SHUCHU PUBLISHING

病院経営者のための会員制情報紙/集中出版株式会社

未来の会

第35回 医系技官にとってはサプライズが続いた幹部人事

第35回 医系技官にとってはサプライズが続いた幹部人事
集中出版
福島 靖正・新医務技監、前国立保健医療科学院長

 2020年夏の厚生労働省幹部人事が7月31日に閣議了解され、8月7日に発令された。今後の新型コロナウイルス対策を見据えた布陣となった。ただ、福島靖正・国立保健医療科学院長(1984年、旧厚生省)が医務技監に抜てきされ、コロナ騒動ならではのサプライズ人事もあった。

 特に医系技官人事は波乱が目立った。そのトップの鈴木康裕・医務技監(84年)は「更迭」含みでの交代だった。PCR検査の拡充や抗ウイルス薬「アビガン」の早期承認について、官邸の思惑とは裏腹に厚労省での筋論を通し、官邸中枢から「医系と薬系技官は何をやっているんだ」との不満を一身に受けた。「3〜5年務める」(当時の幹部)とされた医務技監の創設から3年が経過した事もあり、早くから官邸を中心に交代論が浮上していた。

 後任の福島氏は、熊本大医学部の卒業後に入省、埼玉県東松山保健所長や横浜検疫所長、厚生科学課長等を経て、2015年10月から約2年間、健康局長を務めた。当時、受動喫煙防止を強化する健康増進法改正案を巡り、急進派の塩崎恭久・厚労相(当時)と相性が悪く、成田空港検疫所長に「左遷」されていた。ただ、現場経験が長く、新型インフルエンザ流行時に健康局結核感染症課長を経験した「感染症対策のエキスパート」(幹部)の手腕を買われ、直近は対策本部に駆り出されていた。ある幹部は「通常ではあり得ない人事ルートだが、コロナ対応を考えれば適任だ」と話す。

 医政局長には、迫井正深・大臣官房審議官(1992年、旧厚生省)が昇格した。2012〜14年に局長を務めた原徳寿氏以来の医系技官だ。日本医師会長が「強面」の中川俊男氏に代わった事が影響しているとみられる。

 コロナ対応の中心となる健康局長には、正林督章・環境省大臣官房審議官(1991年、旧厚生省)を抜てきした。政府の専門家会議を裏方として支えた仕事ぶり等が評価され、わずか1年で厚労省に帰還した。新たに新設された局長級の大臣官房危機管理・医務技術総括審議官には、佐原康之・大臣官房総括審議官(91年、旧厚生省)を充てた。迫井、正林、佐原の3氏は89年にそれぞれ東大、鳥取大、金沢大の医学部を卒業した「同期」だ。

 一方、医務技監候補と目された宮嵜雅則・健康局長(87年、旧厚生省)は国立保健医療科学院長に転じた。コロナ対応の国会答弁等で安定さを欠いたのが影響した。大坪寛子・大臣官房審議官(2008年)は科学技術担当から少子化担当にスライドし、新型出生前診断の諸問題に当たる。

 旧厚生系は異動が少なく、鈴木俊彦・事務次官(1983年)は当面、留任する。大島一博・老健局長(87年)と、土生栄二・官房長(86年)がそれぞれスイッチした程度。旧労働では統計不正問題で失態を演じた定塚由美子・人材開発統括官(84年)、藤澤勝博・雇用環境・均等局長(84年)は辞職する。

 吉田学・医政局長(84年)は内閣官房新型コロナウイルス感染症対策推進室の次長として起用される。感染状況や内閣改造次第で、吉田氏が室長に昇格し、室長の樽見英樹氏(83年)が事務次官として厚労省に返り咲く案も取り沙汰され、更なるサプライズの可能性もある。

 

LEAVE A REPLY

*
*
* (公開されません)

COMMENT ON FACEBOOK

Return Top