対中〝弱腰〟批判で始まるか「菅降ろし」
もはや、新型コロナウイルス対策を巡る菅義偉政権の混乱こそが安全保障上のリスクだ、と言わなければならない。年明け以降、こんな会話が外交・安全保障専門家の間で交わされるようになった。
総崩れである。昨秋、「勝負の3週間」を宣言して国民に行動自粛を呼び掛けながら、「GoToキャンペーン」を続けた支離滅裂。その後、菅首相が「1カ月後には必ず事態を改善させる」と啖呵を切った緊急事態宣言は、あえなく延長。「第3波」に備える時間はあったのに、医療現場から目を背け続けた無為無策。
「官高党低」の力関係にも変化
「安倍︱菅」政権が誇る首相官邸主導の政策決定システムがその欠陥を露呈した今、官邸の機能不全はコロナ対策にとどまらず外交・安全保障分野にまで及び始めた。菅首相の統治能力に疑問符が付き、「官高党低」と言われた官邸と自民党の力関係にも変化が生じている。
「最近の外交部会や国防部会は官邸を叩く場所になっている」と愚痴るのは政府関係者だ。
自民党の政策調査会には、分野ごとに部会が設置されている。部会に呼ばれる各省の官僚や副大臣・政務官らが、党側から官邸への不満をぶつけられるスケープゴートになる。自民党の外交・国防族議員が不満を募らせるのが、中国に対する官邸の「弱腰」だ。
安倍晋三前首相のタカ派イメージから、現政権を対中強硬と勘違いする向きもある。
日中関係の改善を長期政権のレガシー(政治遺産)にしようとしたのが安倍前首相であり、コロナのパンデミック(世界的大流行)がなければ、昨年春に習近平・中国国家主席の国賓来日が実現していたかもしれないのだ。
香港の民主化運動を弾圧する中国共産党政権のトップと天皇陛下がお会いになっていたら、国際社会からどのような目で見られただろうか。
気になるのは、菅首相が対中接近路線を引き継いでいる事だ。日本経済がコロナ不況から立ち直るのに、中国経済の力が必要なのは分かる。米中新冷戦の中で日本が仲介役を演じるべきだというのもその通り。
だからと言って、香港市民や少数民族の人権を抑圧し、対外的には力を誇示して覇権を求める中国の軍事的台頭をこのまま許すわけにはいかない。
将来世代に自由と民主主義を基調とする世界を残す事が出来るか、それとも、独裁と抑圧による権威主義支配が世界を覆うのか。アジア太平洋地域はその岐路に立たされていると言っても過言ではない。
21世紀の政治リーダーに課された歴史的使命を菅首相が自覚しているのなら、目先のコロナ対応で中国におもねるような振る舞いはやめて、中国共産党政権による人権抑圧や軍事拡張政策と正面から対峙すべきだ。
しかし、中国が香港の「1国2制度」を反故にしても口先だけの非難にとどめ、人権抑圧に対する経済制裁には踏み込まない。
尖閣諸島周辺海域への侵入を繰り返す中国海警局の武器使用規定を明文化した「海警法」の一方的な制定にも、明確な対抗措置を取らない。
コロナ失政で混乱する菅官邸に対中外交の立て直しは期待出来ない現実が、安全保障上のリスクとなっている。
幸いと言うべきか、米国のバイデン新政権はトランプ前政権の対中強硬路線を引き継ぎ、米国の日本防衛義務を定めた日米安保条約第5条の尖閣諸島への適用を繰り返し明言してくれている。
だが、中国への外交・軍事圧力は米国任せにして、経済面では自分だけ中国とよろしく付き合おうなんて勝手が許されるのか。
1月の自民党外交部会では、この点が槍玉に挙げられた。バイデン大統領の就任後最初の電話首脳協議を巡って、日米の発表内容に微妙な齟齬が生じたのを外交族議員は見逃さなかった。
米側の発表では、両首脳が話し合った「地域の安全保障課題」として「中国と北朝鮮」を名指ししたのに対し、日本側は北朝鮮の非核化と拉致問題にしか触れなかった。部会で「なぜ中国を抜くのか」「中国への配慮じゃないのか」との意見が噴出したのは当然だ。
バイデン政権は中国、ロシア等の権威主義国家に対抗する手段として、トランプ時代に傷ついた同盟国との関係修復を急いでいる。同盟強化の名の下に、同盟国側にも応分の負担を求めてくるだろう。
中国包囲網となる「自由で開かれたインド太平洋」構想や「日米豪印」連携を米側と共有したと言って、はしゃいでいるだけでは済まない。で、日本は何をしてくれるのかと問われた時の手札を、菅首相は懐に用意しておかなければならない。
相手がトランプ氏だったら、「米国製の兵器を大量に買います」で誤魔化せたかもしれないが、バイデン政権はそんなに甘くないと考えるべきだろう。
日米安保5条の尖閣適用は首脳・外相・防衛相レベルでそれぞれ確認された。
自民党の佐藤正久・外交部会長は「もう十分だ」という。政府側には「あまり何回も言うと、日本の覚悟の足りなさ、足下を見られてしまう。尖閣は自分の領土と言うなら、まずは自分でこれを守る事が大事で、その上での日米協力でなければならない」と釘を刺した。
香港のみならず、チベット、新疆ウイグル、内モンゴル各自地区における人権問題を徹底的に非難せよ。海警法に対しては、自衛隊を尖閣警備に活用せよ——。外交・国防族からの突き上げが菅官邸を揺さぶっている。
「メッセージ力なき政治」の失墜
中国は日米の出方を測るように、台湾への圧力を強めている。
1月下旬には空軍機28機を台湾の防空識別圏に侵入させ、米側は直ちに「台湾への軍事的・外交的・経済的圧力の停止を求める」との声明を発表した。
「コメントは控えたい」(加藤勝信官房長官)と他人事のような見解しか示さなかった日本政府とのギャップを、中国はどう見ただろうか。
コロナ対策が大変だからと言って、外交・安全保障政策をおろそかにしていいわけがない。台湾有事となれば、否応なく巻き込まれる日本は明らかにこの問題の当事者だ。
国際社会にどのようなメッセージを発信するかが、外交の要諦である。根拠なき楽観論を発信し続けたコロナ失政で国民の支持を失い、外交でも誤ったメッセージを発していては国際社会の信用を失う事になりかねない。
コロナ対策では、いよいよ日本国内でもワクチン接種が始まる。社会全体で集団免疫を獲得するためには、ワクチンのリスクと効用を丁寧に説明し、出来るだけ多くの国民に接種を受けてもらう必要がある。菅首相はそのメッセンジャー役を河野太郎・ワクチン担当大臣に託した。
日本にはワクチン禍の苦い経験もあり、国民合意の形成に失敗すればコロナとの闘いの帰趨に関わる。首相自身の発信力では心許ないとの判断だろう。
だが、外相・防衛相時代の河野氏が国民への丁寧な説明を心掛けていた記憶はない。
メッセージ力なき政治のリスクを負うのは国民だ。与党はこのまま次期衆院選の審判を待つのか、その前に「菅降ろし」が始まるのか。
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