、国の関与の違いだ。米国の前トランプ政権は1兆円超の巨額資金を、コロナワクチンの開発・生産・購入を柱に投じた。モデルナのような、研究力は高度でも1つの新薬もなく資金力や販売力の弱いバイオベンチャーにとっては特に、約1000億円の資金を得た事が新規ワクチンの国際開発競争に飛び込むにはこれ以上ない支援となったのは言うまでもない。
翻って日本はどうだったか。ワクチン開発に投じた政府支援は第3次補正分までの合計約1800億円、生産体制支援に約1400億円と政府も支援を増やしてはいる。ただ、約6700億円支払う買い取り契約先は英米3社のみで国内開発品にはない。「開発費等の支援は有り難いが、政府からの事前の購入契約がほしい」とワクチン開発を進める日本企業のトップは本心を打ち明ける。
緊急時の対応に目が行きがちだが、実は平時の国の医薬品研究への関与の違いも開発に大きな影響を及ぼす。13年に当時創業3年目のモデルナに米国防総省傘下機関から24億円相当の補助金が出ている。遺伝子情報が分かればすぐ開発出来るワクチンは、実はバイオ兵器対策等軍事目的に合う側面もあるのだ。
軍事関連だけでなく、米国立衛生研究所(NIH)も4兆円を超す巨額予算を最先端医薬品研究支援に投じ、治験にも自ら積極的に関わる。
一方、日本では日本医療研究開発機構を中心に大学の基礎研究向けを含めて配る支援額も、治験等への関与の仕方も、米国に比べ桁違いに小さいのが実態だ。
この実態を変えずに一時的対策に終始するならば、日本のワクチン開発主導の目は永遠に消えるだろう。
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