若い内科医と話していて、「なるほど」と思うことがあったので書いてみたい。
もちろん、患者さんの詳細に関することには変更を加えてある。
患者さんは若い女性で、全身倦怠感や微熱など、いわゆる不定愁訴で受診した。
内科などで身体疾患の除外を、ということで、あれこれ検査を進めたが、これといってめぼしい所見がない。
ただ、自己炎症性疾患などの可能性も残っており、完全に心理的要因による不調と決めつけてよいかどうか、迷っているというのだ。
「もしメンタルの要素が強いとしたら、これ以上の検査は過剰ということになるし……今の時点でメンタル科に紹介しちゃってよいのでしょうか。もう少しこちらで絞ることはできませんかね」
自分のところを受診したからには、安易に他科を紹介することなく、そこでやれるだけのことはしたい、という若い医師の態度に対し、私は感動した。
「休みの日は何をしていますか」
「もちろん、一度メンタル科にコンサルテーションを頼んでもいいと思いますよ。でも、その前に先生にできることがあるとしたら、その人が訴える全身倦怠感なんかの程度を評価してもいいかも」
「なるほど。ご本人は『とにかくだるい。ぐったりしてしまう』と言うんですよ。仕事は時間短縮してもらってなんとか行っているそうですが」
「じゃ、仕事が終わってからの夜や休日は、どんな感じなんでしょうかね」
「いや、そこまではわかりませんね……。でも、『すごくだるい』とは言っていました」
内科医に尋ねてみると、「体がだるいんですよ」と言われて、「起きられないほどですか」とその人の訴えを補完するような質問はしても、「休みの日は何をしていますか」といった“ウラをかく質問”はしていないようだった。
私たち精神科医は、疑り深いわけではない。
ただ、基本的には患者さんが語る言葉に基づきながらも、その程度を正しく把握するために、ちょっと別の角度からの質問を投げかけることもある。
もし、この「だるくて微熱もあってつらい」という人が私の前に現れたら、こんな風に対話を進めるだろう。
「……そうなんですね。では少し話が変わりますが、元気だった頃はどんな趣味を楽しんでいたのでしょうか」
「えーと、好きなアーティストのライブに行くくらいですね」
「それはいいですね。最近はどうですか」
「コロナでしばらくライブが中止になっていたのですが、先日、久しぶりにあったので出かけてきました」
「それはよかったですね。スタンディングのライブハウスですか」
「そうです。もちろんあまり密にならないように、入場制限はありましたが」
この対話で、全身倦怠感といっても寝たきりなわけではなく、「好きなアーティストのライブがあれば、立ちっぱなしで楽しめるくらいの元気はある」ということがわかる。
何もその人がウソを言っているので、それを暴け、というわけではない。
私たちの自己認識にはどうしても歪みがある。
そのため、特に主観的な症状に関しては、いくつかの質問を投げかけてみて、評価していく必要があるのだ。
これは極端な例だが、「食欲がまったくないが、飲み物だけは飲める」という人に詳しく聞くと、ワインと一緒にかなりのおつまみを食べているとわかったことがある。
これもその人は虚偽を申告していたわけではなく、食事どきにあまり食欲がわかないので、「これはおかしい」と思っていたのだ。
「ちょっと簡単にカロリー計算してみましょうか。ナッツにチーズ、サラミと冷凍シューマイ……ほら、これだけで夕食1回分のカロリーですよ。これじゃ朝ごはんは入らないかもしれませんね」と言うと、「本当だ! コロナのため自宅で飲む機会が増えたのですが、知らないうちにけっこう食べていたということですね」と驚いていた。
あるいは、「疲れがひどくて仕事に行けない。うつ病だと思う」と訴える人の話を聞くと、ボランティアで毎晩近所の猫たちに餌を与える活動をしており、睡眠時間が極端に短くなっているとわかったこともあった。
思い込みを強化する「認知バイアス」
こう聞くと、「そんなの自分で気づくはずだ」と思うかもしれない。
しかし患者さんは、「なんだか仕事に行けない。病気かも」と一度思ってしまうと、ほかの可能性はいっさい消えて、その思い込みを強化するような情報や自分の不調ばかりが敏感に意識され、ますます「そうに違いない」と固く信じるようになる。
心理学で「認知バイアス」と呼ばれるメカニズムで、誰にでもすぐに起きてしまうことなのだ。
精神科医にはそのバイアスを修正する役割もあるが、内科や外科の先生はそこまでする必要はないだろう。
ただ、医者もそのバイアスに巻き込まれないように、常に別の角度から質問を投げかけたり、患者さんの言葉を別の意味からとらえたりするワザも、身につけておいた方がよいのではないか。
熱心な若手内科医は私に言った。
「なるほど。勉強になります。でも、そんな風に意表をつくような、ウラをかくような質問をするって、患者さんを信用してないことになりませんかね」
あくまで患者さん思いのその医師に対し、心の中で拍手を送りながら私は答えたのだ。
「正しい診断をつけて、正しい治療に導くのが、結局は一番患者さんのためにもなることだし、それが信頼関係ってものなんじゃないかな」
もちろん、医師と患者さんの対話は基本的には“直球勝負”であるべきだが、診療に必要な情報を引き出すためには、ちょっとした対話のテクニックも必要ということだ。このあたりのことをまとめて「亀の甲より年の功・対話マニュアル」でも作ってみようかな、と思った私であった。
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