1年後、五輪「中止」になれば計り知れない打撃に
新型コロナウイルスの感染拡大が止まらない中、安倍晋三首相は改正新型インフルエンザ等対策特別措置法に基づく「緊急事態宣言」を表明した。東京五輪・パラリンピックの1年延期も主導する等、トップダウン型の「強い宰相」の演出に躍起となっている。
しかし、1年後に五輪を開催出来る環境が戻っている保証はない。外出自粛要請が長引けば経済に大きな打撃を与え、自身の退陣にも繋がりかねない。「まさに首相は賭けに出た」(自民党幹部)格好だ。
4月7日夕。政府の対策本部の会合で、首相は「全国的かつ急速な(新型ウイルスの)蔓延により、国民生活及び国民経済に甚大な影響を及ぼす恐れがある事態が発生したと判断した」と述べ、緊急事態を宣言した。
宣言の対象地区は東京、神奈川、千葉、埼玉、大阪、兵庫、福岡の7都府県。期間は大型連休が終わる5月6日までだ。
政府が宣言を出す最終方針を固めたのは5日夜。東京都ではこの日、1日当たりの人数としては最多の143人の感染が新たに確認されたが、64%に当たる92人は感染経路が不明だった。全国の死者はクルーズ船を含め100人を超えた。
翌6日夕、政府の新型インフルエンザ等対策有識者会議の尾身茂会長(地域医療機能推進機構理事長)と会談した首相は、「明日にも緊急事態宣言を発出したい」と語っていた。
ただ、政府はギリギリまで宣言を避け、3月末にネット上に流れた「4月1日に宣言発表」といった情報を完全否定していた。
当時、都内では連日40人以上の新規感染者が出ていたものの、特措法が定める宣言の要件は①国民の生命、健康に著しく重大な被害を与える恐れ②全国的かつ急速な蔓延で国民生活や経済に甚大な影響を及ぼす恐れ——を満たすことだ。②を見極める必要がある、として、4月1日の参院決算委員会でも、首相は「緊急事態宣言を出す状況ではない」と強調していた。
「対策が後手後手」との批判に焦り
それでも、この日開かれた政府の専門家会議は、都市部を中心にオーバーシュート(爆発的な患者増加)が起こる前に医療崩壊に陥る恐れを指摘し、早急な対応を求めた。
日本医師会の横倉義武会長は1日の記者会見で「医療危機的状況宣言」を出し、別の幹部は政府に緊急事態宣言を出すよう迫った。
政府も、都内の1日当たりの感染者の増加が3桁で増え続けるようになれば宣言を出すと目され、首相周辺は「やはり感染者数の増え具合がポイントだ」と明かしていた。
首相が特措法の整備を表明したのは3月2日。「対策が後手後手」との批判に焦っていた首相は、相次いで野党党首と会談し、法改正に協力を求めた。
内閣法制局幹部も「法改正の話は知らなかった」と漏らすほどで、「政治主導」「強いリーダーシップ」を演出する狙いが透けて見えた。
2月27日に「独自の判断」として、唐突に専門家会議も提言していなかった全国一斉の休校要請に踏み切ったのも同様の思惑からだ。
緊急事態宣言の発令により、都道府県知事は患者急増に対応するため土地や建物を所有者の同意なく強制力をもって医療施設に活用出来る。
ただし、個人の外出自粛は要請出来るだけ。大規模イベント会場の使用制限や停止も要請や指示にとどまり、鉄道や道路を封鎖するというような事も難しい。
東京都の小池百合子知事が「ロックダウン(都市封鎖)」という言葉を使った事で、緊急事態宣言と海外でのロックダウンが混同され、食料品などの買い占めが起きた。
フランス等では外出した人に罰則を科す等しているが、日本の宣言に海外のロックダウンのような強制力はない。首相も7日、「海外でみられるような都市封鎖を行うものでは全くない」と強調した。
ただし、首相は緊急事態宣言の発令には慎重だった。先手を打って指導力を示したいのはやまやまでも、宣言による感染抑制効果と経済損失のバランスをどう取るかに苦心していたからだ。
強制力に欠けるとはいえ、既に観光、飲食業等を中心にウイルスの打撃を受けて沈み込んでいる。宣言は経済の低迷に追い打ちをかけかねない。
政府が3月に公表した月例経済報告では、景気判断から6年9カ月ぶりに「回復」の文字が消えた。6日夕に緊急事態宣言の準備に入ることを説明する際には、まず冒頭で「総額108兆円の経済対策を実施する」と発言する等、経済や国民生活への影響回避に尽力している姿勢を示そうとしていた。
「ワクチンは完成します。延期は1年でいいんです」。3月24日夜。安倍首相は首相公邸を訪れた森喜朗・東京五輪・パラリンピック大会組織委員長にそう伝え、森氏の2年延長論を封じ込めた。
そのまま国際オリンピック委員会(IOC)のトーマス・バッハ会長と電話会談に臨み、「1年延長」への支持を取り付けた。「ずるずる決断を延ばすと中止に追い込まれる」と読み、延期を確定させることには成功した。
局面の打開が出来ない中、首相が最大の賭けに出たのが東京五輪の1年延期だ。
しかし、なぜ1年かという明確な根拠は示していない。首相の自民党総裁任期は来年9月まで。3月25日の参院予算委員会では、田島麻衣子氏(立憲民主)が1年延長の根拠について、「来年9月にある自民党総裁の任期に合わせたものですか」と問う場面もあった。
首相は政治的な思惑を全否定しているが、「首相のうちに五輪を開催したいだろう」(自民党幹部)と見る向きは多い。
株価が回復しなければ政権は失速
ただ、1年後の状況は専門家も予測出来ていない。たとえ日本で鎮静化していたとしても、海外は未知数だ。感染拡大の兆しが見え始めたアフリカや南米等では、これからウイルスが猛威を振るう可能性がある。
2021年前半の段階で世界的に収束のメドが立っていなければ、再び「開催の有無」が議論になるだろう。1度は日程調整に応じた各競技団体や関係者も2度目は首を縦に振らないかもしれない。
緊急事態宣言に踏み込んで東京五輪まで「中止」となれば、さらに景気は冷え込み、首相には計り知れない打撃となる。
「安全策の『五輪2年延長』を選ばなかった以上、『凶』と出れば経済も五輪も失う。首相の支持層はやっぱり経済重視の人だ。株価が回復しなければそっぽを向かれ、政権は一気に失速するだろう」
ある自民党幹部はそう読んでいる。
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