前回に少し述べたが、日本の医療制度のようにある方向に最適化した制度を変えるのは難しい。また、制度を変えても生活者(国民)の行動が変わるかどうかはわからない。オンライン診療は、諸外国に比べて日本では必要性が低く、今までの厚労省の考え方(地域医療)との親和性があまり高くない。
近代経済学の祖とされるアダム・スミスは、有名な『国富論』以外に『道徳感情論』という本を1759年に書いている。そこには、このような記載がある。
「人間社会という偉大なチェス盤において、個々のコマはどれも立法府が課そうとする原理とは異なった独自の運動原理を有している。これら2つの原理が一致し、同一の方向に作用するのであれば、人間社会のゲームは、容易かつ調和的に続けられ、適切で首尾よきものとなろう。それらの原理が正反対に作用したり、あるいは異質のものであれば、ゲームはみじめな形で続けられて、社会はつねに最高位の無秩序に陥ることになろう」
むしろ筆者は、世の中が変わった時にオンライン診療のみならずオンラインでの医療が華やかになると考えている。これは、その国の持っている方向性(文化)に影響されるからだ。文化を持ち出すな、という声が聞こえてきそうであるが、今回はあえて、米国と比べてみたい。
米国におけるコロナ禍
1999〜2000年のITバブルや08年のリーマンショックなど、今まで経済に影響を与えてきた現象は多い。しかし、今回の新型コロナウイルス禍は、その原因が経済の外部のものであったという点で、近年の経済危機の中では極めて異例といってもいいであろう。
つまり経済危機は、新型コロナウイルス感染症の流行により世界がロックダウンを強いられ、そのために観光や娯楽、食事といったサービス業、さらにはサプライチェーンの崩壊により製造業にまで影響が及ぶという予想であった。
状況によって企業が破綻したりすることにより、金融危機も引き起こすかもしれないという悲観的なシナリオもあった。そういったシナリオを回避するために、世界各国が積極的に金融緩和などの金融政策や財政出動を行い、金融危機までに至らないようにする。一方では消費を喚起し、需要減が起きないようにするといった政策がとられている。
原因があって結果があるというように考えると、今回の場合は新型コロナウイルス感染症の流行によるダメージが原因であることは明確なので、そのダメージの大きさが最も経済に影響を及ぼすと考えるのが普通であろう。
米国ではコロナ禍によるダメージが大きい。この点については多くを語らなくても感染マップを見れば明らかであろう。
この連載でも以前に述べた医療ICTにおける逆説と同様に、米国ではコロナ禍におけるダメージが大きいがゆえに、接触を避けるICTの利用頻度が増して、ICT技術が進歩するといったことが起こりえる。
実体経済との乖離
コロナ禍は実体経済に大きな影響を及ぼしたが、08年に起きたリーマンショックとは異なり、金融といった経済を支える仕組みには直接影響を及ぼさなかった。しかし、実体経済を救おうとして、大規模な金融緩和や財政出動を行ったために、結果的に資産バブルとでも言うべき状況になっている。
具体的には株価が高騰している。不動産市況もオフィスや商業施設など実体経済と近い部分においては賃料が低下したなどのダメージを受けているが、住宅などはさほど影響を受けていない。
テレワークなどの影響で、都心から郊外へ人が移動するといった話があった。実際、東京への流入人口は減少しているが、だからと言って地方移住が多く起きているわけでもない。むしろ、東京都心の不動産価格は変わらず、状況によってはさらに上昇しているものもある。このような状況を見て「バブルだからけしからん」と言うことはたやすい。
しかしながら、株価が上昇している企業をつぶさにみてみると、やはり今回のコロナ禍を時代の転機と捉え、その後の世界を見据えている会社の株価が史上最高値を更新しているようである。言い換えれば、GAFAのようにイノベーティブな会社の株価が高いとも言えよう。
その背景には、テレワークに代表されるようなデジタルトランスフォーメーション(DX)、あるいは第4次産業革命とでも言うべき変化がコロナ感染によって加速しており、近未来を反映している株式市場ではそれをいち早く取り込んでいる、という仮説がある。
変化の例としては、「巣籠り」に関して言えば、小売りもデジタルやデジタルとリアルの融合、生活にますます溶け込みそうなヘルスケアであれば、オンラインでの対応や日常生活のモニタリングということになろう。
イノベーション
ここで、イノベーションという最近の流行言葉について考えてみよう。イノベーションは、1912年に、オーストリア出身の経済学者であるヨーゼフ・シュンペーターによって、初めて定義されたとされる。シュンペーターはイノベーションを、経済活動の中で生産手段や資源、労働力などをそれまでとは異なる仕方で新結合することと定義した。
イノベーションがもたらす劇的な変化が経済発展の源になるというわけだ。具体的には以下の5つの例が挙げられる。
①新製品の開発(プロダクトイ・ノベーション)
②新生産方式の導入(プロセス・イノベーション)
③新しい市場の開拓(マーケット・イノベーション)
④新たな資源(原材料)の供給源の獲得(サプライ
チェーン・イノベーション)
⑤組織の改革(組織イノベーション)
少し詳しく紹介すると、①は新製品の開発によって差別化を実現することで競争優位を達成し、②は製造方法や工程の改良によって費用を削減して競争優位を達成することである。
イノベーション、イノベーションというが、医療は経済(産業)なのか、という疑問が出てくる人もいよう。
もちろん医療は、社会保障の範疇にあるものである。しかし、年金などのお金を再配分するといった分野と異なり、そこにはまさに今回のテーマのような新しい技術がどんどん参入してくることが特徴である。
このことの意味を理解している社会保障の学者や官僚は、極めて少ないのではないだろうか。いろいろな意味で文系優位の日本の欠点かもしれない。
企業者によってまったく新しい発想からイノベーションが起きる場合には、連続的ではない変革が起きる。そして、シュンペーターはイノベーションの後に不況が来る可能性を指摘する。医療におけるICTとAIの導入における変革は、旧来型の医療の提供スタイルを変革し、付いていけない提供者はふるい落とされるかもしれない。
こういった動きが日本で起きるかと言えば、疑問ではないだろうか。
日本においてもイノベーションを起こさねばならないという機運は起きている。国立大学で、筆者が依頼される講演も、「○○イノベーション講座」といったところからの依頼が多くなっている。
しかしながら、勉強や学ぶこととイノベーションが起きることは違う。「場」は提供できても実際の行動に移さなければならず、それにはマンパワーやお金が掛かる。この2つにおいて、日本が不足しているのを改善しなければ、いくら掛け声が上がっても難しいであろう。もちろんオンライン診療がすべてではないが、こういった視点を持って今後の展開を見ていくことも必要であろう。
真野俊樹
中央大学大学院戦略経営研究科教授、多摩大学大学院特任教授、医師
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