虚妄の巨城
武田薬品工業の品行
風向きが変わったのか、それとも最初からこうなる事が分かっていたのか。例の武田薬品の「新型コロナウイルス治療薬開発」が、妙な展開を見せている。『日本経済新聞』4月6日付(電子版)によれば、以下のように報じられているのだ。
「(武田は)開発中の新型コロナウイルスの治療薬に関し、米製薬会社のCSLベーリングなどと提携したと発表した。武田が開発する治療薬はヒトの血液由来のもので、武田とCSLベーリングはこの分野の世界大手。両社が組むことで血液の収集など開発を加速させる」
ちょっと待ってほしい。確か3月の時点で、「武田薬品工業は4日、新型コロナウイルスの治療薬を開発すると発表した。感染し、回復した人の血液成分を使用し、新薬をつくる。同社は「『早ければ9か月程度で実用化したい』としている。 同社によると、血液成分の一つの『血漿』を使う」(『読売新聞』3月4日付電子版、「新型コロナ治療薬を開発、武田薬品『早ければ9か月で実用化』)といった具合の勇ましい話を、武田は世間にぶち上げていたのではなかったか。
当時、他社との「提携」等一言も触れてはおらず、武田が一社単独で、かつ奇跡のように全世界で恐怖をまき散らしている新型コロナを撃退する新薬をたったの「9カ月」で提供してくれるかのような報道が幾つも登場したのは、記憶に新しい。
武田の「血漿分画製剤事業のトップ」だというジュリー・キムも、コロナ治療用新薬について米食品医薬品局(FDA)から、「順調にいけば、他社に先んじて最短9カ月で承認を得られる可能性がある」(ブルームバーグ3月17日付配信記事)と豪語していた。
このため、「100年に一度の危機」と呼ばれているほど人類に猛威をふるい、ここまで騒がれている新型コロナウイルスが相手である以上、武田はよほどの自信と公算、準備があってこの種の発表をしたのだろうと誰しも思ったはずだ。あるいは、既に日本で1万5000人以上出ている感染者の中には、死の恐怖に怯えながらこれを「朗報」と見なして「新薬」に希望を託した向きもあったに違いない。
単独開発の選択肢はなかったはず
ところが発表からわずか1カ月ちょっとで、今度は米社との「提携」だとか。国内外でただならぬ重要性を帯びているはずの新薬の「開発」を、単独でやるのかそれとも他社との連携でやるのかという基本的な方針すら固めないまま「発表」したのではないかと疑われ、信じがたい軽さのようにも写るが、武田はそう受け止める感覚は持ち合わせていないようだ。
一方で、何を忖度してかまことしやかに「当初、武田は自社だけでの開発を検討していたが、実用化を早めるために今月になって複数のライバル会社と提携し、共同で開発、供給することを決めた。1企業の収益よりも、製薬会社としての使命を優先させた格好だ」(『産経新聞』4月29日付電子版「新型コロナ治療薬はライバルと協力し開発 武田薬品社長が受け継ぐ 『患者に誠実』」)等と、歯の浮くような「解説」に及ぶ記事も散見する。しかし、いかにも説得力に乏しい。
自ら望んで文字通りグローバル企業となった武田が、「収益」よりも「使命」とやらを「優先」する奇特な会社なのかどうかは別として、もし本気で「使命」を考えたら、このところ新薬開発に全く振るわなくなっている自社の力だけで、正体すら未知の領域が多い新型コロナの治療薬を開発出来るのか否かの見当ぐらい付けられたのではなかったのか。ましてや「早ければ9カ月で実用化」等と、
の口上めいた怪しげな宣伝を世間に振りまけるはずもない。
これでは誰しも、武田が当初は勇ましく単独開発を吹聴しながらも、すぐに無理だと察して「世界大手」に飛び付いたと想像するに難くない。前出の『日経』記事によれば、「提携にはこのほか英国やドイツ、スイスなどの製薬会社が参加。いずれもヒトの血液を採取し、治療薬をつくる『血漿分画製剤』を得意とする。それぞれヒトの血液を集める拠点を持っており、連携して治療薬開発を進める」という。ならばなおさらの事、「収益」ですら最初から絵に描いた餅に等しいのだから、単独開発等という選択肢はまず存在しなかったはずなのだ。
実際、3月の時点での武田の言動について、市場が全く相手にもしていなかった形跡がある。前述の「早ければ9カ月程度で実用化」という眉唾物の報道が飛びかった後も武田の株価は下がり続けており、3月18日には、今年最安値の3000円を割る2900円まで落ちていたからだ。
ところが、今回の提携の話題が出た翌日の4月7日には、3471円に急上昇。4月27日には、3986円まで値を付けている。これについて、ロイター通信は4月7日の配信記事で「武田薬品工業が買い気配。米社との新型コロナウイルス治療薬となりうる製剤開発で提携したことが材料視された」と伝えている。それでも武田の株価は、今年2月末に割った4000円台の回復に5月が過ぎても到達していないのを見ると、どこの外国企業といくら「提携」しようとも、実現すれば世界的大ニュースとなる新型コロナの治療薬の開発という栄誉に武田が浴する可能性を、市場は本気で信じていないのだろう。
株価反転の材料づくりになった?
武田にとっては久々に株価が反転する材料づくりになったかもしれない。だが、自社だけで「最短9カ月」の新薬承認を宣伝しながら、あっさり「他社との提携路線」に乗り変えて承認時期の展望も口にしなくなったその有様は、どう贔屓目に見ても信用失墜に値するに違いない。ところが驚くのは、そうした変節が前述の『産経』の「解説」のように、逆に「美談」の材料として扱われ始めている点だ。例の「1企業の収益よりも、製薬会社としての使命を優先させた」という根拠は、武田だけが「1番に常に患者を中心に考える」という、「従業員が行動や判断の基準とする独自の価値観」を持っているからなのだという。
この理屈だと医薬業界における武田の「独自」性とは対照的に、国立感染症研究所と共同して新型コロナの予防ワクチン開発に4月末から乗り出した塩野義製薬等は、「実用化を早める」よりも「1企業の収益」を優先している部類に貶められかねない。『産経』の記事が武田のスポンサー付きの「パブ記事」かどうか判別し難いが、業界のみならず、市場もこうした「美談」を真に受けるとは考えにくいだろう。(敬称略)
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