人間が介在する作業は手順やダブルチェックの徹底を
コロナ禍に揺れた2020年の末、薬剤の異物混入についてとんでもないニュースが飛び込んできた。後発医薬品を製造する「小林化工」(福井県あわら市、小林広幸社長)が販売した爪白癬治療用の経口抗真菌剤イトラコナゾール錠50「MEEK」に、製造過程で通常の服用量を超える睡眠導入剤の成分が混入したという。12月4日、小林化工は、約10万錠分を自主回収すると発表した。その段階で、岐阜、大阪、佐賀の3府県の計12人に意識消失や強い倦怠感等が確認されていたが、ついに死者まで出す事になった。
2人1組の確認が実際は1人で作業
同社によれば原因はヒューマンエラーで、本社工場で原料の計量を担当する社員が保管場所にあった、本来入れるべき成分と睡眠導入剤の成分(リルマザホン塩酸塩水和物)を取り違えて持ち出した。2人1組で確認が必要だったが、実際は1人で作業していたという。
同社は同族経営の製薬会社で、創業家の直系の長男である小林広幸氏は06年に3代目社長に就任。祖父は配置薬を売る“富山の薬売り”だったが、戦後間もない1946年に有志と福井県製薬所を立ち上げた。61年に、2代目である小林氏の父が、医療用医薬品事業を手掛ける現在の小林化工を設立。国の後発品使用促進策を背景に、近年、同社の拡大は著しい。
小林氏は、先代社長である父の勧め通りに、家業に沿って薬学部に進学し薬剤師資格も持つ。大学卒業後、金沢大学の研究室を経て、住友製薬(現大日本住友製薬)に入社。薬剤師資格を生かして医薬情報担当者(MR)として営業畑を歩んできた。
94年に30歳で小林化工に入社したのは、家業を裏で支えてきた祖母(創業者の妻)の死が契機という。当時の売上高は12億円にすぎず、MR配置も全国に7人のみで、病院という巨大市場に踏み込めていなかった。入社直後から営業を担当した小林氏は、全国の取引販社や病院、診療所を飛び回って市場開拓に努めた。その頃、既発の医薬品の有効性・安全性・品質を現時点の医学・薬学の水準から確かめる、いわいる再評価制度により、同社のトップ製品である注射剤等2剤が薬価基準から削除され、経営は大きな痛手を受けた。
同社が持ち直すきっかけは96年、抗ウイルス剤「ビクロックス点滴静注」の発売がきっかけだった。先発品アシクロビルは凍結乾燥の粉末製剤だが、それを液剤化する事に成功。また、後発品事業への本格参入を検討中だった明治製菓(現Meiji Seika ファルマ)との販売提携の交渉にも漕ぎ付けた。薬液調整がしやすい注射剤とした事で、使用期限が伸び、大学病院にも採用された。先発品にない特長を持つ後発品である事が、きちんとしたプロモーションに繋げられるという自信を生んだ。98年頃から、同社ではこうした付加価値製剤を「ユースフルジェネリック」と称して開発を進めた。他社に販売委託するモデルを構築する傍ら自社販売も強化しており、2020年時点で両者の割合は拮抗するまでになっている。
その後、躍進の強い追い風となったのが、国の後発医薬品推進策だ。02年の診療報酬改定でインセンティブとして後発医薬品処方調剤加算が新設された。その当時でも売上高は約30億円ほどだったが、20年の売り上げは実に370億円を計上するまでになっている。
この間、会社は急速な膨張を続けた。後発薬経口剤の需要に対応するため、11年に本社工場に新ラインを増設した。錠剤製造能力は4倍以上となり、製造担当者だけでなく、販売担当社も増員した。投資額は50億円規模で、将来性を見込んで、政策投資銀行がうち10億円を融資している。
14年に本社近くに立ち上げた製剤技術総合研究所が開発の拠点となっており、小規模の製造機能も備えている。ユースフルジェネリックはアレルギー性鼻炎治療剤や鎮痛剤、入眠剤等25品目以上あり、剤型の変更だけではなく、高齢者向けに少ない水でも服用出来る口内崩壊錠や、小児向けにバナナ味を付けて飲みやすくした薬剤もある。こうして一工夫した後発医薬品は同社の扱う品目の1割程度にすぎないが、関係者の評判は高く、同社の売り上げを牽引している。
11年の増築で、循環器薬や中枢神経薬等を中心に、経口剤にして年15億錠の生産能力を、それもフル操業となり、16年には70億円を投じて新工場を建てた。生産能力を更に3倍に向上させ、年45億錠に対応出来るようにした。立ち上げ前、小林氏は「省人化・効率化を追求した日本で最先端の工場」と豪語していた。
17年以降で自主回収したのは5剤
後発品使用促進策に沿って、倍々ゲームで急拡大してきた会社だが、製薬会社として万が一でもあってはならない致死的な事故を招き、薬に対する信頼が揺らいだ。とりわけ後発品の信頼度に大きな影響を与えており、小林氏は陳謝している。
17年以降で、同社が製品を自主回収したのは、今回を含めて5剤ある。睡眠導入剤混入は、危険度が「クラスⅠ(重篤な健康被害または死亡の原因となりうる)」に分類されるが、19年にもクラスⅠの事故があった。胃潰瘍治療薬ラニチジン錠に発がん性物質が含まれていたとして、自主回収したのだ。それ以外で、薬の容量にバラツキがあったり、溶けにくかったりというケースがあった。
今回の混入問題を受けて、日本ジェネリック製薬協会(東京、会員40社)では、同社を理事から外す事を理事会において全会一致で決めた。
さて、20年は、国内最大手の後発医薬品メーカーである日医工でも、製品の自主回収が相次いで発出され、同年だけで35品目に上った。いずれもクラスII該当、承認規格または社内規格不適合、承認書にない工程を実施、試験の実態と手順に齟齬、書類不備等に該当する。
小林化工は20年1月、金融サービス業大手のオリックスグループと資本業務提携を締結している。オリックスが小林化工の株式の過半数を取得し、連結子会社化になった。上場や同業他社との提携ではなく大手の傘下に入った事に、小林氏は、リスクが顕在化した時、より強力なバックボーンを持つ事で社員の安心感に繋がる、と理由を説明している。オリックスにとっては、成長企業に対する投資であるが、コストカットの無謀な提案はなかったか等検証すべきである。
医療現場のリスクマネジメントは、人命に直結する。そういう意味では、製薬企業以上に厳格でなければならない。医業は一部の製薬企業のように、業務を拡大するようなフェーズにはない。ただ、総じて経営状況は悪化しており、「貧すれば鈍する」という状況を招かないよう、更に慎重になるべきだ。人間が介在する作業には、ヒューマンエラーが存在する事は大前提だ。もう一度原点に立ち、手順やダブルチェックの徹底等が疎かになっていないか、自動化やAIに頼り切るのでなく、足下を見直すきっかけとしたい。
小林化工の事故は、1999年に起きた茨城県東海村の核燃料加工施設JCOで起きた深刻な臨界事故を想起させた。放射線を大量に浴びた3人の作業員のうち2人が亡くなったこの事故では、マニュアルを無視し、経験の浅い臨時雇い作業員が、形状の決まった容器ではなく、バケツで核燃料の原料を大型容器に移した事で臨界に達した。それまで10年間、監督者である科学技術庁は一度も現場を見ていなかったという。
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