国民は強制ではなく、自己責任により行動変容
新型コロナウイルス(SARS-CoV-2)感染で収束の鍵を握るのは集団免疫の獲得だ。集団において高い抗体保有率が達成されれば、病原体が侵入し感染症が伝播する事を防止出来、感受性者も感染から保護される。この状態が「集団免疫」だ。集団免疫を獲得するために最も手っ取り早く確実なのはワクチンだ。ワクチンを接種した人はその疾患に対する免疫が備わるので、発症や重症化を予防出来る。多数の人が免疫を獲得すれば、社会全体として感染が連鎖するリスクを低減させられる。
社会全体で感染症発生が抑えられれば、ワクチンを受ける事が出来ない人、新生児や免疫不全の人のように免疫力が低いために予防接種を受けられない人、高齢者等の重症化する人を感染から守る事が出来る。
集団免疫を獲得するために達成すべき集団内の抗体保有者の割合は、集団免疫の閾値(H)と呼ばれる。ワクチンの予防接種率と考えてもよい。疾患を起こす病原体の感染力によって決まってくるもので、基本再生産数(通常は2次感染者数、R0)から導かれる。基本再生産数とは、集団にいる全ての人間が感染症にかかる可能性のある(感受性者)状態で、1人の患者が何人に感染させ得かを示す数字である。感染者数は、R0<1であれば減少し、R0>1ならば増加する。R0から、H=(1−(1/R0))×100という式で、集団免疫閾値を算出する。
米国疾病予防管理センター(CDC)によれば、麻疹の場合、R0は12〜18で、集団免疫達成に必要な予防接種率は92〜94%と高い。風疹のR0は6〜7で、Hは83〜86%だ。ポリオや天然痘等はR0が5〜7、Hは80〜86%必要だとされる。ワクチンが存在しない状態でも、集団内で感染し回復した多数の人が抗体を保有し、免疫を獲得した状態になれば、集団免疫は達成出来る。SARS-CoV-2の場合、集団免疫閾値は65〜70%ではないかとする、世界保健機関(WHO)の見解が報じられている。
ロックダウンをしなかった理由
CDCは20世紀の公衆衛生分野における10大功績の1つに予防接種を挙げているが、SARS-CoV-2に対するワクチンは開発途上だ。急ピッチで開発が進むが、十分な治験で安全性と有効性を確認する事なしにワクチンが拙速に世に出る事は誰も望んでいないはずだ。ワクチンがない中で世界には「集団免疫」を達成したと宣言した都市がある。スウェーデンの首都ストックホルムだ。公衆衛生庁は7月16日、ストックホルム住民の約40%がSARS-CoV-2に対する免疫を獲得したという推計値を挙げ、集団免疫がほぼ達成されたと宣言。ストックホルム住民の抗体保有率は4月時点で7%台だったが、7月時点では17.5〜20%が「液性免疫」を獲得。免疫細胞による防御機構である「細胞性免疫」と合わせ、集団免疫に至ったという。
パンデミックの初期段階でスウェーデンの取った政策は、他の欧米諸国とは一線を画した。ロックダウン(都市封鎖)を行わなかったのだ。マスク着用を推奨する事もない代わりに、ソーシャル・ディスタンシング(社会的距離)や手洗いの遵守は奨励された。50人以上の集会や高齢者施設への訪問等も禁止された。憲法が保障する移動の制限を損なう事なく、国民は強制ではなく、自己責任による行動変容を迫られたのだ。
結果として、8月11日時点でCOVID-19によるスウェーデンでの死者は5766人で、人口100万人当たりの死者数は575人と、世界で7番目。日本の8.3人とは比べるべくもないが、他の北欧諸国と比べても高い。欧州ではベルギー、英国、スペイン、イタリア等に次ぐ。ロックダウンをしなかった事の弊害と非難されていたが、実際には流行初期に高齢者の介護施設での感染拡大(クラスター)を止める事が出来なかった事が大きく響いたとされる。死者の9割を70歳以上が占め、うち半数は介護施設に入居していたという。
世界に冠たる高福祉国家であるスウェーデンでは、1992年に行われた「エーデル改革」により医療と介護の機能分担と連携が図られ、介護施設の管理がコミューン(市町村等の自治体)に委ねられると、医師の関与が不足するようになり、医療が手薄になったとされる。更に、こうした介護施設の多くは民営化されて外国資本により運営され、スタッフは低賃金の移民労働者が占めていると言われている。構造的な弱さがコロナ禍をきっかけに露呈したわけだ。
スウェーデンがロックダウン策を取らなかった事は、「集団免疫」を獲得するための対策と報じられていたが、当局は、そうではないと否定している。SARS-CoV-2との闘いは、当初から長丁場になると予測されていた。厳格に行動を制限するロックダウンは、長時間持続出来るような対策ではなく、エビデンスも十分でないからと判断された。実際にロックダウンした国の中でも、感染が再拡大した所は少なからずある。
検査は無症状でも無料で受けられる
スウェーデンでの今年上半期(1〜6月)の死者数は、過去150年間で最多の5万1405人と、昨年の同時期より6500人(15%)増加。しかし、誤解を恐れずに言えば、感染弱者が、COVID-19により前倒しで淘汰された可能性がある。長期的視野に立てば、今後の超過死亡は減少していくとの見方もあり、実際に1週間当たりの死亡者数は減少しているという。
スウェーデンでは社会庁がICU(集中治療室)の入室もトリアージ(選別)により制限する指針を出した。具体的には原則として80歳以上、70歳代で1つ以上の臓器障害、60歳代で2つ以上の臓器障害を持つ患者を適応外とするものの、指針の運用は現場に委ねられた。
生命に直結しかねないウイルス対策よりも経済を回す事を優先した事もあり、飲食店、保育園や小中学校等も通常通りに稼働させた。最も懸念すべき事態である医療崩壊は免れ、もはやオーバーシュート(爆発的患者急増)を起こす恐れがない水準になっているというのが、当局の見解だ。
死亡者数は、ピーク時は1日100人を超えていたが、激減して0の日もある。スウェーデンでは、無駄な延命医療は行わないといったコンセンサスはあるが、PCR検査や抗体検査は無症状でも誰もが無料で受けられる。政府と市民との信頼関係に基づくコロナ対策については、改めて評価する動きが広がっている。
翻って、日本でも「集団免疫」が達成されたと主張する人達がいる。類似ウイルスによる「交差免疫」等を根拠としたもので、スウェーデンのような施策の勝利ではない。
SARS-CoV-2は、麻疹や風疹のように一度罹れば二度と罹らないというウイルスではないかもしれない。ありふれた風邪のコロナウイルスには、我々は生涯何度も見舞われる。集団免疫の達成やワクチンの開発成功のニュースは朗報だろうが、集団免疫を果たしてどのぐらいの期間維持出来るのか、科学的に慎重に見極めていかなくてはならないだろう。
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