SHUCHU PUBLISHING

病院経営者のための会員制情報紙/集中出版株式会社

未来の会

新型コロナウイルス検査による差別や格差

新型コロナウイルス検査による差別や格差
抗体検査

 厚生労働省は7月14日、『抗体保有調査における中和試験の結果について』を公表した。公表資料によれば、新型コロナの抗体保有率は東京都0.10%、大阪府0.17%、宮城県0.03%だった(厚生労働省、抗体保有調査における中和試験の結果について、2020年7月19日)。かなり陽性者が少なかったので、驚かれた人も多いであろう。

 コロナ禍がいつ収束するのかを考えた時に、1つの可能性としてはインフルエンザのようにワクチンができた時という答えがある。図に示すように、多大な努力によって比較的早期に完成する可能性はあるが、インフルエンザワクチンをみても100%効果があるものにはならないであろう。

 また、「レジデシベル」などの薬剤は、ワクチンに比べれば早期に承認され、使われるようになってきている。

 しかし、もちろん C 型肝炎ウイルスの特効薬であるハーボニーなどのようにウイルス自体を完全に除去してしまう薬は別だが、薬は予防効果がないので、それができたからといって、皆がウイルスを気にせずに自由に出歩けるようになるかと言えばそうでもない。

検査を行う意味

 そこで注目されているのが、検査で感染リスクの少ない人を探し出し、そのような人に外出を許して経済活動や医療現場のサポートをしてもらおうという動きだ。感染拡大が起きないために6割の人が免疫を持つという集団免疫の成立には時間がかかり過ぎるので、その前に対策を行おうということだ。

 ここでは、抗体検査に注目することになる。この抗体検査には使用方法が2つあることに注意が必要である。皆様は先般ご承知のように、抗体検査では、現在の感染の有無は判断できない。

 1つは集団免疫が達成できているかどうかという調査である。詳細は専門家の記事に譲るが、全国民の6割とか7割が感染した、つまり抗体を持っていれば(ワクチン接種でもいいのだが)それ以上は感染が広がりにくいという考え方である。

 この6割とか7割の集団免疫を持っている割合を調べることが抗体検査では可能である。そして、この場合は大規模行う必要はない。しかしながら、先ほど述べたようにワクチンが入手できるには少し時間がかかるとなると、感染爆発したドイツでも15%しか持っていなかったわけなので、集団免疫の成立を待っていても到底間に合わない。

 実際、アメリカやヨーロッパの多くの国が大規模に抗体検査をすると言っているのは、集団免疫の割合を見つけるためではない。動ける人を見つけようということである。

 簡単に言えば、抗体を持っている人は街を出歩いてよし、抗体を持ってない人は感染のリスクがあるので家にとどまり続けなさいという考え方である。つまり、抗体を持っている人は働いたり、日常生活ができたりするということを意味する。そして、抗体を持っている人に経済活動や医療活動を担ってもらうことで、国を維持することができる。

 もちろん、現状では、緊急事態宣言というかロックダウンは、先進国では行われていないので、そこまで考えなくてもいいのかもしれないが、この話は突き詰めていくと、結構深いものがある。

広がる格差や分断 

 ただし、問題は抗体のあるなしで、「格差」が生まれてしまう可能性があるということである。コロナ感染による、特定人種へのヘイトスピーチや暴行が、新型コロナ感染症が世界的に広がりだした当初の頃には起きた。日本人も例外ではなく、ヨーロッパやアメリカにおいて被害を受けた人もいたというニュースもあった。

 こういった現象は、もともと米国のトランプ大統領などがグローバル化から保護主義的な政策へ舵を切ったことからもわかるように、大きな世界のうねりを示しているとも言える。

 新型コロナ感染症は新たな変化を世界に起こしているのでなく、今までに起きつつあった変化を助長している、あるいは加速しているという意見がよく聞かれる。この格差の拡大、あるいはいろいろな場所での分断も同じであろう。

 では、抗体検査で分断や格差が起きるとはどういうことだろうか。

抗体検査の恐さ

 簡単にいえば、抗体を持っている人は外に出て働いてお金を稼ぐこともでき、娯楽に供することもできるが、抗体を持っていない人は家に閉じこもっていなければならない状態が予想されうる。これは、いかに技術が進歩しても解決できない。

 在宅勤務においても職種によってできるできないの議論があるがごとく、そしてそれで「格差」だという不満が起こっているがごとく、大規模で抗体検査をすることは、社会の新たな「格差」を生んでしまう「諸刃の剣」なのである。

 さらにいえば、同じことは遺伝子検査でもいえるかもしれない。将来、免疫力に関連する遺伝子が分かったような場合、この遺伝子を持っている人は○○ができる、持っていない人は○○ができない、といった差別をつけることは可能である。そうなれば、当然格差も生まれよう。

 このように、今回認識されつつあるこの問題は、あいまいなままに通り過ぎることもできるが、根深い問題を提起するかもしれないと思っておいた方がいいであろう。2000年代の小泉改革以来、日本も格差社会となってきているとはよく言われるが、新たな格差の目が意外なところにあったということを今回は報告させていただいた。 

LEAVE A REPLY

*
*
* (公開されません)

COMMENT ON FACEBOOK

Return Top