新型コロナウイルス感染症の対策を検討する政府専門家会議を裏方で支えている官僚がいる。1991年に旧厚生省に入省した医系技官の正林督章氏だ。昨年7月の幹部人事で環境省に出向していたが、感染症対策の手腕を買われ、厚労省に呼び戻された。その後は、横浜港に停泊していたクルーズ船「ダイヤモンド・プリンセス」への対応を事務方責任者として陣頭指揮する等、新型コロナ対策の「要」として奮闘している。
正林氏は鳥取大医学部を卒業し、入省した。大臣官房厚生科学課等に勤務した後、ロンドン大に留学して公衆衛生を学び、世界保健機関にも派遣された。島根県で健康福祉部長を務めた後に本省へ戻り、健康局結核感染症課新型インフルエンザ対策推進室長や結核感染症課長、がん対策・健康増進課長、健康課長を務めた。都立青山高校時代は野球部に所属し、大学時代は空手やトライアスロンに熱中。今でも趣味はジム通いという。
正林氏を一躍有名にさせたのは、健康課長時代に取り組んだ健康増進法の法案作りだ。受動喫煙対策を強化する内容を目指したが、対策強化の急先鋒だった塩崎恭久・厚労相(当時)と慎重な自民党が対立、正林氏は板挟みに。理念的には規制強化を目指す塩崎氏と立場を同じくし、自民党から「健康課長が強硬過ぎる」と矢面に立たされる場面もあった。加藤勝信・厚労相に交代し、無難な案に落ち着いたが、「法改正する事で世の中が一歩前進する」と前向きに捉え、ポリシーを押し殺し「実利」を優先させるしたたかさも見せた。
昨年7月の幹部人事で環境省に出向し、審議官として国立水俣病総合研究センター所長に就任した。環境省と熊本県水俣市を行き来する日々を送るものの、激務だった厚労省時代に比べ、「趣味のジムに通える時間が増えた」と周囲に話していたという。ところが、今回の新型コロナ騒動で生活は一変、厚労省に呼び戻されてからは多忙な日々を送り、休暇も取れない状況に。乗客乗員約3700人を下船させるという前代未聞のオペレーションに取り組んだ。ある厚労省職員は「しばらく応援も来ず、正林氏はこれまでの役人人生で一番きつい時期だったと漏らしていた」と明かす。
3月中旬からは、迫井正深・大臣官房審議官(92年入省、東京大医学部卒)からバトンタッチし、政府専門家会議の事務局長的な立場として見解や提言をまとめている。会議の副座長で独立行政法人地域医療機能推進機構の尾身茂理事長ら曲者がそろう中、長時間に及ぶ事前会議を取り仕切り、文章をまとめる日々だ。当初は分かりにくいと評判だった専門家会議の提言も次第に整理され、「大分読みやすくなった」(厚労省担当記者)との声も。
入省同期ともいえる佐原康之・官房総括審議官(91年入省、金沢大医学部卒)に比べ、「実直過ぎる」(厚労省関係者)との評判がある正林氏は出世レースでやや遅れを取っていた感もある。本人は「早く厚労省を引退し、出向したこともある島根の無医村で診療所を開きたい」と志を明かしているという。ただ、今回の対策が評価されれば、官邸等から評判を下げている医系技官が多い中、再び省内で浮かび上がる可能性もありそうだ。
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