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「わいせつ事件」で外科医はなぜ有罪になったのか

「わいせつ事件」で外科医はなぜ有罪になったのか
まさかの逆転判決を呼んだ「2つの不運」

まさかの逆転有罪だった。執刀した女性患者にわいせつな行為をしたとして準強制わいせつ罪に問われた乳腺外科医に、東京高裁は7月13日、懲役2年の逆転有罪判決を言い渡した。1審で無罪となり、ようやく現場に復帰出来た医師にとっては、天国から地獄の判決。即日上告し、次なる戦いの舞台は最高裁に移るが、「最高裁の扉は重い。高裁が実質的に最終審理となる裁判は多く、高裁での逆転有罪はとても痛い」(男性医師の支援者)という。

 〝事件〟が起きたとされるのは、東京都足立区の「柳原病院」だ。2016年5月10日午後、女性患者の右乳腺腫瘍摘出を終えた医師は、手術後に4人部屋の病室で寝ていた女性患者の着衣をめくって左乳房を露出させ、抵抗出来ない状況で乳首を舐める等した上、自慰行為に及んだとされる。

 患者の訴えを受けて警視庁が捜査を開始。医師は潔白を主張したが、患者の左胸から医師のDNAが検出された事等から同年8月に逮捕され、105日間にわたり勾留された。

 1審の東京地裁では、患者が手術時の麻酔の影響により、現実と幻覚の区別がつかない「せん妄状態」であった可能性がある事等を理由に、医師は無罪となった。医師の〝犯行〟を裏付ける大きな証拠となったDNAも、鑑定を行った警視庁科学捜査研究所(科捜研)が、DNAの増幅曲線や検量図のデータを残していない等、杜撰さが明らかになった。裁判所は鑑定手法に問題があったと指摘。こうした〝敵失〟も無罪の追い風となった。

 1審判決後、女性患者は涙ながらに悔しさを訴え、無罪となった男性医師の方は、ようやく仕事に復帰した。ところが、控訴審は1審判決を破棄し、無罪を訴えている医師に「反省、謝罪の態度を示していない」等として、執行猶予のない懲役2年を言い渡した。

 前出の医師の支援者はこう語る。「そもそも4人部屋の病室で白昼、術後間もない患者にわいせつ行為をするという状況自体が、同じ医療関係者として現実的でないと思う。他の患者や患者の母親もすぐ近くにおり、看護師も多く出入りする環境で、どう考えてもあり得ない」。

 高裁判決では争点ではないとして踏み込んでいなかったが、患者は胸をなめられただけでなく、医師がその場で自慰をしていたと生々しい証言をした。こうした患者の証言を、控訴審は「具体的かつ詳細で迫真性が高い」等として事実だったと認定したが、複数の医療従事者は迫真性に富んでいるからこそ、「カーテンでしか仕切られていない病室で自慰等あり得ない状況だ」と指摘する。

「退官間近の裁判長」の思い切った判決

 それなのになぜ、医師は有罪になったのか。全国紙の元司法担当記者は控訴審では医師に2つの不運が襲ったと指摘する。

 1つ目の不運は、控訴審を担当したのが、退官間近の裁判長だった事である。「裁判官は上の評価を気にする典型的なムラ社会の住人。判決は前例主義になりがちで、思い切った判決を出しにくい。ただ、唯一の例外が〝退官〟だ」(同記者)。

 今回、控訴審を担当した朝山芳史裁判長は判決の前に定年退官し、7月13日の公判では、細田啓介裁判長が朝山裁判長が作成した判決文を代読する形で判決を言い渡した。

  「近年は短くなってきているが、それでも争点が多い裁判は長くなりがちだ。審理の最中に担当の裁判官が異動したり退官したりする事はある。審理が途中であれば新しい裁判官に引き継がれるが、今回の場合は新型コロナウイルスの影響もあって判決が延期となり、朝山裁判長が言い渡しを待たずして退官した」(同)。

 控訴審を担当したのは複数の裁判官だが、最終的に判決に責任を持つのは裁判長。しかし、この判決が世に出た時に批判を受ける裁判長はもう、その立場にいないのだ。

 「裁判官にとって、自分の判決が上級審でひっくり返されるのは避けたい事態だ。しかし、退官する裁判官にそうした評価は関係ない。そのため、思い切った判決も出せてしまう。コロナの影響で遅延した経緯もあり今回がそうだとは言い切れないが、定年が近づいた裁判官は上級審の評価を気にせず判決を出せる立場である事は間違いない」(同)。

 2つ目の不運は〝世論〟だ。全国紙の医療担当記者は「医師が医療現場で患者にわいせつ行為を行い逮捕されるという衝撃的な事件で、1審ではとかく医療界の反応が大きかった」と振り返る。すぐに「外科医師を守る会」が設立され、署名活動等が積極的に行われた。 

 こうした無罪判決や減刑を求める署名は、情状酌量を求めるために公判に提出される事も多いが、「今回は医療関係者が中心となって、医師が有罪になれば医療現場が崩壊するという声を上げたのが大きかった」と同記者は話す。医療事故ではなく「わいせつ」事件でここまで医療界が盛り上がったのは異例ともいえる。

盛り上がりに欠いた高裁審理中の世論

 世論と判決の関係について、元司法担当記者は「司法は独立しているというのが建前だが、意外と世論を気にしている」と語る。

 外科医が逆転有罪となった2週間後、同じ東京高裁で言い渡された判決が良い例だ。長野県の特別養護老人ホーム「あずみの里」で入所者の女性(当時85歳)がおやつのドーナツを食べて死亡、介助に当たっていた准看護師が業務上過失致死罪に問われた事件だ。世間の注目を集めたこの裁判では、1審の長野地裁の有罪判決が破棄され、東京高裁で「逆転無罪」となった。

 地方での事件だった事もあり、全国紙では数紙が判決直前に取り上げたくらいで、1審はそこまで世間の耳目を集めなかった。ところが1審で有罪となった事で、「介護現場での事故で個人の責任が問われるようになれば、介護現場は萎縮してしまう」との声が大きくなった。「ネットメディアやテレビでも大きく取り上げられるようになり、世間の声が逆転無罪に影響した可能性はある」と同記者は指摘する。

 一方の外科医の事件は、「無罪となって終わったと思っていた」(都内の総合病院の麻酔科医)という声も多い。つまり、高裁で審理中の〝世論〟の盛り上がりに欠けたのだ。だが、「一般の人と異なり医師や看護師、薬剤師にとって判決が確定する意味は大きい」と全国紙の厚生労働省担当記者は話す。刑事裁判で有罪が確定した医師は、厚労省の医道審議会の審議を経て行政処分を受けるからだ。「処分は判決の重さに拠っている印象だ。飲酒運転等と異なり、今回のように業務中に行われた不法行為では行政処分も重くなりがちだ」(同)。

 日本の司法制度では、無罪だと戦えば戦うほど「反省がない」と量刑が重くなりがちだ。その上、それに伴い行政処分も重くなる悪循環となれば、医療者は無実の罪を認めた方が社会的制裁が軽くなる事になる。

 最高裁の判断が注目される。

 

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