医者の不養生やブラック病院と言われないために
「健康経営」の重要性が叫ばれるようになって久しい。従業員の健康増進は企業の社会的責任(CSR)という考えが浸透しつつある中、医療機関はきちんと向き合っているか。
「健康経営」とは、米国の臨床心理学者のロバート・ローゼン氏が1980年代に提唱した概念。1992年に著した『The Healthy Company』では、従業員の健康維持に積極的に取り組む企業では、仕事の効率化が高まり生産性が向上することが記され、まず米企業から広まっていった。米ジョンソン・エンド・ジョンソン社が、診療所拡充や医療スタッフ増員など健康経営の考えに基づき投資したところ、生産性向上、医療費削減、イメージアップなどの効果を合わせて、リターンは1ドルに対して3ドルになったとされる。
ローゼン氏によれば、従業員は過剰な勤務にさらされると正常状態を失ってしまうという。職場には、過剰なストレスや緊張など様々な危険因子がある。従業員にとって、職場で働くことそのものが生活習慣であり、そこで健康を損なうようなことがあれば、それこそ“生活習慣病”と呼ぶにふさわしいかもしれない。
こうした「ヘルシーカンパニー」の概念は、欧米には出遅れたものの、日本でも経営手法として浸透しつつある。2013年には安倍政権が発表した日本再興戦略に「国民の健康寿命の延伸」が盛り込まれる一方、過労死の裁判が相次いだり、「ブラック企業」が新語・流行語大賞を受賞したりした。さらに、企業は従業員の高齢化とも向き合わなくてはならなくなっている。
経済産業省は、健康経営の促進を目指し、2015年から東京証券取引所と共同で、「健康経営銘柄」の選定を始めた。対象は、従業員の健康増進に先進的に取り組み生産性や企業価値を向上させている企業で、1業種で1社を選び、2016年には塩野義製薬など25社が選出されている。また、地方銀行も健康経営の実践企業に対して金利を優遇するといった仕掛けを用意した。
医療の質と職員の健康を両立
産業医では、早くから声を挙げていた医師もいた。大阪ガスの産業医を務める岡田邦夫氏らは、2006年にNPO法人「健康経営研究会」を立ち上げた。産業医や保健師だけががん検診を呼び掛けても受診率は上がらなかったが、上司の呼び掛けで受診率が高まった経験から、管理職の関与、ひいては経営の関与が重要であるとの認識に至ったという。NPOでは、健康経営の指標作りや啓発を進めている。
医療機関に目を転じるとどうだろうか。日本医師会会長の横倉義武氏は2018年、新年度の所感の中で、医療機関の健康経営の重要性を唱えた。全国の医療機関には、合わせて300万人以上が働いている。医療従事者自らが、第3次安倍内閣の成長戦略である未来投資戦略に基づく日本健康会議による「健康経営」を意識して、健康増進に率先して努める取り組みを進めていくことの重要性を指摘した。
なお、日本健康会議とは、経済団体、保険者、自治体、医療団体などが連携して組織された活動体で、少子高齢化が急速に進展する中で、国民一人ひとりの健康寿命の延伸と適正な医療について、民間組織が連携し行政の全面的な支援の下、実効的な活動を行うことを目的としている。
働き方改革の波が医療機関へと押し寄せる中で、医療の質と職員の健康の両立に熱心に取り組んでいる病院の1つに、名古屋第二赤十字病院がある。同院は、医師、看護師、事務職員まで含めて健康経営を推進する中で、2018年にトップが健康経営宣言を出し、「健康経営センター」を設立するに至った。
それに先立ち、健康対策室が機能している。数年前から職員の健診データなどを一元管理出来るクラウド・システムを導入しており、産業医による面談を実施していたが、センター化後はさらに発展させた。医師を含め全職員に面談を実施するだけでなく、運動や食事の習慣などの改善を目指しており、職員のための禁煙外来の開設、多忙な職員向けにリハビリ室の17時以降の開放、健康メニューの導入などを推進している。
「健康経営格付」に基づいて融資
医療法人社団美心会黒沢病院(群馬県高崎市)も、健康経営に力を注ぐ。同院では、施設内にメディカルフィットネスを併設しており、職員は割引価格で利用できる。源泉掛け流しの天然温泉も完備しており、夜勤明けの医師や看護師なども利用しているという。また、県内のマラソン大会には、約150人の職員有志が出場している。2019年からは、一般の職員健診に加えて、40歳以上の職員全員に脳健診も実施している。
経産省は2017年度から、優良な健康経営を実践している企業・団体を「健康経営優良法人認定制度」の下に認定している。健康経営に取り組む優良な法人の「見える化」により、従業員や求職者、関係企業や金融機関などから社会的な評価を受ける環境の整備を目的として「大規模法人部門」と「中小規模法人部門」の各部門がある。
前出の美心会は、2年連続、大規模法人部門で認定されている。
また、特定医療法人財団博愛会(福岡市)は、同じく大規模法人部門で3年連続認定されている。法人の健康活動の指針として「博愛会健康宣言」を制定し、「予防・医療・介護を地域の皆様に提供する立場から、まず職員自身が健康を意識し、積極的に健康づくりに取り組んでいくことが必要と考え、健康で元気に働ける環境を構築します」と謳う。
日本政策投資銀行(DBJ)では、独自の「健康経営格付」として、職員の健康管理を重視した経営を評価しているが、2013年に医療機関として初の「Aランク」の格付けを取得している。
なお、DBJでは、「健康経営格付」に基づくフィードバックとしての融資を実施しており、例えば2019年には、社会医療法人博愛会(栃木県那須塩原市)に対して1億5000万円を融資している。
同法人は、運営するフィットネスジムを職員が割引価格で利用できることに加えて、日付ごとに健康に関するアドバイスが記載された「健康カレンダー」を職員や患者に配布している点なども評価された。同法人では、新たな融資を、病棟改築、2施設目のジム、病児保育室、幼児の運動施設など、市民が利用できる健康施設の設置などに充てるという。
健康への投資は、人への投資であるものの、その効果は測定しにくいものが多いが、こうした経済的インセンティブも広がっている。何より、医者の不養生やブラック病院と言われないためにも、遅れてやってきた医療機関の「健康経営」こそ、産業界の範にならなくてはならないだろう。
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