新型コロナウイルスの感染拡大に対して、国はどのような危機意識を持ち、どのように対応してきたのだろうか。また、クルーズ船「ダイヤモンド・プリンセス」内での業務や感染者の運搬等で、自衛隊はどのような基準に基づいて活動したのだろうか。自衛隊出身の国会議員である佐藤正久氏に、危機管理の専門家ならではの視点から、コロナ危機への国の対策を振り返ってもらった。
——政府のコロナ対策をどう見ていますか。
佐藤 特に初動の段階において、この感染症を甘く見ていた部分があったのは否めません。医師出身議員の多くも、政府の方でも、インフルエンザより怖くない、インフルエンザの方がいっぱい死ぬとか、そんなイメージで発言されている人が多かった。私とか、ほんの数人は、これは大変な事になるから、もっと危機感を持ってやるべきだと忠告していたのですが、騒ぎ過ぎだと言われていました。観光都市出身の議員は、そんなに騒いだら観光客が来なくなると。1月から2月の頭くらいまでは、そんな感覚の人が多かった。
——危機感を持つべきと考えた理由は?
佐藤 一番の理由は、中国・武漢の様子を見たからです。1000万都市が都市封鎖というのは異常ですよ。東京都くらいの都市を封鎖したわけですから。あれを見て、危機感を覚えない方がおかしいと思っていました。私は元々、自衛隊の化学科隊員といって、核兵器や化学兵器や生物兵器からいかに守るかというのが専門の隊員でした。だから、こういう新しい感染症に対しては、危機感を持って対処すべきだと思えたわけです。
——それが自衛隊的な危機管理なのですね。
佐藤 新しい未知の感染症というのは、見えない敵と一緒、生物兵器と一緒です。そういうものに対する危機管理は、危機意識を高く持って、先手を打ち、大きく被せるような対応をしなければいけません。それが空振りに終わってもいい。「空振りは許されるけれど、見逃しは許されない」というのが危機管理の鉄則です。そう考えると、初動での国の対応は基本からずれていたと言えます。2月5日に政府が自民党に説明したコロナ対応の組織には、なんと防衛省が入っていませんでした。そのくらい危機意識が低かったのです。私が一番言いたいのは、新しい感染症への対応は国家安全保障レベルで考えるべきだ、という事です。
——最初から適切に対応出来なかった理由は?
佐藤 政権交代があった事も関係しています。2009年に新型インフルエンザを経験した時は民主党政権で、その時にいろいろ対策をまとめています。有識者を交えて何十回も話し合ってまとめた対策があるのですが、政権交代があった事でそれを活かせなかった。検査体制や隔離体制をどうすべきとか、日本版CDC(米国疾病予防管理センター)を作って国際的な情報を収集する必要があるとか、決めてはあったけれど、ほとんど出来なかったのです。国立感染症研究所や国立国際医療研究センターの機能強化とか、そういう事もやってこなかった。そういった点については、我々も反省しなければいけません。それから、司令塔がいないのも問題でした。起きている感染が、単なる感染症なのか、バイオテロなのか、生物兵器が使われたのかによって対応組織も変わります。そのため、新たな感染症は初動から国家安全保障レベルとして捉え、内閣官房に司令塔がいなければならなかったはずなのです。最初から厚生労働省に任せた事自体が間違っていたのです。
自衛隊はクルーズ船でも感染者ゼロ
——ダイヤモンド・プリンセス号への対応では自衛隊も活動していましたね。
佐藤 あの時は頼まれて自衛隊も現地対策本部に加わりました。厚労省も入ったし、内閣官房も入ったのですが、それを統括するトップがいませんでした。自衛隊員は防衛大臣の指揮下、厚労省の人達は厚労大臣の指揮下、内閣官房の人達は官房長官の指揮下です。当然、ガバナンスが利きません。それが防護基準にも現れていて、自衛隊は高い防護基準を設定して防護服を着ていましたが、厚労省と内閣官房は普通のマスクを着けているだけ。それで船内に入り、厚労省と内閣官房の人達からは感染者が出ました。普通に考えれば、同じ政府の人間なのだから、防護基準を統一しなければおかしいのです。
——クルーズ船にはDMAT(災害派遣医療チーム)も派遣されました。
佐藤 あれには驚きました。DMATは災害時の救急医療チームで、感染症で派遣されるようなチームではありません。なぜ派遣したのか聞いてみると、実働部隊として行ってくれる医師がいなかったので、とりあえず行ってもらったと。感染症に対するチームを備えておくべきだったのに、それをしていなかったという事です。
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