医療と介護を核にした町づくりを指南する
医療法人社団ささえる医療研究所(北海道岩見沢市)は、在宅医療・介護を核にした町づくりに取り組んでいる。同法人が目指している新たなケアモデルの在り方を紹介したい。
現在、法人理事長の永森克志氏が院長を務めるクリニックは、岩見沢市中心部から5kmあまり離れた住宅地にある。普通の民家の畳敷きの部屋を使用し、訪問診療を主体に予約制の外来診療も行っている。医師や看護師が打ち合わせている内容は、奥の部屋の事務職員の耳にも入り、自然な形で情報が共有出来る。
法人開設から2年余り、せたな町や財政破綻した夕張市での経験を踏まえ、地域包括ケアのモデルを構築中だった村上智彦氏は突然病魔に襲われる。2015年12月に急性骨髄性白血病と診断され、17年5月に亡くなるまで、2度に渡る長期入院を余儀なくされたが、その間にも、蒔いた種は次々と地域で育ちつつあった。
制度に捕らわれない「まるごとケアの家」
2017年4月には、岩見沢のクリニックから数十mという至近の場所に「まるごとケアの家いわみざわ」という医療・介護の新しい拠点を開設した。こちらも元は民家(3LDK)で、車椅子を使用していた高齢夫婦が居住していたため、バリアフリーになっている。そこに、クリニックがみなしで実施していた訪問看護をステーションとして独立させ、夕張市で介護サービスを行っていた居宅介護支援事業所を移転して併設した。
医療・介護には多様なサービスがあるが、それぞれ別の名称で、一般の人には分かりにくい。そこで「まるごとケア」というキーワードの下、「制度の枠組みにとらわれず、地域で援助を必要とする者に対してケアを提供する」というコンセプトを形にした。ケアを必要としながら制度から漏れてしまう人にも対応し、医療・介護・その他の社会資源を複合的に組み合わせ、日常生活の包括的ケアを適切に提供していく。
こうした概念は、その半年前の16年10月、約200人の在宅ケア関係者が集った「ものがたり合宿」の場で生まれた。コンセプトに共鳴して、全国には「まるごとケアの家」を冠したり、理念を踏襲したりした施設が20近く誕生した。
地域により特性があり、いわみざわの場合、家の中央のLDKを「コミュニティスペース」とし、訪問前のカンファレンス、勉強会開催など多目的に活用している。奥の2部屋は、左が訪問看護、右が居宅介護支援事業所で、襖を払い緩やかに仕切った。スタッフは、看護師3人、准看護師2人、看護事務2人、介護支援専門員1人だ。
悩める人が気軽に立ち寄り、繋がりを持てる場となっている。玄関脇の相談室にはベッドが1台置かれ、気分が悪い人は休むことも出来、看護・介護の専門職が身近にいる安心感が得られる。「暮らしの保健室」も月1回開催している。
この建物の購入を決断したのは、法人の事務局長である山田奈緒美氏である。医療と介護の隙間を埋める場所の必要性を痛感し、「まるごとケアの家」のコンセプトがまとまるのと前後して、有志がお金を出し合って購入に至った。
2018年1月には、新しい試みとして、「ささえるさんの家」もオープンした。シェアハウス、シェアオフィス、コミュニティスペースを兼ね備えた複合住宅で、こちらも山田氏が英断して購入した。やはり元は民家で、かつて岩見沢市にあった駒沢大学の学生の下宿屋だったため、居室が多い。築40年以上で改修が必要だったが、賑やかに人が集う居心地の良い場所を再現した。
現在は、山田氏以外に、村上氏の長男で看護事務の傍ら看護学校に通う浩明氏ら3人が生活の場としている。山田氏によれば、「緩い繋がりの中で、自分らしく、大好きな人達と暮らし、仕事をする場であり、さらにそのコミュニティで老い、病み、自分らしく生き抜き、死んでいける場になれば理想的だ」と言う。
地元採用者が緩やかで太い絆に繋がれる
機構改革も行った。医療法人の運営本部の業務を支え、経営を支援してきた「株式会社ささえる医療研究所」は2019年8月に「株式会社ささえる」と社名変更した。医療法人の総務部長である井上浩太朗氏が社長に就任し、スタッフも拡充した。この拠点も「ささえるさんの家」にあり、村上氏や永森氏が長年培ってきたノウハウを生かし、労務管理・在宅診療や訪問看護の開業支援やフォローを行っている。
グループには、「NPO法人とものむら」もある。「ともだちが集い、むらがって、むらができる」というコンセプトの下、緩く楽しいコミュニティづくりを目指している。具体的には、農場を運営したり、「寺子屋」「まもる会大学」と称する大小の勉強会を開催したり、電子出版などの事業を行っている。理事長を務めるのは、村上氏の高校の同級生で社会保険労務士の片山展成氏である。
ささえる医療研究所では多彩な組織が緩やかに連携し、1人が何役かを兼ねることもある。グループの最大の特徴は、医療職・介護職・事務職がフラットな関係を保ち、大家族のようにまとまっている事だ。スタッフは女性が多いが、山田氏を筆頭にほぼ全て地元の“おばちゃん”“お姉ちゃん”だ。町づくりを指南した村上氏と永森氏は、根幹となるスタッフの地元採用にこだわった。学歴や資格より、やる気や人間性を重視した。地元出身者であれば、自分達の町を良くしたいという思いがひときわ強い。
年功序列を廃した給与体系や人事制度は、片山氏が基礎作りをした。例えば、事務職として採用した人に医療関係の資格取得を促すなど、必要なスキルは仕事をしながら身に着けてもらう事とした。また、職種間で仕事をシェアし、互譲互助の形を作っていく。こうしたノウハウは他の地域の仲間にも提供し、人材派遣や研修を積極的に行う。学会活動や書籍、SNSなどを活用して、仲間を増やしていく。情報発信もマスコミに頼らず、出来るだけ自分達で進めていく。
事業の展開にも、スタッフの意思が反映される。2019 年は北広島市に3つ目のクリニックを開設する一方、旭川の訪問介護事業を休止した。無理をしても継続するという選択肢はない。 超高齢社会の日本では、今後、全国に空き家が増えると予想される。それを活用して「まるごとケアの家」のような社会関連資本(ソーシャルキャピタル)を作り、多職種や地域住民と繋がる拠点が求められている。ささえる医療研究所には、心地よい余白がある。一見すると非効率に見える面もあるが、スタッフや地域との間は緩やかでも太い絆で結ばれている。
永森氏は「医療法人、株式会社、NPO……形や立場は様々だが、町づくりという理念を共有し、村上の描いた夢に確実に近づいている」と語る。北の大地にしっかりと張られた根は風雪にも揺らぐことはないだろう。
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