「安倍レガシー」で食い繋ぐ菅外交の視界不良
民主主義諸国のリーダーたる米国政治の混乱は、共産党独裁国家の中国に対し、独自の「法治」の名の下に強権支配を広げる隙を与えてしまった。「香港国家安全維持法」によって香港の民主化運動を抑え込んだ中国共産党政権は、国際法を無視して海洋進出を正当化する「海警法」草案を2020年11月に発表し、沖縄県・尖閣諸島の「管理」に乗り出す構えを見せる。それに対抗する備えが日本政府にあるだろうか。
「海警法」に込められた危険な野心
「法の支配」とは本来、米国を中心に構築された第2次世界大戦後の民主的な国際秩序を象徴する普遍的価値観であり、中国のような非民主国家に国際法遵守と人権尊重を求める意味で使われてきた。ところが中国は国内法を国際法や人権より上位に置き、共産党支配を正当化する意味で「法治」を掲げてきた。これは、人類普遍の正義を追求する民主主義諸国の法治とは相容れない。
香港特別行政区に高度な自治を認めた「1国2制度」は1997年の香港返還後50年間維持されるはずだった国際的な約束だ。しかし、米中対立が深まる中、中国政府は民主化運動に対する弾圧を強め、20年6月に香港国安法を制定。「アメリカファースト」のトランプ米政権が大統領再選に傾注せざるを得ないのを見透かすように「法治」を強行した。
国安法制定時、安倍政権は欧米諸国ほど強い批判を発信しなかった。新型コロナウイルスの感染拡大を理由に習近平国家主席の20年4月来日を見送ったものの、日中関係の改善を長期政権のレガシー(政治遺産)として残したい思惑が対中批判を鈍らせたとの見方もある。コロナ禍で急激に悪化した経済の立て直しに中国の協力は不可欠との認識は、その後の菅政権にも引き継がれている。
その結果、今度は「法治」の矛先が尖閣諸島にも向けられることになった。中国共産党政権が発表した海警法草案は、中国が一方的に主張する「管轄海域」において武器使用を含む強力な権限を海警局に与える。中国は沖縄トラフまでが自国の管轄する大陸棚だと主張しており、海警法が制定されれば、尖閣を含む東シナ海全域で「法治」を実行する根拠となる。国際法は自国の領海外で外国船舶の航行を武力によって妨害する行為を認めてはいない。
尖閣諸島は日本が実効支配しているが、中国は領有権を主張し、これまでも海警局の公船が尖閣周辺の日本領海や接続水域への侵入を繰り返してきた。一方で、日本漁船を力ずくで排除したり、海上保安庁の艦船を攻撃したりするまでには至っていない。戦争にならないギリギリのところまで圧力を強めて日本側を揺さぶっているわけだ。
南シナ海でスプラトリー(南沙)諸島の軍事拠点化を進めても、香港の「法治」に踏み切っても、周辺国や欧米諸国との戦争には繋がらなかった。次は東シナ海でも「法治」を試してみよう。尖閣諸島を日本から奪い取っても大きな戦争にならなければ、いよいよ台湾の「法治」にチャレンジ出来る︱︱。
そんな中国の危険な野心に歯止めを掛けなければならない。そのためには「法治」の既成事実化を許さない国際圧力を強めるしかない。
菅義偉首相は安倍晋三前首相から、安全保障面では民主主義の価値観を共有する諸国と連携する「自由で開かれたインド太平洋」構想を引き継いだ。菅首相の就任早々、東京で開かれた日本、米国、オーストラリア、インド4カ国の外相会談はその成果であり、これを「中国包囲網」と受け止めた中国は、旧ソ連に対抗するため欧米諸国が結成した北大西洋条約機構(NATO)になぞらえて「アジア版NATOだ」と反発した。
一方、経済面で中国包囲網を形成しようとしたのが環太平洋パートナーシップ(TPP)協定だ。自由で公正なルールに基づく巨大な市場を構築し、中国主導の「一帯一路」構想に東南アジアや中南米諸国が取り込まれないようにする戦略を日米で共有していたはずが、トランプ大統領の誕生後、米国がTPPを離脱。国際協調を掲げるバイデン次期大統領がTPP復帰へ舵を切るかが注目される中、習主席がTPPへの参加検討を表明し、包囲網構築を阻止しようと揺さぶりを掛けている。
自由で公正なTPPルールに中国が従うのであれば大歓迎だが、そう単純な話ではない。国際法より国内法を上位に位置付けて他国に圧力を掛けるのが中国独自の「法治」だ。TPPには民間の自由な競争を妨げる国有企業を規制するルールがあるが、中国がこれに従わず、巨大な自由貿易市場の恩恵だけを貪る恐れはないか。現に中国は2001年の世界貿易機関(WTO)加盟から20年近く経た今なお、国内規制改革の約束の多くを果たしていない。
日中韓と東南アジア諸国連合(ASEAN)、オーストラリア、ニュージーランドの15カ国が11月に署名した地域的な包括的経済連携(RCEP)からインドが離脱したのも、中国の経済圧力を警戒したからだ。TPPやRCEPも菅政権が引き継いだ安倍外交のレガシーであり、中国の「法治」攻勢に対抗するには、経済と安全保障の両面でインド太平洋地域に対する米国の関与を強化していく必要がある。その意味で米国の政権交代を好機としなければならない。
親中の公明が仕掛けた「岸田潰し」
幸いと言うべきか、日本側もトランプ氏との蜜月を誇った安倍氏が首相を退任し、切り替えを図りやすいタイミングになった。菅首相がバイデン氏に電話で祝意を伝えた際、米国の日本防衛義務を定めた日米安全保障条約第5条を尖閣諸島に適用する言質を取った意義は大きい。更にTPP復帰をバイデン政権に促すことが出来るか。安倍レガシーの継承から発展へ、菅外交の真価が直ちに問われる事になる。
気掛かりなのは、経済面の日中関係改善へ向け安倍政権以上に前のめりに映る事だ。コロナ不況の克服、更に東京五輪・パラリンピックを起爆剤とする景気回復シナリオの実現に中国の協力は不可欠と考えているようだ。しかし、そのために少しでも弱腰を見せれば、中国側は「法治」の容認を迫ってくるだろう。
伝統的に親中派の公明党が菅政権の中で存在感を強めている事も微妙な影を落とす。公明党は次期衆院選へ向け広島3区に斉藤鉄夫副代表(比例中国ブロック選出)を擁立する事を決定した。同区の現職は公職選挙法違反事件で公判中の河井克行被告。その後釜候補の公募を始めた自民党広島県連と公明党が真っ向から対立する事態となった。
広島県連を主導するのは衆院広島1区選出の岸田文雄前政調会長が率いる岸田派だ。菅首相や自民党の二階俊博幹事長が公明党側に付けば、「ポスト菅」を狙う岸田氏のメンツは丸潰れとなる。二階氏は自民党親中派の代表格。「岸田潰し」の広島政局によって対中国の戦略方針策定に遅れが出ないよう願う他ない。
LEAVE A REPLY