消化器外科医
療養型病院勤務
片山 隆市/㊤
政治の世界では、官僚の高額接待が話題になっている。「1回7万円」「今度は10万円」といった金額に、日ごろグルメなドクターも「さすがに高いな」と感じているのではないか。
私事になるが、内閣広報官を辞職した山田真貴子氏は高校時代の同級生だった。同じクラスにはなったことがなく、「ハデさのないまじめな人」という記憶しかないのだが、卒業後、同級生の集まりではしばしば「官僚になったんだって」「女性初というポジションについたらしいよ」「こないだテレビで見た」などと話題になった。山田氏と親しくしていた人たちも「やっぱり」ではなく「意外だね」と言っていたから、上昇志向をむき出しにするタイプではなかったのだろう。そのイメージと、利害関係にある民間の業者から高額接待を受けたという情報とが、どうしても一致しない。長年、権力に近いところにいると、何かが麻痺してしまうのだろうか。
こういった接待は公務員の倫理規定に抵触するものだが、それは言うまでもなく、公正であるべき彼らが、接待してくれた相手に便宜を図るなど利益供与をするのを防ぐためだ。「接待されてもそれはそれ、として平等・公正に接すればいいじゃないか」と言う人もいるかもしれないが、なかなかそうはできない。それは、人間には誰にでも「返報性の原理」という心理メカニズムが備わっているからだ。
医師と製薬営業マンも似たような関係に
この「返報性の原理」というのは、要は「よくしてもらったらお返しをしなきゃ」という、“負い目”に基づく行動原理だ。とはいえ、いきなり高額接待などをされると「これは相手が何かを狙っているな」と警戒するので、一般的には小さなことから始める。ビジネステクニックの世界では、「フット・イン・ザ・ドア・テクニック」とか「ローボール・テクニック」といわれる。
初対面の営業マンに「ドイツの高級車を買ってください」と言われて「ハイ」と応じる人はごくまれだと思うが、「アンケートに答えていただけますか。このクルマのロゴ入りペンを差し上げますので」と言われれば、気軽に答えてペンをもらってしまう。すると、「ペンをもらっちゃった」という小さな負い目が発生し、次にその営業マンに会って「試乗会にいらしていただけませんか。クッションをプレゼントしますので」と言われると、「断っちゃ悪いな」という気持ちからついうなずく。そして、さらにクッションという負い目が発生し……とだんだんハードルが高くなり、ついに「よし、クルマ買い替えようか」となるわけだ。
私は医者になったばかりのときは、製薬会社の営業マンたちと似たような関係が生じていた。いまだから言えるが、私がとても多忙な病院に勤務していた20代の頃、現代と違って学会発表のスライドはパソコンで作成するのではなく、写真屋などにデータを持ち込んで作ってもらわなければならなかった。ところが、その営業時間にとても足を運べない。デスクの前で困っていると、いつもT製薬のOさんという営業担当者が顔を出し、「先生、ひとっ走り行ってきますよ。今日のうちに行った方がいいでしょう? 中1日で完成させるよう、頼み込んできます」などと言ってくれた。いつも学会の直前にならなければデータを完成させられない私にとっては、まさに救いのひとことだ。秘書でもないOさんに私はデータを託し、数日後に完成スライドを取ってきてもらったこともあった。
Oさんはあまり押しの強いタイプではなく、「そのかわりT製薬の薬の処方をお願いします」などとは言わなかった。遠慮がちに新製品のパンフレットなどを置いていく程度であった。とはいえ、私はOさんに多大な負い目がある。似たような薬効の薬を使うときは、なるべくT製薬の製品を処方するようにした、ということも正直に言えば何度かあった。
言うまでもないが、こういった製薬会社と病院、医療従事者との関係はその後、“癒着”と厳しい目で見られるようになり、営業担当者が医局に日常的に入り込んだり、ノベルティグッズをくれたりすることはほとんどなくなった。まして、かつての私のように学会スライドの作製を特定の製薬会社の人に依頼することなど、今の若いドクターにはおよそ考えられないだろう。
その分、こちらも余計な負い目などを感じる必要もなく、中立的、科学的な立場で処方をしたり医療機器を注文したりできる。しかし、それでもときどき「大学病院で機器導入をめぐり第三者供賄の疑い」といった事件が報道される。「返報性の原理」を断ち切るのは、かくもむずかしいということだ。
高額接待はどうなのだろう。確証がないのだが、先ほどの「学会スライドを超特急で作ってもらう」などに比べて、内容も金額もあまりにゴージャスだ。接待される側はそれで負い目を感じるというより、高級な店で業界のトップなどと食事を楽しめる自分の地位や力を実感し、「私は官僚の世界でもすごいところにまで登り詰めたのだ」という酩酊感を味わったのではないか。そうなると、あとは「一般の人にはわからないトップどうしの話」となるから、それが利益供与だということを意識すらせず、当然のように相手に便宜を図るようになる。先の庶民が持ち合わせている「返報性の原理」とはまた少し違う心理メカニズムが、ここには働いている気がする。
腐敗・誤判断に繋がりかねない供応
いずれにしても、それが一般の返報性の原理でもそうでなくても、こういう不透明なやり方での意思決定は、必ず腐敗や誤った判断に繋がる。とくに私たち医療従事者の場合、それが患者さんの命や健康にかかわる不利益を与える結果にもなりかねない。
「患者さんからのお礼を断る」というのにも、実は同じ意味が隠されている。お礼をもらった場合だけ良い治療をし、そうでないときは手抜きをするというのは言語道断だが、逆に自分に金品をくれる患者さんに適切な治療を施せなくなることもあるのではないか。たとえば、その人がいつも金品をわたしながら「私は痛い治療だけはしたくない」と言ったとしたら、手術が必要な場合でもそれを伝えるのをためらい、結果的にはその人のデメリットに繋がる場合もある。過剰な贈り物やお礼などは、中立的、科学的であるべき医者の目を曇らせてしまうのだ。
とはいえ、私も「先生、疲れているみたいだから、チョコレート食べて」と患者さんが差し出す小さなチョコの箱、「近所の和菓子屋に桜餅が出ていたから先生の分も買っちゃった」とわたしてくれる紙包みまでは、なかなか断れない。「今度だけはありがたくいだだくけど、もう気をつかわないでね」と言いながら、つい口もとはニッコリしてしまうこともある。もちろん、だからといってその患者さんには特別に便宜を図ることも、必要な治療を遠慮することもない。「お返ししたい」という心理と公正・中立。なかなかむずかしい問題だ。
精神科医 ・ 立教大学教授
香山 リカ
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