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未来の会

医療人が目指すべき「社会の在り方」

医療人が目指すべき「社会の在り方」

この秋は、「日本の社会はどうなのか。どうあるべきなのか」と大きなテーマについて思いがけず考えることが多かった。

 1つのきっかけは、厚生労働省の有識者会議が9月26日、全国の公立病院や日赤などの公的病院に統廃合を含めた再編の検討を求める、と発表したことだ。

 対象となったのは「診療実績が乏しい」などと判断された424病院で、その具体的な病院名までが公表されたため、自治体や住民、医療関係者に戸惑いが広がっている。今回の措置には強制力はないというが、対象病院には来年9月までに具体的な結論を示すよう、厚労省は要請するのだそうだ。

 私の故郷である北海道は、全体で最も多い54施設がその対象になっている。市立旭川病院のような地域の基幹病院もあれば、町立別海病院、厚岸病院など道東の医療過疎の地域の病院、さらには利尻島国保中央病院のような離島の病院までが含まれている。

 それでなくても北海道では医師不足でへき地の病院が休診を余儀なくされたり、JRの廃線で高齢者の通院の足が確保できなくなったり、という問題が深刻になっている。

 この上で、さらに統廃合される病院が出てきたら、住民にとってはまさに命の危機ということにもなりかねない。

 北海道の友人からは、「あの病院がなくなったら、父が人工透析を受けられなくなる」といった悲惨なメールが来た。

 一方、東京では、自由診療のアンチエイジング・クリニックなどが大繁盛しているというニュースも聞こえてくる。「東京や大阪などの都会に住んでいたり、十分なお金があったりする人は、思う存分そのメリットを享受できる。でも、地方に住む人や裕福でない人は、どんどん切り捨てられる方向に。今の日本って社会的弱者に優しくない国になりつつあるのだろうか」と暗い気持ちになってしまった。

 そんな中、中国から仕事で日本に来ている若い知人の話を聞く機会があった。中国国籍で日本の大学、大学院を卒業した彼女は、今は中国のIT関連企業で大活躍している。誰もが知るように中国のインターネット技術の進歩と普及はすさまじく、その中で「次のマーケットは?」と探りながらビジネスを展開している彼女の話は、とても刺激的であった。

日本は「弱い人に優しい国」?

 ひと通りの話が終わり、その場にいた1人が「ITでは今や日本より中国がずっと進んでいるんですね。そんな両国を見たあなたが考える“日本の良いところ”ってなんですか」と質問した。すると、彼女はしばらく考え込んで、こう言ったのだ。

 「そうですね、日本の良さ、それは弱い人に優しいところです」

 彼女の説明によると、今の中国では「お金を稼げる人やビジネスで成功した人は評価されるが、そうでない人は“敗者”として誰からも目を向けてもらえない。たとえ病気になっても、お金がなければ良い医療は受けられないし、そうなった人は“自分が悪いんだから仕方ない”と思われて誰も同情しない。その人達は不満や苦情を言うこともできず、今の状況に耐えるしかない」のだそうだ。

 恐ろしいほどの競争社会、そして弱肉強食の社会となりつつある、それが現在の中国のようなのだ。

 私はそれを聞いて、とても複雑な気持ちになった。公的病院統廃合の発表1つにしても、日本は今や「自分のことは自分でなんとかすべき」という、いわゆる自己責任社会になりつつあると思っていたが、中国から見ると、まだまだ「弱い人に優しい国」なのかもしれない。

 とはいえ、とても「それなら安心だ」とも思えないし、もちろん「中国を見習って競争を激化すべきだ」とも思えない。

 高騰する医療費はどこかで抑制すべきなのも、経済を活性化させるためにはある程度の競争が必要なのも確かだ。必要なのは折り合いや落とし所だとは分かっているが、「そのポイントはどこにある?」と聞かれても、誰も答えることはできないだろう。

 そして、特に私達医療関係者は「我々が目指すのはこういう社会」というビジョンがあった方が良いと思う。漠然と「北欧のように安心して医療や福祉を受けられ、中国のように目覚ましい経済発展、技術革新も実現できる社会がいいな」と望んでいても、そんなにうまくはいかない。やはり「私が目指す社会の在り方」をきちんとイメージしながら、日々の仕事や生活に取り組む必要があるのではないか。

 もちろん、そのイメージやビジョンは自分の年齢や状況によっても変わってくる。私ももっと若い頃は、「まず最先端の医療をどんどん進め、一部の人が恩恵を享受した後で、その技術が一般にも普及していくのが良いのではないか」と思っていた。

医師の働き方にも関わる医療の在り方

 しかし、還暦間近になった今は、「進んだ医療を一部の人が独占しても意味はない。それより地方やへき地に暮らしている高齢者も、ある程度はきちんと医療を受けられる仕組みを整える方が良い」と思うようになった。地方で暮らす親族やへき地で出会った人達の顔が頭に浮かぶと、とても「医療を受けられない地域に住んでいるのは自己責任」などと言うことはできない。

 日本は、社会的弱者に厳しい社会なのか。それとも十分に優しい社会なのか。そして、より望ましいのは強者に先に進んだ医療などが行き届く社会なのか、それとも誰もが同じように標準的な医療や福祉を受けられる社会なのか。

 この問いについては、私なりにこれからも考えていきたいし、その答えがこれからの自分の医療者としての働き方にも直接、関係するだろう。

 読者の中には「自分はもうはっきりした答えを持っている」という人も多いだろうが、折に触れて「本当にこれでいいのだろうか」と答えの点検をしてもらいたい。それは、医療に携わる者としての義務でもあると思うのだ。

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